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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(100)「誰が使っても無敵になれる刀」の時代は終わった…現代を生きる私たちこそ「百人百色」の武器が必要とされている

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?〔以下の本文は、2023年3月10日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「この正宗は 百人百色の持ち手を見つめ その手に導きを与える者だ

 ついに、『逃げ上手の若君』も第100話。ーー時行と郎党たちの鎌倉での楽しいひと時に心癒されるとともに、中先代の乱の史的な推移を知る私にとっては、正宗も口にする「お前の宿命」の影に不安を覚えないではいられません。
 そして、「頼重が持っているはずだ 北条の宿命を受け取るに足る刀を」と正宗は時行に伝えます(…時行だって、正宗の刀(弟子の作った刀でも)はもちろんほしいですよね)。
 〝自分だけの特別〟が、どれだけ子どもにとって魅力的なことか…。私は教育の現場にいたのでわかりますが、学校のシステムというのは、子どもたちひとりひとりに対して〝特別〟を見出して与えることに適していません(かくいう私も、教員としては〝変人〟すぎて、学校の枠からドロップアウトしたと言えます。)。
 良い学校に行って、良い会社に入って、良い人と結婚すれば人生は豊かで幸せに終わるという、戦後の高度経済成長期とバブル経済期の成功のモデルは崩壊しました。その時代の武器は、一律にお金と肩書きだったのかもしれません。
 しかし、「誰が使っても無敵になれる刀」などは、正宗も自ら述べていますが、幻想に過ぎなかったのです。

 体格
 性格
 人生
 人の形は
 百人百色
 違うんだから

 
 価値観の崩壊する現代、正宗(に語らせた松井先生)のこの言葉は胸にしみます。私たちは私たち固有の「刀」を誰もが持っています。私は、ずっと趣味で続けていた占いに副業で取り組んでいますが、真剣にそれーー自分だけの武器ーーを知りたいという方が増えてきていると感じています。
 中には、『逃げ上手の若君』の諏訪時継のように、〝それは武器なのか?〟と思われるような「百人百色」の方もいらっしゃいます。世間の枠組みにそれを当てはめようとすれば、もちろんそれは武器どころか文字どおり障害でしかないのですが、自分が自分であろうとするエネルギーは生命そのもの、この世界を力強く楽しく生きる〝武器〟であると私は信じています。
 最近、古典『太平記』を読み直して気づいたのが、語られる個人個人の個性、あるいは、一族一族の個性が際立っているということです。皆が同じように行動することを求められ、その見返りとして、同じように必要なものを与えられる社会ではなく、まったく違う個人や集団の存在が当たり前の中で、いかに平等で公正なあり方が求められるか、それぞれの住む世界の価値や権利をできる限り尊重して、時には当事者同士がそれぞれ妥協することで、秩序を保っていこうというあり方だったのかな、と思う時があります(知れば知るほど、さらに学びたいことが出てきますね!)。 

 「勝っている間はこの子の役割はお飾りに過ぎん 怪物が真に自由に解放される時 それは即ち…

 正宗は、「「生」の怪物 お前の力はまだ解放されていない」と時行にきっぱりと伝えます。すでに諏訪頼重も第1話で見抜いている時行の本質です(雫も思い出していますね)。
 私はこれまで、実際にはそこまでという人に遭遇したことはないのですが、私が扱っている占星術の鑑定では、自分自身の身体や意思を超えたところの何かをしなければならないという人がいます。
 古典『太平記』の足利尊氏などは、前世の徳がありすぎて、現世での運がおそろしく強いという描かれ方がしていますが、逆に、家系的に背負った因業や、輪廻転生という考え方の中でしなければならないことが積み重なって、特定の転生時には過酷な人生を送る運命にある人もいるということです。
 『逃げ上手の若君』という漫画作品であることを考えると、北条氏が何らかの理想の実現を目指して政権をとるために、あるいは、元寇で元軍を撃退するために、大きな秘密や因縁を一族が背負うことになったのでしょうか。そこに、古の神をまつる神官家の諏訪氏が関わっているということかもしれません。ーーとても気になるところです。
 確かに、第65話(「本戦1335」)で、頼重は蛇行剣といって武器ではなく祭器としての刀剣を操っていましたが、相手の身体や所有物を物理的に破壊するだけが戦いではないのです。

 現代では、形だけ残り意味がないと思われがちな祭祀と、それに用いる祭器がなぜ武器の形をしているのか。ーー「百人百色」の戦い方の持つ意味の深さが伺えます。

石塔範家が戦いの中で気づいた亜也子の弱点を構えだけで見切った正宗
(鶴子ちゃんをヴァージョンアップさせるために女性を見る目は確かだった石塔以上とは…)

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 おかげさまで、私のこのシリーズも『逃げ上手の若君』の連載にともない100回となりました。Facebookを通じて南北朝時代を楽しむ会に入会してから半年ほどが経って『逃げ上手の若君』の連載が始まりました。最初は、諏訪推しで始めたこのシリーズでしたが、書き続けているうちに、松井優征先生が本当にすごい漫画家だという認識を新たにし、また、自分は北条氏が大好きだということを〝思い出し〟もしました。
 今回は、作品に関連する歴史的な事実などを調べてみるというスタイルからは少し外れて、現代社会の問題に即して自分自身の考えを述べたり、古典文学と占星術の知識を結び付けたりすることで作品の今後について想像してみたりしました。あまり詳しくはない刀剣や武具の種類や名称などを調べて書くよりも、私のような世捨て人でもやはり、〝自分だけの武器〟を持っているようだと思って読んでいただけたのであれば幸いです。


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