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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(120)人間の可能性を信じて行動した北畠顕家の「人間力」の輝き、結城宗広の「平和な顔」が秘めるブラック&ホラーをファン目線で考察する

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年8月6日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「殺してやる! 時行ぃっ!

 『逃げ上手の若君』第120話の冒頭、半狂乱で泣き叫ぶ(演技の)斯波家長に、どうリアクションしようか戸惑ってしまった私でしたが、読者の皆さんはどう思われましたか。
 「後の盤面で効く一手を打っておく」と、上杉憲顕らに告げる家長は、中先代の乱でもあれこれ「」をめぐらせていましたね。かつて、〝孫二郎は生意気で好き〟と言った私に対して妹は、〝え~、策がエグくて(孫二郎は)嫌い〟と即座に返してきました。……確かに、孫二郎好きの私でも、今回はやりすぎ感を覚えました。
 そして、「北畠顕家 ここで北条という駒を打つのは反則だぞ」にも、何となく違和感を覚えるのです(渋川義季と海野幸康との一騎打ちに卑劣な策で水を差したお前が言うか!?(第76話「一騎打ち1335」参照))。〝策のエグさに磨きがかかったのは、きっと足利直義が彼を教育したからに違いない〟と妄想しましたが、諏訪頼重が家長を評して「無遠慮」とした(第84話「小手指ヶ原1335」)ところなど、まるで変わってない気がします。
 家長は〝中先代の乱の時よりも自分は成長してる〟という認識なのでしょうが、本質的なところで、「あいつ二年前から全然成長してねーな」と呆れる玄蕃の言う通りなのかもしれません。

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白目を剥いて怒る将軍顕家と彼を慕う武骨な東北武士たちとの
本音をぶつけ合うコミュニケーション
(下賤の者として無視するのではなく顕家は全身全霊で彼らと接しているのですね!)


 「あるがままで結構なのだ

 北畠顕家の真の強さがどこにあるのか。松井先生の解釈には、作品の中の時行たちと同じように、驚きを禁じ得ませんでした。

 「綺麗事や上辺だけの平等ではなく 真の信頼関係を築ける力が彼にはあった

 「矢傷が膿んだ」兵の傷口を吸う顕家の姿は、子どもの頃に日本史を学んで衝撃を受けた光明皇后の話を思い出してしまいました。

光明皇后(こうみょうこうごう)
701‐760(大宝1‐天平宝字4) 
 光明皇后は、女性でしかも皇后の身でありながら、仏の教えを実践した人として伝えられ、中世に入って仏教が庶民の間に浸透して行く中で、賛仰の対象となった。光り輝くほどに美しい女性であったという伝説は、光明子という名にも由来するが、法華寺の十一面観音がその姿を写したものと伝えられた(『七大寺巡礼記』)ためでもある。また皇后は浴室を建てて貴賤を問わず入浴させ、一〇〇〇人のあかを落とそうと決意したが、一〇〇〇人目に癩におかされた男があらわれたので、さすがにちゅうちょしたものの、勇を鼓してその体を洗い、さらに男の求めに応じて膿を吸ったところ、男は大光明を放って自分は阿閦あしゅく仏であると告げたという話(『宝物集』『元亨釈書』)は広く知られている。そのほか、諸芸にすぐれ、仏法の興隆に尽くしたとする伝説は多いが、仏教の盛時とされる天平時代の皇后を賛仰の対象としたところに、日本人の仏教信仰の一面があらわれている。
〔新版 日本架空伝承人名事典〕

 「自分の敬意は行動で伝え 相手の敬意は心で読み取る それさえ守れば どんな両者も一つにまとまる

 学びや信仰を深めた人間の中には、『逃げ上手の若君』の顕家のような考えに至る人があってもおかしくないかもしれません。何しろ時は南北朝時代。良くも悪くも、これまでの常識や価値観を覆すような自らの考えをそのまま実行する個性的な人間が数多く出現しました。
 また、顕家の態度は仏教における救済に似ていると思いました。「生物には差も別もある」としても、超越的な存在や合理的な思考の前には平等であるといった考えを前提とし、人間的な情と実践を伴って身分制度を超えた活動を展開した人間は、日本史上これまた何人も登場しています(光明皇后は伝説だとしても、少なくともその理念は、伝説に投影されていると言えるでしょう)。

 「あれは純粋な人間力の表れ 未来では…「オーラがある」と言うみたい

 第117話(「見極め1993」)で、キラキラがダダ漏れの顕家を見て、雫がこう述べています。どこまでも人間の可能性を信じて行動した青年・北畠顕家ーーみなぎる「人間力」を体現したキャラクターに託した松井先生の思いが伝わってくるようです。

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 第120話の最後では、顕家軍の将たちが新キャラとして登場しました。その際、雫がかなり失礼な発言をしているのに噴き出してしまいました。

 「…まだわからない 変態が複数いなかった試しがない
 ※「試し」は「例(ためし)」か? 原文ママ。

 「どうやら大将の下は割と常識人まともみたいだな」とか、「皆が顕家様みたいじゃ疲れるよねー」とか、夏と亜也子は言い方に気を使っているのに、雫のこの発言(心の声とはいえ)は、顕家をしっかり「変態」認定していることになります。
 そして現れたのが、夏以外の逃若党が「あれっ」となった見覚えのある顔!  
 今週は「WEBキャラクター人気投票」の結果発表がありましたが、なんと9位にランクインした「平和な顔の保科党」の彼(私も投票しました)と同じ顔をした結城宗広!! 私も「あれっ」だったのですが、唐突すぎる「平和な顔」のシュールさが疑問にまさり、最初から笑いが止まらず、その意味がわかってからも、ブラックかつホラーな真相に戸惑いつつ、笑いが止まりませんでした。
 ヒントは、結城宗広のセリフと鎧に書かれた文字にありました。鎧に書かれた文字、YouTubeだったら明らかに動画消されますね。「塵殺」「斬殺」「〇」「〇」って、かなりヤバイ鎧ですが、鎧でなくて彼自身が相当ヤバイことについて、古典『太平記』に書かれていたのを思い出したのです!

 咎なき者を打ち縛り、僧尼を害する事、勝計すべからず。常に死人の生頸なまくびを見ねば、心地の蒙気するにとて、僧俗男女そうぞくなんにょを云はず、日ごとにニ、三人が頸を切つて、わざと目の前にぞ懸けさせける。されば、かれが暫くも居たるあたりは、死肉満ちて屠所の如く、尸骸しがい積んで九原の如し。
 ※咎(とが)…罪。
 ※勝計すべからず…数えきれない。
 ※蒙気(もうき)…気分が晴れない。
 ※日ごと…毎日。
 ※屠所(としょ)…屠畜所。
 ※九原(きゅうげん)…墓場。

 「老若男女一切合切ぶち殺します!」のセリフが、「僧俗男女《そうぞくなんにょ》を云はず、日ごとにニ、三人が頸を切つて」の部分を反映したものだと思われますが、「僧俗」とは、〝出家したお坊さん・尼さんと一般人〟という意味です。『逃げ上手の若君』では「」の部分がカットされていますが、大河ドラマ『どうする家康』で、家康の嫡男・信康が僧を切り殺したというので周囲が驚き慌てていた場面があったように、「僧」の殺害は即地獄行きという仏教の教えが浸透していた時代でした。『太平記』の語り手が、宗広のことを「大悪人」と称するのは当たり前のことと思われます。
 そういうわけで私は、保科党の門番さんと結城宗広は、「大悪人」の〝記号〟として同じ顔だという理解をしました。冷酷な顔つきのキャラだと残虐になりすぎるという理由か何かで、平和な顔つきのキャラを「大悪人」にしているのかな、などいろいろと考えるのですが、いずれにせよ、この顔の破壊力は半端ないです。

 そして、大人たちの陰に隠れて、これまた見覚えのある目つきと「」の少年が最後のコマで描かれています。この少年がもし私の想定する人物だとすると、その父君は確かこの時には……と、ネタバレは嫌なので今回はここまでにしたいと思います。

〔『太平記』(岩波文庫)を参照しています。〕

 

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