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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(93)乱をめぐる「時行自身の意志」について考察する…そして、論戦を制するのは「理屈」ではなく「私情」であるとは、中世の思想的な課題に通じるものがある!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年1月12日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 足利直義の対談本「夢中問答集」

 『逃げ上手の若君』第93話の冒頭でいきなり登場したこの書物は、岩波文庫では、哲学・歴史・宗教のジャンルの本ですよ、という印の青帯が付されています。週刊少年ジャンプで南北朝時代を舞台とした作品が連載されるというだけでかなりの衝撃であるのに、こんなガチな本が作品内で紹介されるとは……足利直義も、彼の問いに答えた夢窓疎石(夢想国師)も、とても喜ぶのではないかと思ってしまいました。
 とはいうものの、実はこの「夢中問答集」に収録された話の中に出てきたある人物が、すでに『逃げ上手の若君』の中で、モブというにはかなり印象的な形で姿を見せています。ーー第50話の〝ビワばばあ〟です!

 このシリーズの第50回で、「夢中問答集」(筆者の本文では「夢中問答」)と〝ビワばばあ〟について取り上げていますので、興味のある方は読んでみてください。
 松井先生は、どうやら足利直義を高く評価していてお気に入りなんだろうなあと思う一方で、ここまでで敗北した庇番衆とはケタ違いの時行たちの拒絶反応っぷりにも注目ですね。

 次の話題に移る前に、夢窓疎石についてと、私の持っている岩波文庫の『夢中問答』の写真(古本で購入して、五十年前以上の本です。週刊少年ジャンプらしからぬのが一目でわかるかと思います(笑))も掲載しておこうと思います。

夢窓疎石(むそう-そせき)
1275−1351
鎌倉-南北朝時代の僧。
建治(けんじ)元年生まれ。臨済(りんざい)宗。無隠円範,一山(いっさん)一寧にまなび,高峰顕日の法をつぐ。京都南禅寺,鎌倉円覚寺の住持,甲斐(かい)恵林(えりん)寺,京都臨川寺,天竜寺などの開山(かいさん)。後醍醐(ごだいご)天皇,足利尊氏らの帰依(きえ)をうけ,夢窓派を一大門流とした。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年9月30日死去。77歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。諡号(しごう)は夢窓国師,正覚国師など。著作に「夢中問答集」など。
【格言など】人は長生きせんと思わば虚言をいうべからず
〔日本人名大辞典

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 「そもそもこの乱は本当に時行自身の意志なのか?
 「お前は周囲の大人に操られている事に気付いていない

 この足利直義の発言は、中先代の乱とその時の時行の年齢を考えれば、現代の私たちでも一度は考えることではないでしょうか。
 『中先代の乱』の著者である鈴木由美氏は、ご自身の講演会の際に、乱を起こした際の時行の年齢を『逃げ上手の若君』の設定よりもさらに幼く想定していました。しかしながら、〝子どもであっても嫌だというものは無理には引っぱり出せない〟〝時行に自分の意思はあったと信じたい〟とおっしゃっていました。ーー私も鈴木氏と同意見です。詳しくはネタバレになるので伏せますが、時行の実際の生涯から推測しても、「大人に操られて」終わった一生だったとはどうにも思えないのです。
 また、先にこのシリーズで吹雪とその父親のことに触れた時に、中世とは「自力救済の社会」であると述べました。幼子の時行であっても、否、時の為政者一族でありながら何もかも失った時行が、その時代における生存の原則から外れる選択をする可能性はおそろしく低いのではないかと思うのです。
 乱世であればあるほど、自分の意志と決断こそが、生の証とも言えます。

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 さらに、作品内の諏訪頼重にも注目してみたいと思います。
 まず、諏訪氏お得意の先読みで、直義との対決が「問答」となることは想定内であったのがわかります。しかしながら、時行が十歳とはいえ、理解できるように仕込んだのは、頼重が単なる頭脳派というだけでなく、教育者として優れているのがうかがえますね。
 そして、時行が「言葉の圧に潰されそう」になるのを傍で見ていたはずですが、あわててかばったり、言葉をさしはさんだりせず、直義が調子に乗ってしゃべるがままにしておき、時行が直義の理のほころびを見つけるまで待っていました。

優れた教育者の顔を見せる諏訪頼重(時行との間にあるお互いの信頼も実は見逃せない…)

 「確かに問答はたっぷり憶えて頂いたが」「その過程で時行様は… どういう政治が悪い政治が悪い政治なのかしっかり理解されましたな

 やはり頼重が優れた教育者であることわかります。
 第一に、はかりしれない恩義がある北条氏だとしても、「北条政権にも修正すべき点はあった」として、偏った見方や感情に基づいた判断をしなかったところです。
 第二に、おそらく頼重は古今の多くの事例を教えた上で、時行がそれらから共通点等を見出し、正しい答えを導けるよう、自分自身で考えさせていたであろうところです。そうでなければ、この極限状態で、直義の言葉の鉄壁に隙を見つけることはできなかったでしょう。 
 第4話で、諏訪に連れられてきた最初の時行が、「武芸と学問で鍛錬」するとはりきる頼重から逃げ回っていました。このことを思い出しても、『逃げ上手の若君』の時行は、「自身の意志」で頼重の与えた教育を受けたのだというのが想像できますね。
 そして、いくら優秀な子どもでも、人から押し付けられた動機では最後の踏ん張りがきかないのを、私は何度も見てきています。足利兄弟への憎悪、鎌倉奪還……時行のこの「強い私情」を私たちは見落としてはなりません。

 「気持ち悪いし大ッ嫌いだ!!

 「理屈」を捨て、堂々と直義と足利に〝NO!〟を突き付ける時行。ーー秩序の中で執り行われなければならない論戦では、「私情」を持ち出すのはルール違反でしょう。しかし、ここは戦場です。時行のとった〝感情押し〟は、実は論破の決め手となります(どうか、学校の教室や会社の会議などで悪用はしないでください…)。
 直義の「上辺だけの情け」のその正体は、感情ではなく、知性とか頭脳とかに属するものです。このシリーズでたびたび取り上げている鎌倉時代の僧・一遍が最後に行きついたのは「情」であったと、私の師匠は主張していますが、鎌倉時代の人の多くは頭でっかちで、仏の教えを理屈で理解しようとして、〝結局そんなものはない〟という虚無に陥ってしまいました。
 あまりに現実が厳しいからというのもあると思いますが、それでも生きていることは素晴らしいということを、一遍はまず、踊って楽しいという感覚で人々とわかちあいました。晩年には、阿弥陀如来が誰でも救うと約束して修行したような純粋な心を、人間だって実は持っていることにしみじみと思い至ったようです。美しいものを素直に美しいと思ったりするのもそうです。人が死ねば悲しいし、自分はダメで情けないと思ったりするのも、すべて仏様の慈悲(限りない思いやり)に通じるものだとしました。人の持つこうした「情」が、多くの人々の頭でっかちを打ち破ることができるとしたのです(その魔法の言葉が「南阿弥陀仏」なのです…)。
 『逃げ上手の若君』の中でも、地頭となった瘴奸が、村の女の子が自分を思う気持ちにだけは心動かされ、「死にたくない」と涙して果てました(第64話)。実際、人を本当に動かすのは、理とか智ではなく、血の通った気持ち、感情なのです。それは、「気持ち悪い」「大嫌い」というネガティブなものでも同じです。
 そのような、鎌倉・南北朝時代の人々が持つ思想的な課題は、まさに現代人の課題でもあるのですが、子どもの視点で真っ向から問う『逃げ上手の若君』には、本当にはっとさせられることばかりです。

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 「仮にお前達が天下をっても 私なら決して心からは従わない!

 これに続く時行の「予言」。頼重の未来予知よりも説得力がありますね(笑)。そして、時行がこれまで対峙してきた小笠原貞宗、瘴奸はもちろんのこと、小手指ヶ原で直接戦った今川範満に対する態度とは全然違って、敵意むき出しです。
 子どもの感覚は鋭敏です。時行が指摘する、直義の「情けのないその正義」こそ、彼にとって庇番衆がコマに過ぎなかった証拠、帝にさえ反旗を翻すであろう証拠にも等しいのです。ーー鎌倉を出ての論戦で敗れた直義、本当に「戦が弱い」のかを次から見せてもらいましょう。


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