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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(99)パンクな老匠・正宗登場! 戦う女性・秕でちょっとだけおさらいと足を使う攻撃はあり?  

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年3月5日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第99話の冒頭では、前回のキラキラ時行一転、二年ぶりの故郷・鎌倉で、郎党たちを引き連れ、十歳の子どもらしい時行の様子が描かれていました。
 「敵の残党いたら刺されっぞ
 「言わんこっちゃない
 「鎧着てりゃ無傷だろ…
 お約束のごとく転んじゃう時行って…と苦笑しましたが、雫の「はしゃぎすぎないで」の声掛けに比して、玄蕃、吹雪、弧次郎の反応が、ああ、男同士だよね…と妙に納得してしまいました(三人の性格の違いもよく表れていますね)。

 そして、ここで秕(シイナ)という女性が登場します。「主を失い刀も握れぬ空虚な者」と言ってその名を明かす彼女ですが、「」には次のような意味があります。

(1)からばかりで実のない籾(もみ)。十分にみのっていない籾。しいだ。しいなし。しいなせ。しいら。
(2)草木の果実のよくみのっていないもの。転じて、中身の欠けているもの。からっぽのもの。価値のないもの。
〔日本国語大辞典〕

 秕も亜也子同様に、武に秀でた女性ですが、亜也子が憧れる巴御前のことについては、以前にこのシリーズでもとりあげました。

 現代でも、格闘技やスポーツで活躍をする女性がたくさんいますから、当時だって運動神経や戦闘のセンスにすぐれた女性がいたと思います。そして、これも何度か触れてきましたが、中世は自力救済の社会ですから、亜也子や秕のような戦う女性は、私たちが思うよりももっとたくさんいたのかもしれません。

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 初代正宗
 鎌倉に生き、滅亡も見届けた伝説の刀工

 第99話では、こんな有名人も登場しましたね。
 パンクな老人の姿でびっくりしましたが、現代ならば技術系のデザイナーといった感じなのでしょうか。『逃げ上手の若君』の作品世界ならば、確かにこんなイメージであながち間違いではないのかもしれません。
 実際の正宗について、「世界大百科事典」には次のように記されていました。

正宗(まさむね)
 鎌倉末期の相模国鎌倉の刀工。生没年不詳。新藤五国光の弟子で,のち同門の行光の養子となったと伝える。一般に相州物は地沸(じにえ)が強く,地景(ちけい)の入った鍛(きたえ)に,沸の強い,金筋・砂流しのかかった刃文に特徴があるが,この相州伝といわれる作風を完成したのが正宗である。作刀は太刀と短刀があるが,太刀はほとんどが研ぎ上げられて無銘であり,有銘作は名物の〈京極正宗〉〈不動正宗〉〈大黒正宗〉のほか〈本荘正宗〉の4点の短刀があるにすぎない。作風は硬軟の地鉄を組み合わせた板目鍛に地景がしきりに入り,刃文はのたれ刃を主調として互の目(ぐのめ)を交え,沸が烈しくつき,金筋・砂流しのかかった強靱さと美しさを兼備する。正宗は全刀匠中第一の名工とうたわれているが,すでに秀吉の時代から第一にあげられており,江戸時代に編録された《享保名物帳》には吉光,郷義弘とともに三作の筆頭として,最も多くの作品が掲載されている。

 ※地沸…(「にえ」は日本刀の刃と地肌の境目に粒子状の銀砂をふりかけたような輝きのあるもの)地肌にかかった沸(にえ)。
 ※地景…刀剣の刃文(はもん)の一つ。金筋がはいっているように見えるもの。
 ※鍛…特に日本刀の鍛錬法。鉄を化学反応を起こさせて良質にすることで、玉鋼(たまはがね)を熱し、打ち、折りまげなどをくり返すこと。大別して古代に用いられた丸鍛えと合わせ鍛えの二法がある。鍛刀法。

 東京国立博物館が収蔵している正宗の写真です。私は刀剣はまったくわからないのですが、博物館で展示してあるのを見ると、彫刻や絵画とはまた違う美しさと存在感を放っています。

短刀 - 「無銘 正宗」相州正宗(重要美術品)、鎌倉時代。東京国立博物館。

 ちなみに、「銘のある作品がきわめて少ないところから、正宗抹殺論も唱えられたが、最近はその実在が確認されている」〔『日本中世史事典』〕ということです。「抹殺論」というのは、単なる物語や伝承の世界の人として、学説的にその存在が消されることを言います。
 まあ、突出した才能の持ち主にとっては作品がすべてで、そんなのは「多分正宗殿は興味ないです」かもしれませんね。

 先に引用した「世界大百科事典」には、

 なお鎌倉市佐助ヶ谷入口付近に正宗屋敷跡とされる地があり,刀を鍛えた〈正宗の井〉もある。また同市本覚寺には正宗の墓と伝える石塔が存する。

という伝承も記されていました。

正宗は、政権が変わったことも気づいていない(どうでもいい)のかもしれない…

 また、『故事俗信ことわざ大辞典』には、

正宗で薪割わる
正宗の刀で大根切る
つまらないことに大事な道具を使う。まちがった使い方のたとえ。

正宗の刀も=持ち手による〔=使い手次第〕
どんなにすぐれた物も、使う人がよくなければ真価を発揮できない。

正宗も焼き落つれば釘の価(あたい)
名刀も火事で焼ければ、くず鉄の値打ちしかない。衰えたものには、以前の威力がないことのたとえ。

といったことわざが掲載されており、名刀=正宗という一般的な認識があったことがわかりますね。

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 「あ 脚の刀!?

 弧次郎と吹雪、玄蕃が驚いて声を上げていますが(玄蕃は秕姉さんの生足にニヤけてるだけ…?)、指を失った女戦士と、その彼女に太刀よりももっと本人にふさわしい刀を与える「名声に似合わない奇抜な発想」をする伝説の名工の組み合わせーーいかにも少年漫画の展開!
 しかし、脚の刀を与えられた秕にとてもよく似合う「尼削ぎ」は、単に機能性を求めた(あるいは、髪が痛んでいたので切ってしまっただけの)「ショートカット」ではなく、当時は仏門に入った女性の髪形であり、主君を弔うためにもふさわしいと思いました。
 そして、足技ですが、ひとつ思い出深いエピソードがあります。
 教科書で読んだことがある方も多いと思うのですが、『平家物語』の「能登殿最期」で、壇ノ浦で今日を最後と奮戦する「能登殿」こと平教経のりつねが、自分のいる船に乗り移って来た敵を攻撃する場面にこのような表現があります。

 能登殿、これを見給ひて、先づ真先に進んだる安芸太郎が郎党に裾を合はせて、海へどうと蹴入れ給ふ。

 能登殿は、敵である安芸太郎の郎党に蹴りを入れて、どぶんと海に落としたのですが、「裾を合はせて」の部分がどうにもわかりません(今見ているビギナーズ・クラシックス日本の古典では「見事な足さばきで」、日本古典文学全集だと「裾と裾とを触れ合わせながら」と訳出しています)。
 かつて私は高等学校でこの部分を生徒に現代語訳させたのですが、とりあえず、注釈書類の訳が正しいとは思えず、その生徒には〝例えば、袖を合わせれば両手がくっつくから、「裾を合わせて」というのも両足がくっつくことなんじゃないかと思うんだけど…〟と伝えたところ、その生徒は突然〝ドロップキックだ!〟と叫びました。ーー彼はプロレスファンでした。ドロップキックとは、飛び上がって、両足をそろえた体勢で、相手の胸板なんかを蹴るプロレス技だそうです。
 私の師匠にこの話をしたところ、最初は〝鎧兜を着てできないでしょ(重くて…)〟と言われたのですが、実は、能登殿はこの直前に義経を取り逃がしてしまい、もはやこれまでと持っていた武器を海に投げ入れ、鎧兜も脱いで腹の周囲を保護する胴丸だけになっています。それを伝えると師匠は、〝その訳ありだ…〟と言いました(笑)。
 このように、イレギュラーではありますが、蹴りは十分に戦いの技として有効だったわけです。秕が、脚の刀に合わせて身軽な防具を戦いの場で付けるのであれば、時行の頼もしい郎党の一人となってくれそうですね!

〔ビギナーズ・クラシックス日本の古典『平家物語』(角川ソフィア文庫)、日本古典文学全集『平家物語』(小学館)、阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)を参照しています。〕


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