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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(148)北畠顕家が新田義貞と合流せずに伊勢へと向かったそのわけは……? (〝嫌な感じ〟の二人のままで終わらせたくないファン心理ゆえに調べてみた)

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年3月16日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 〝あれ、どこまでが「冥土」なの?〟という戸惑いで始まり、そして読み終えたという印象の『逃げ上手の若君』第148話でしたが、何度か読み直しているうちに、私たち読者は「三日も昏睡していた」時行の視点で事の成り行きを見ているのだと感じるようになりました。
 「昏睡していた」間、「羽を伸ばしたら」という一言で想像される諏訪頼重と時行との二人の時間がもしあったとしても、目覚めたら覚えていない〝夢〟と同じようなことが起きている気がします(私は爆睡か、夢を覚えていられないタイプなのでよくわかります)。
 しかし、たとえ思い出せないとしても、夢での出来事は無意識下に体験として蓄積されるようです。今後の時行に影響があるのか否か……占いや不思議体験に興味のある自分としては気になるところです。
 ひとつだけ、気づいたことがありました。

 「その優しさも失くすな この乱世には極めて貴重ななんじの美点だ

 第147話では、「峰打ち」で高師冬と戦う時行に対して顕家は、「時行よ 汝がここで死ぬとすれば その身に宿した優しさのせいだ」と語りかけています。ーー顕家の考えは、時行の行動とその結果を目にして変化しています。
 どうやら時行は、三途の川で頼重と出会ったことすら覚えていない(夢で会ったという記憶すらない)ようです。だから、頼重の「貴方様が歩んできた道は… 何一つ間違ってはおりませぬ」の声も記憶にないでしょう。そうではあるのですが、「冥土」にいる頼重の述べたことは、「敬意」とぬくもりをともなって、現実世界を生きる青年である顕家から時行に伝えられたのです。

 ※前回を踏まえての考察なので、読んでみたいという方は以下をご覧ください。

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(ここでの顕家は「汝」を使っていますが、のちには「若」に変えて
時行のことを呼んでますね。 ※どちらも「なんじ」と読んで二人称)

 さて、顕家は青野原を撤退しているのですが、古典『太平記』ではどんなふうに語られているのでしょうか。日本古典文学全集の現代語訳を引用してみたいと思います。

 国司顕家卿の軍勢三十万騎は、垂井・赤坂・青野が原に満ちあふれて、東西六里、南北三里に陣を構えた。毎夜の篝火を見渡すと、水星が明け方に北の地平線に沈むときのようであった。このとき、越前国では新田義貞・義助が北国を平定して、天下の形勢を変え、地を支配する勢いが大いに盛んであった。奥州勢が黒血川の敵陣を破ることがむずかしいようなら、あと戻りして越前国へ出て、義貞と一体となって叡山に上がり、京都の町を眼下に見て、南方吉野の官軍と示し合わせて、都を東西から攻撃すれば、将軍は京都を一日も持ちこたえなされまいと思われたのに、国司顕家卿は自分の大きな功績が義貞の忠功になることをねたんで、北国へ行って義貞と協力することもせず、また黒血の敵軍を破ることもできまいと思い、伊勢国を経て吉野殿(後醍醐天皇)のもとへ参上しようと、その大軍勢は空しく戦わず、美濃国を引き払ったのは、不思議な天運であった。

 あれ、顕家が悪者っぽい……? 「また黒血の敵軍を破ることもできまいと思い」とあるのは、『逃げ上手の若君』でも顕家が「大量の伏兵」の存在がわかり「青野原の突破は諦め回り道」とある部分と対応していますね。でも、「国司顕家卿は自分の大きな功績が義貞の忠功になることをねたんで、北国へ行って義貞と協力することもせず」というのは、公家の高飛車感が出ていて嫌な感じです。

 「え… そっちがこっちに来てくれるんじゃないんですか?

 蟹食ってる場合じゃないだろが、新田義貞! それとは対照的に、畑時能と堀口貞満は冷静ですね。『太平記』を読んでいると、義貞も魅力的に描かれてはいますが、部下たちが個性豊かで義にあつく、義貞は主君として恵まれていると思ってしまいます(畑さんとは、ここで本当に〝お別れ〟です……寂しい)。ーーなんかこの、松井先生解釈が〝当たり〟のような気がしてきてしまいました。戦略的に、顕家と義貞の合流がないというのがまったく原因不明の事態ゆえに。『太平記』の語り手も顕家のプライド説みたいな感じでおさめてしまっているのかもしれませんね(苦笑)。
 顕家が吉野を目指したというのは置いておいても、伊勢へ向かったことと、義貞と合流しなかった理由については、鈴木由美氏の『中先代の乱』でも確認してみました(私は義貞も顕家も二人とも好きなので、良くないイメージのままで終わらすのには、ちょっと抵抗あり……)。

 義貞も、南朝からたびたび上洛要請があったものの応じておらず(『神皇正統記』)、越前から動ける状況ではなかったと考えられる。顕家軍は長期の行軍に疲弊しており、伊勢に父北畠親房が培った勢力を頼ったと推測される。
 ※『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』…史論。北畠親房著。神代から後村上天皇までの歴史を記し、南朝が正統である由を述べ、著者の国体論・皇統論・神道論・政治論・武家論を各所に述べる。1339年(延元4)常陸織田城で執筆、43年(興国4)関城で修訂。
 ※顕家軍は~推測される。…佐藤和彦(『南北朝内乱』(小学館、1974年)の説に依拠。『国史大辞典』の「北畠家」の項目には、親房の子「顕能は南朝から伊勢国司に任じられ、一志郡多気を本拠として多芸御所と称され、子孫は伊勢国司をついだ。」とある。

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 第148話は、ちょいちょい小ネタがありますね。うつむいて赤面する亜也子と雫の反応集の動画がYouTubeのフィードに上がってきましたが、私としては、回想で登場する護良親王であるとか、読者からのクレーム回避的な雫の未来予知とか、「この人のキレ所はどこなの」の時行と顕家(顕家は、義貞の密書で血管浮いてるコマもヤバイ)の顔や、牡蠣から真珠が出てきて驚く玄蕃(ここでも雫の未来予知発動(笑))などで、一人盛り上がりました。
 玄蕃と言えば、夏の素性にやはり気づいていたのだと思いました。ーーまさか、わかっていて、事前に夏と組んで師直を嵌めようというのだとしたら相当ですが、夏も全身を震わせてまで師直の元に戻ろうとするなんて……と思いました。
 ここまで読んで、時行と同じペースでやっと現実に追いついた感があります。史実がわかっていても、玄蕃の「仕掛け」やらあれこれで、まだまだ一波乱、二波乱ありそうな雰囲気が漂います。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、鈴木由紀『中先代の乱』(中公文庫)を参照しています。〕 


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