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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(123) 武と美を誇る公家の青年・北畠顕家にキラキラ・オフという考えはありえない? そして、鎌倉最古の寺にも遠慮なし!の斯波家長

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年9月3日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第123話も北畠顕家はかっこよかったですね! 足利軍の武士たちが彼の輝き様を、「キラキラ」どころか「ギランギランでブリンブリンに光ってる」とは、よく言ったものです(笑)。しかしながら、顕家の「キラキラ」は、諏訪頼重の神力のように、自分でオン・オフできないものなのでしょうか。
 どこまでも自分自身であろうとする顕家にしたら、武と美を誇る公家の青年として当然の行動を取っているに過ぎず、キラキラを隠したり一瞬で身バレすることを恐れたりといった考えには至らないのだと思われます。
 現代では、「(おのれの)分を知る」とか「分際」とかいう言葉を否定的な意味に取ることがほとんでではないかと思います。ところが、『逃げ上手の若君』の顕家は、「生物には差も別もある」(第120話「顔合わせ」)という思想の持ち主であり、自分同様に、部下たち個人と集団が持つ特性に「敬意」を持つことで、彼らからその個別的な能力を最大限引き出しているのです。 
 各々がそれぞれに異なる個性と資質を持つ個人や集団に対して、そうではないものを強いることと、言葉は厳しいながらも自分たち自身であれということを求めることーー私たちにとって本当に苦痛であるのはどちらであるのかを、顕家を通じて考えさせられるのです。

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 「でもな顕家の旦那 やっぱあんたが直に見てくれ

 シリアスな顔の玄蕃。ページをめくると、斯波家長のいる杉本寺が1ページ丸々使って描かれています。ちなみに、現在の杉本寺はこんな感じです。

 (「杉本寺 公式」サイトより)


 「壁のような急峻な山に 無数のやぐらと堅固な柵 跡形もなく要塞化されている

 杉本寺の公式サイトには「天平六年に創建された鎌倉最古の寺。」とありました。ーーそれなのに家長君ってば、遠慮なくやってくれちゃってますね(頼重がかつて彼を「無遠慮」と評していたことに、まったく誤りはなかったということです)。
 ※天平六年…西暦734年。

 古典『太平記』によれば、利根川の戦いを受けて鎌倉で行われた足利軍の評定で、足利義詮が「敵大勢なればとて、ここにて一軍ひといくさもせざらんは、後難のがれがたく、敵のあざむかん事もっとも当たるべし」として、諸将に討死覚悟で戦うべきだと激励します。
 ※後難…後々の非難。
 ※欺かん…あざける。
 『逃げ上手の若君』第121話(「少年時代」)で義詮は、「面目」を気にして家長に泣きついていただけでしたし、家長の方は「義詮様の懇願」を想定して、はなから「次善策」を取って恩を売る気でいたという展開でした。一方の『太平記』では、将と兵たちが義詮の言葉で覚悟を決めて「鎌倉中に楯籠たてごもる」のです。もちろん、家長もその一人として描かれています。ーーう~ん、『逃げ上手の若君』の展開、黒いな。いや、単に家長が黒いのか。
 黒いと言えば、最近は家長に押され気味だった上杉憲顕が何やら怪しげな樽を持ち出してきました。樽には、一瞬佐々木道誉の顔かと思ったのですが、そうではなく髑髏らしいマークが入っています。ーー毒ですか!?
 戦いの結果はわかっているとはいえ、「最善策」を取らなかった家長、「策」に溺れるんじゃないかってハラハラします。

〔『太平記』(岩波文庫)を参照しています。〕


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