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【父の命日に(1)】父が最期に教えてくれた「後悔のない人生」

昨年12月23日、父が旅立ちました。享年82歳。

本当に幸せな人生を送った父でした。

父の死を通じて、私は「後悔のない人生」の一つの事例を知り、そして死への恐怖が和らぎました。

そんな経験がどなたかの安心材料になれたらと思い、書き残しておこうと思います。

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父は「後悔はない」と言い切った


1年半ほどがんと闘病していた父。

施せる治療が無くなり、あと数日で病院からホスピスに移るというある日、とても良くしてくださっていたソーシャルワーカーさんから電話をいただきました。


「お父様、本当に素晴らしい方ですね。


『木村さん(父)、やっておきたい事とか、行っておきたい場所などはありませんか?』


とお聞きしてみたんです。

そうしたら、


もう全部やり尽くしましたので、後悔はありません。満足ですよ


ってはっきりお答えになったんです。

本当に……素晴らしい人生をお過ごになられたんですね。」

と声を詰まらせながら教えてくださいました。


「平家物語」の空気感に通じる父の諦観


滋賀県大津市の琵琶湖のほとりで、平家の落人が建てたお寺の孫として育った父。

そんな父にはいつも、「諦観」としか言い表せないような不思議な空気感が漂っていました。


会社でうまくいかず落ち込んでいた私に、

「『平家物語』を読みなさい。あそこに全てがあるよ」

と話してくれたことがあったのですが、確かにあの中に漂っている空気感はそのまま父でした。


無気力な「諦め」ではなく、自分にはどうにもならないものには足掻かず、すっと諦めて受け入れる潔さ。


でもそれは冷たさとも表裏一体でした。


剥き出しの感情の交流を好む母は、

「パパは本当に何を考えているかわからない」といつも嘆いていたし、

それは私にとっても同じで、

どこか人を突き放すような距離感があった父に、

母からひどい攻撃を受けていた頃の私は「もう少し私を守ってよ!」と泣いて訴えたこともありました。


でも父とかなり似た思考回路を持つ私は(たぶん父もADHD)、

父とは何も話さなくてもお互いがわかりあえる心地よさを、結局はいつも感じていたのでした。


諦観の対極にある偏愛への情熱


ただ一方で、父のその静かで穏やかな皮膚の下には、偏愛するものへの情熱が沸っていて、ある意味誰よりも純粋にそれを追求していた人生ともいえました。

「電気」が3度の飯より大好きで、東芝のエンジニアとしてプラントや鉄道、送電システム、物流などあらゆる分野のプロマネとして世界を飛びまわっていた父。

未開の地や発展途上の国への赴任が多くかなり苦労はしたようですが、持ち前の諦め力を発揮しつつタフに淡々と進めていたようで、家族の帯同が許された3年間のブラジル駐在は父にとっても家族にとっても最高の思い出となりました。


そのまま父は亡くなる1ヶ月ほど前まで、それまでの経験を活かして自ら開拓したコンサルなどの仕事に嬉々と取り組んでいたのですが、歳をとっても自分を必要としてくれて夢中になれる仕事を持つことの幸せを私に見せてくれました。

また、同じくらい偏愛していたゴルフにも、痩せた体から驚くようなバイタリティーを発揮して、亡くなる直前まで元気な仲良しおじいちゃんたちと通いまくっていたのでした。

小学校5年の頃、ブラジルの海岸での一枚。とても好きな写真だったので、思い出が見守ってくれるようにと父の病室に置いていました。設置したときは特に喜ぶでもなく無反応だったのですが、荷物を置くため後ろにずらしたら「それじゃ見えないよ」と抗議され「なんだ、喜んでくれてたのね」と。この写真を見たファンキーな看護師さんが「わあおとうしゃん、イケメンさんでしゅね〜」と誉めてくださったので、見かけを気にしない父もまんざらじゃなかったと思います。笑


「やりたいことを全部やる」ではなく、「これでいいと思うようにした」


『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本に、多くの人が後悔を抱いたまま亡くなるということが書かれています。

それを読んで慄いた私は、父の最期に向き合うまで長いこと「いかに後悔なく死ねるか」ということに強迫観念に近いレベルで囚われていました。

あらゆる欲望や願望を満たしても、次から次にもっと強く湧き出てしまうのに、後悔がないとはどういう状態なのだろう。


でも、「後悔を残さずに逝った」人間は、こんなに間近にいたのでした。


最期の父を見ていて感じたのは、

「やりたいことを全部やる」というのではなく、

これ以上望めなくなったら諦めて受けいれ、

「これでいいと思うようにした」のではないか、


ということでした。


後悔と満足の割合


父はとても頑固な人間でした。こうと思ったら、しつこくこだわる。

でもある点を超えると、ぱっと全てを鮮やかに手離してしまう。すごくこだわりがあるようで無くて、興味の対象や気持ちが簡単に移り変わる。


この傾向を持たない方には俄かに信じ難いことだと思うのですが、私にも思い当たるところがあり、きっとこれは発達障害特有の「過集中と多動」の一種ではないかとも感じています。


コロナ禍が始まりかけた頃にがんが見つかり、クラスター発生による病院閉鎖などの影響を受けて治療開始が遅れた結果、ステージが一気に進んでしまった父。

「後悔はない」と最後に言い切っていたとはいえ、

最先端医療が受けられる別の病院へ転院もして治る気満々で治療に励んでいたので、もっとやりたい事や行きたいところがたくさんあったはずです。


病院に最後の入院をした際にちらりと見えた父の仕事の引き継ぎ書類には、「”一時的に”○○さんに引き継ぎます」とあり、退院してまだまだ人生を続ける気だったのは明らかでした。


でも父が色々な手を尽くした末に自らの死期を悟った時、きっとぱっと思考を180度反転させたのだと思います。


そうして、「もっと生きたい」という気持ちから、「そういえばいいこといっぱいあったなあ」とたくさんの楽しかった思い出にフォーカスすることにしたのではとないかと。


もちろん父の心中は私にはわかりません。100%後悔がなかったとも思っていません。


でも心の中の後悔と満足の割合を比べた時に、満足の割合がはるかに大きかった

だからこそあの発言が出たのだと、そう確信しています。

そしてもうそれで十分ではないかと思うのです。

するべきだったことを必死でやって「後悔のない人生」を目指すのではなく、起こった素敵なことにフォーカスして「満足と思える人生」。

必要なのは、思考の転換だけだったのかもしれません。



後編に続きます



父の闘病中にこのようなことも書いていました。これからものごとがここまで変わるとはこの時には全く予想もしていませんでした。


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