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『進撃の巨人』から考える戦争のこと

 この2,3日間でアニメ『進撃の巨人』のファイナルシーズン1と2両方を一挙に観ました。このシーズンは他国との戦争が本格的に始まった様子を描いたものです。昨今、日々ニュースでロシアのウクライナ侵攻が伝えられています、それも相まってかとても感じるものが多かったです。このホットな時に言葉にしようと思い、執筆しています。

ただ、まだまとまっていないのでお許しを(笑)なんとなく伝わってくれたら幸いです。

 本アニメで感じたことは、以下の通り。
・悲しみと憎しみが争いを引き起こす。そして繰り返す。
・戦争は人の欲望と憎しみの戦いである。
・人種差別って…

 自分の大事な人を何の意味もなく殺され、悲しみに暮れ、憎しみを生み、暴力によって解決しようとする。これは当たり前の感情だと思います。作中に出てくるパラディ島のカヤという女の子は、マーレからやってきたガビという女の子と出会います。カヤは巨人にお母さんを殺されました。マーレ人はパラディ島に住む人たちを「悪魔」と呼ぶほど敵対視しています。ガビもその一人。ガビはカヤに人種差別的な発言を浴びせるのですが、カヤが放った一言が私にとって衝撃的でした。

「私のお母さんが何をしたっていうの?」

ガビは「パラディ島に住む人が何千年も昔にひどいことをしたから」と言いますが、カヤのお母さんは何もしていません。ただその島に生まれただけ。
ガビも自分が学校で習ってきたことに気付きます。「悪魔」ではなかったのです。1人の男が言ったように「悪魔はすべての人間の中にいる」と。

 戦争は国と国同士の戦い。何百年、何千年も昔のことを掘り起こして憎しみという感情に身を任せ、引き起こしています。ロシアとウクライナのこともそう。背景は違うけれど、歴史を繰り返しています。ロシア兵も戦争を望んでいないのに戦争が起こっています。よくわからない正義を語って自分を正当化し、人を殺していきます。殺された側の人の中から憎しみを持った人が生まれ、また戦争が起きます。

なんで止まらないのでしょう。誰かが止めないと。どこかで連鎖を立ち切らないといけない。でも影響力を持った誰か1人の合図だけで戦争が始まる。人を殺しても憎しみが生まれるだけなのに...。

『進撃の巨人』はとてもメッセージ性の強い作品です。これほどまでに当事者意識を持って戦争のことを考えたのははじめてでした。

また頭の中が整理されたらnoteにします。

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