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フィレンツェ・ウフィツィ美術館レポ!【ローマ留学番外編】

お久しぶりです。年末年始はローマの寮が閉鎖されてしまうので、欧州の数都市を転々と旅行していました。年明けにフィレンツェに行ってきたので、その様子を紹介しようともいます。花の都と呼ばれるフィレンツェは、15世紀頃、華やかなルネサンスの中心地として繁栄した街です。


そもそもルネサンスとは?

ルネサンスとは、14 世紀から 16 世紀にかけて、イタリアからヨーロッパ各地に広まった文化運動です。古典文化(=古代ギリシア・ローマ文化)の再生により、人々は中世の厳しい教会支配から解放され、各人の個性を尊重する文化活動が盛んに行われました。中世を単に暗黒時代と称するのはもはや古い価値観ですが、ルネサンスという文化運動は、「厳しい中世から自由な表現ができる社会へ!」という表現で説明できます。もちろん、中世とルネサンス以降の文化芸術が完全に断絶されているわけではなく、カロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスなどを通して中世から滔々と受け継がれた精神がこの時代に最盛期を迎えた、と表現するのがより好ましいですね。

【花の聖マリア大聖堂】ことサンタ・マリア・デル・フィオーレ。フィレンツェのシンボルです。

ウフィツィ美術館訪問で学ぶルネサンス

フィレンツェのウフィツィ美術館・Galleria degli Uffiziはイタリア=ルネサンスを語る上で最も重要な場所です。誰もが見たことのある、有名な絵画が多数所蔵されています。身近なところで言うと、例えば、サイゼリヤの店内の絵画の元ネタは、だいたいこのウフィツィ美術館の展示品です。

入場したらまず2階(日本式3階)の回廊へ

美術館に入場したら、階段で2階のメインの回廊へ進みます。

肖像画、天井画、数多くの彫刻で飾られたこの見事な回廊こそ、ウフィツィ美術館の代名詞。大きな窓からはアルノ川にかかる有名な「ヴェッキオ橋」や、先ほど画像で紹介した「花の聖マリア大聖堂」のクーポラが見えます。廊下の銅像には、我が一橋大学のシンボル・マーキュリーを含む古代ギリシア/ローマ神話の彫刻や、『テルマエ・ロマエ』でおなじみのハドリアヌス帝やマルクスアウレリウス帝など古代ローマ皇帝の胸像が並んでいます。

ここで、有名な教皇の肖像画を見つけました。天井付近にひっそり飾られていたので、写真の画質が悪いのですが…

左は教皇ユリウス2世、右はアレクサンドル6世、どちらもルネサンス時代の教皇です。アレクサンドル6世は、大航海時代にスペインとポルトガルとの間で取り決められた教皇子午線(1493)の教皇として高校世界史に登場します。ボルジア家当主だった彼は、聖職売買や賄賂で教皇になりあがったと言われる悪名高い人物です。彼の息子(というか、カトリックでは妻帯が禁じられているので、本来教皇に息子がいること自体がおかしいのですが。この自由奔放さが、ルネサンスです。)チェーザレ・ボルジアは、イタリア統一を目指し、マキャベリに『君主論』で評価されたことでも有名です。

ユリウス2世はそんなアレクサンドル6世/ボルジア家の終生のライバルでした。彼の功績は、芸術の保護者としてミケランジェロやラファエロといったルネサンスの天才達に仕事を依頼し、バチカンのシスティーナ礼拝堂天井画や『最後の審判』、『アテナイの学堂』などの傑作を世に残すきっかけとなったことです。彼によって、16世紀初頭、ルネサンスの中心地が、戦火や不安定な政治で混乱したフィレンツェから、教皇が暮らすローマへと移されました。
まだ最初の展示室に入ってすらいないのに、こんなに興奮してしまいました。この調子で広大な美術館すべてを紹介できるのでしょうか。

ルネサンスのはじまり

『荘厳の聖母』ジョット

序盤の展示室では、ルネサンスの黎明期の様子を知ることができます。13世紀〜14世紀に活動したジョットは、制約的な(俗に「下手」「ゆるい」などと称される)中世の美術を進化させ、立体感や写実性を絵画に持ち込んだ画家です。この聖母子像は、背景が金箔でおおわれていること、手前の跪いた天使よりも奥のマリアとキリストの方が大きく描かれていること、マリアとキリストの表情が威厳に満ちて硬直的であること(とてもじゃないけど、赤ちゃんの表情には見えませんよね)など、前時代のビザンチン美術の特徴を色濃く受け継いでいます。一方で、洋服のしわの写実性や、祭壇の奥行き感など、これまでなかった新しい技法を取り入れていることが分かります。中世美術からルネサンスへ、歴史の変わり目に生きたジョットの作品は、唯一無二の革新性があります。

『ダンテの肖像』(画質悪くてショック)

細身で長身、思慮深い眉間のしわと高い鼻、赤い長衣と頭巾式の帽子、これこそまさに『神曲』の作者ダンテの肖像です。ダンテの肖像画は至る所で見かけますが、どれも上記の特徴を捉えているので(この絵が参考にされたとも)、パッと見ればそれがダンテだと誰でも分かるようになっています。特徴的な赤い服は、博識で社会的地位の高い男性を表すものだそうです。ダンテは『神曲』をトスカナ語で書き、文芸におけるイタリア=ルネサンスの先駆者として評価される人物です。

イタリアの2ユーロ硬貨の裏面のデザインは、ダンテの横顔です

ルネサンスの象徴?かわいい聖母子像

『聖母子と二人の天使』フィリッポリッピ

この絵画はウフィツィ美術館の中でもかなり人気の作品。私も大好き!特徴は、何と言ってもマリアの可愛さでしょう。美人で、優しげで、(当時としては)現代的なヘアスタイルの、親しみやすいマリア像。先ほど紹介したジョットの聖母子像と見比べてみてください。同じ聖母子像なのに、ここまで印象が違います。威厳第一だった中世美術から、理想的な「美」や人間らしさがもてはやされたルネサンス美術へ、絵画技法の変遷を体感できます。また、背景の風景画は、手前から奥に行くほど岩や建物が小さくぼやけ、所謂「遠近法」が誕生しているのが分かります。

この絵はもともと知っていましたが、実物はもっとかわいい。Che carino!(なんて可愛いの!)とイタリア人からも感嘆の声が上がっていました。ちなみに、作者のフィリッポリッピはカトリックの僧侶なのに若い修道女に一目ぼれして駆け落ちしちゃった破天荒な人です。めっちゃ色欲に身を任せてる。この美人のマリア像は、自慢のその若い妻をモデルにしたとかいないとか。

ボッティチェリの世界

『春』ボッティチェリ

先程の駆け落ち修道士、フィリッポリッピの弟子にして、ウフィツィ美術館の顔であるボッティチェリの有名な絵画。日本でも、資料集やサイゼリヤの壁で頻繁に見かける作品ですね。美しい人物たちもさることながら、背景や足元、人物の冠に見られる繊細な草花の描写が素晴らしい。美術館の解説によると、この絵画には138種類もの異なる植物が描かれ、ボッティチェリは標本等を参考にしてそれら全てを正確に描写したそうです。

足元の草花。まさに花の都フィレンツェを象徴するような絵画です。

ちなみに、画面一番左の赤い布をまとった神は、一橋大学のシンボルであるマーキュリー(ヘルメス/メルクリウス)です。右手をよく見ると、一橋の校章に使われている「ヘルメスの杖」を持っています。弊学は知名度が低いので、ここぞというときに宣伝しておかなければなりません。


『ヴィーナスの誕生』ボッティチェリ

『ヴィーナスの誕生』はウフィツィ美術館の所蔵品の中で最も有名な絵画です。古代ギリシアの彫刻を思わせる中央のヴィーナスの立ち姿が印象的です。

レストランのインテリアから書籍、アーティストのMVなど、様々な場所で引用されるこの絵画、実はウフィツィ美術館が作品使用料をめぐって訴訟を起こしています。2022年、フランスのファッションブランド「ジャンポールゴルチエ」がこの絵画を使用したTシャツやワンピースを発表し、これが無断の商用使用であるとして、ウフィツィ美術館が同ブランドに対して使用許諾と使用料の支払いを求めたのです。
しかし、この作品は製作から500年以上が経過し、とっくに著作権は消滅してパブリックドメインになっています。ウフィツィ美術館は、何を根拠に「勝手に使用された!!!!」と同ブランドを訴えたのでしょうか。
この事例では、著作権法ではなく、イタリア独自の文化財保護法である「文化財と景観の法典(ウルバーニ法典)」が根拠とされました。この法律では、文化財の商用複製利用の際に、事前の使用許可取得と使用料の支払いが要求されます。例えパブリックドメイン作品であっても、この使用料ルールは適用されるのです。美術作品の使用料に関する規定は、「美術品のイメージを守る」・「悪用を防ぐ=むやみやたらなくだらない二次利用を防ぐ」ため、とされます。しかし、だからといって「人類の共有財産として美術品をみんなで利活用する」というパブリックドメインの原則を歪めても良いのでしょうか。この規定に関しては、現在も様々な批判や議論が続いています。

このような厳しいイタリアの文化財保護制度、流石は憲法で戦争放棄より先に景観や芸術の保護を明記する国なだけあります…。こんなこと言われたらサイゼリヤなんて一発アウトなんじゃない?とか思いますが、どうなのでしょう。個人的には、ちょっと厳しすぎるなぁ、と思ったり。

参考

その他のボッティチェリの絵画たち

絵画の話にもどりましょう。ボッティチェリの絵は輪郭線がはっきりしているのが特徴で、人物の表情もどことなくシュッとしています。レオナルドダヴィンチ(輪郭線をぼかし、ふわっとしたタッチと明暗描写でリアルさを追求した)とは真逆のアプローチです。個人的には、ボッティチェリが描く人物たちの、キリリとした目元が好きだったりします。

ルネサンスの巨匠たち①レオナルドダヴィンチ

『キリストの洗礼』ヴェロッキオとその工房

ヴェロッキオは彫刻家としても活躍し、大きな工房を持っていたフィレンツェ屈指の芸術家です。が、今日では残念ながら本人よりその弟子たちの方が話題にされがちです。彼の弟子で最も有名なのは、万能の天才ことレオナルド・ダ・ヴィンチ。この『キリストの洗礼』の主な作者はヴェロッキオ先生ですが、左下の天使は当時弟子であった若きレオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けたとされています。確かに、もう一度全体像を見てみると、左下の天使だけ少し雰囲気が異なります(レオナルドがヴェロッキオ先生を手伝った部分は、ここ以外にも複数あります)。

髪の毛のふわふわ感や優美な表情、意味深な視線など、確かにここだけ雰囲気が異なります。

この絵画により、「弟子のレオナルドの技量に驚嘆したヴェロッキオ先生が自信を無くし、絵筆を折ってしまった」という逸話が後世に創作されました。そんなこともあり、ヴェロッキオ先生は現在ではすっかりレオナルドの引き立て役のように扱われます。
…でも、先生だって凄いんですよ!代表作で言うと、例えばダヴィデ像とか!!ダヴィデ像というと後世のミケランジェロ作のやつのほうが有名になっちゃったけど。まあとにかく、メディチ家とフィレンツェの街に愛された凄い芸術家だったのです。

さて、そんなヴェロッキオ先生の下で修業したレオナルドダヴィンチは、絵画だけでなく舞台演出や彫刻、さらには数学、力学、軍事工学など多様な分野で活躍した万能の天才であり、同時に完璧主義者として知られます。彼の作品制作は下書きや構想の段階で終わってしまうことが多々あり、ウフィツィ美術館所蔵の『東方三博士の礼拝』もその一つです。

『東方三博士の礼拝』レオナルドダヴィンチ

「出さない神レポより出すゴミレポ」という言葉がありますが、私はこの言葉にぶち当たる度に、レオナルドダヴィンチのことが頭に思い浮かびます。理想を追い求めるのも大切だけれど、完成させることに意味があるのです…。しかし、実際には、彼の作品に未完のものが多いのは「完璧主義のため細部にこだわりすぎた」というより、注文主に依頼をキャンセルされる、作品製作途中で別の作品の依頼を受けてしまう、構想が凄すぎて資金的に/物理的に実現が難しい、などの理由によるのだそう。天才にも色々苦労があるのですね。

ルネサンスの巨匠たち②ミケランジェロ

『聖家族(トンドドーニ)』ミケランジェロ

筋肉もりもりなマリアの腕が特徴的なこの絵画のは、レオナルドダヴィンチのライバルでもあったミケランジェロによって描かれました。彼はフィレンツェのアカデミア美術館に展示されているダビデ像の作者として、またバチカンのシスティーナ礼拝堂の装飾を手掛けたことなどで有名です。

※フィレンツェのアカデミア美術館(ウフィツィ美術館から徒歩15分くらいのところにある)のダヴィデ像。普段はレアな後ろ姿も鑑賞できます。この像は本来はウフィツィ美術館近くのヴェッキオ宮殿=フィレンツェ市庁舎の前に置かれていたそうです。現在その場所にはレプリカが置かれています※

ミケランジェロはレオナルドより約20歳年下で、そのさらに年下の画家がラファエロです。レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、という世代の異なる3人の天才画家が互いに影響を受け、その才能を発揮したのが、フィレンツェという街であり、ルネサンスという時代なのです。

ちなみに、ウフィツィ美術館は、コロナ禍の経営難などを解消するため、このミケランジェロの『聖家族』をデジタル化してNFTとして販売しました。その後この取引にイタリア政府が介入し、このようなデジタル画の取引に待ったがかかりました。絵画のデジタル複製は、美術館の新たな収入源、芸術へのアクセス権拡大など、多くのポテンシャルを秘めている一方、しっかりとした規制は未だ存在しません。イタリアでもまだまだ議論の余地があり、この『聖家族』はその論争によく引っ張り出されています。その点では、非常にタイムリーな作品と言えます


ルネサンスの巨匠たち③ラファエロ

ラファエロ・サンティ『アーニョロとマッダレーナ・ドーニ夫妻の肖像』

この優美な夫妻の肖像画は、ルネサンスの貴公子・ラファエロによるもの。この夫妻はフィレンツェの上流階級で、先ほどのミケランジェロの『聖家族』の絵画の依頼主でもあります。そのため、美術館ではこれらの絵は同じ部屋に展示されていました。妻マッダレーナの手の配置は、ラファエロが尊敬した先輩画家レオナルドダヴィンチの『モナリザ』に影響を受けたとも言われています。ルビー・サファイア・エメラルドと真珠を贅沢に使ったペンダントや、青い袖部分の模様など、彼女の贅沢な服飾は、当時の貴族の暮らしぶりを現代の私達に伝えています。

ラファエロと言えば、聖母子像の画家としても知られます。美しく優しげな聖母マリアと、純粋無垢な幼子イエス、子どもの姿のヨハネを、三角形の構図で描くスタイルが特に有名です。筆者はフィレンツェを訪れた1週間前に、オーストリア・ウィーンの美術史美術館で、ラファエロによる聖母子像を鑑賞しました。

ラファエロの聖母子像の比較

左がウィーンの『牧場の聖母』、右がフィレンツェの『ひわの聖母』です。どちらもマリアの頭を頂点とするピラミッド型の構図であることが良く分かります。「シンプルさの中に調和があり、完璧で理想的な美のイメージを生成した」と言われるラファエロの作品、確かに「優美」という言葉がぴったりです。


ラファエロの自画像

優美な画風が特徴的なラファエロですが、画家自身もまた優美な人でした。こちらはラファエロの自画像です。彼の描く聖母マリアが美人なのはラファエロが女性にたいそうモテたため、とも言われるほどの人気者だったそうです。女性関係はともかく、複数の教皇から信頼を得て仕事を獲得し、16世紀の画家ヴァザーリに「優雅さ、学問、美しさ、素晴らしい服装」と称賛されるなど、人々から好ましく思われていたの事実のようです。黒い瞳が美しいルネサンスの貴公子は、37歳の若さで亡くなり、今はローマのパンテオンに静かに眠っています。

時代を動かした偉人の肖像

ジョルジョ・ヴァザーリ『ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像』

ラファエロをあらん限りの称賛の言葉で評価したヴァザーリの作品もありました。彼が描いたのは、フィレンツェ最盛期のメディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチ。ヴァザーリが生まれた時点でロレンツォは亡くなっていたはずですが、死後も民衆から支持される人物だったようですね。イル・マニーフィコとは、イタリア語で「偉大な(人)」という意味のあだ名です。ロレンツォは卓越した外交力で各国のパワーバランスを巧みに調整し、小国の野心渦巻くイタリア半島に束の間の平和をもたらしました。また、彼はボッティチェリや若いミケランジェロなど優れた芸術をパトロンとして保護し、活躍させました。平和な世の中と自由な風土、文芸を重要視するロレンツォの姿勢によって、フィレンツェはルネサンスの都として輝いたのです。
ロレンツォが1492年に僅か43歳で亡くなると、メディチ家は一時的に失墜し、フィレンツェを追い出されてしまいます。代わりに台頭したのがサヴォナローラという宗教家で、華美なフィレンツェのルネサンス文化を批判し、美術品等を燃やす「虚栄の焼却」がフィレンツェ市庁舎前の広場で行われました。このサヴォナローラに感化されてしまったのがボッティチェリで、ロレンツォの死後、彼は『ヴィーナスの誕生』のような神話をモチーフにした華やか絵画を描くのを止め、晩年になるほど暗く厳格な古い画風になっていきました(もったいない…!)。『春』や『ヴィーナスの誕生』といった傑作たちが燃やされなくて良かったです。
さて、結局サヴォナローラは教皇アレクサンドル6世(この記事の一番最初の肖像画の教皇)に破門され、最終的には美術品が焼かれたのと同じ広場で火刑に処されました。
フィレンツェのシニョーリア広場には、彼が火刑にされた場所を示す銘板が残されています。

道行く人の足元で、フィレンツェ激動の歴史をひっそりと伝える

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クラナハ『マルティン・ルターの肖像画』

宗教改革で有名なマルティン・ルターの肖像画です。ルターは1517年に免罪符の販売と教皇の権威に反対する95か条の論題をウィッテンベルクの教会の扉に掲示し、プロテスタント誕生のきっかけになりました。宗教改革については中学校で習うので、ある意味この美術館で最も有名な人物の一人かもしれませんね。
ルターに批判された教皇レオ10世は、先ほど紹介した「偉大なる」ロレンツォの次男、ジョバンニ・デ・メディチです。レオ10世は前任の教皇ユリウス2世(この記事で最初に紹介した二人の教皇のうちの一人)や父ロレンツォに倣い、芸術家を保護してルネサンスに貢献しました。特にラファエロを気に入っており、彼が若くして亡くなった際はいたく悲しんだそうです。ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の建設費用という名目で、ドイツのフッガー家が一枚噛んだ状態で販売された贖宥状は、宗教改革の直接の発端になりました。

Justus Suttermans『ガリレオ・ガリレイの肖像』

ガリレオ・ガリレイは16世紀イタリア出身の偉大な天文学者です。ピサの斜塔を使った球体実験(創作説あり)や、望遠鏡での天体観測、振り子の等時性、地動説の擁護及びそれによる異端審問などで知られます。彼の活躍時期はこれまで紹介した絵画や人物より後になりますが、ルネサンスから科学革命の時代にかけて活躍した人物として、今なお尊敬を集める人物です。
ウフィツィ美術館の近くにガリレオ博物館という施設があり、そこには見事な天球儀や古い望遠鏡、中世の地図などが展示されているそうです。残念ながら私は訪問できませんでしたが、宮崎駿監督が『君たちはどう生きるか』制作時にこの博物館の天球儀の写真を参考にしていたことがNHKの密着ドキュメントで明らかになり、筆者の中で話題になりました。『君たちはどう生きるか』は2024年1月現在ローマで公開中、バス停近くの看板にも広告が貼ってあります。
また、人気漫画『チ。地球の運動について』とNHKの番組がコラボした際にも、このガリレオ博物館が紹介されていたので、是非行きたかったのですが…。今は大人しく『チ。』のアニメ化を待つばかりです。

終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。本当はヴェッキオ宮殿やアカデミア美術館についても紹介したかったのですが、思いの外長くなってしまったので、今回はここでお別れとさせていただきます。

絵画の制作年や解説は、ウフィツィ美術館の公式サイトを参考にしました。


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