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長崎異聞 1

 橘醍醐は、女心が分からぬ。
 また異人の心持ちなど、雲の上の話だ。
 醍醐は無聊ぶりょうを囲っている。
 お家は東京にあり、旗本八万騎の一角を代々務めている。けだし父は肺病を患い、家督は兄が継いでいる。だが兄も妙な咳を季節の変わり目にはするようになって、醍醐は実家に呼び戻された。所謂、部屋住みという宿り木のような数年を過ごした。
 つまりは兄の死が近いのではないか、と。お家のために次の当主として、囲われていたのだ。果たして兄は恢復して、しかも父も安泰である。そこで醍醐の処遇にお家は困り果てた。
 間を置かずして醍醐は長崎奉行所に赴くこととなる。
 時は慶応26年、将軍慶喜公の治世も30年近くになる。
 明治帝は西京(京都)におわし、慶喜公が江戸城を政庁としていたが、大日本共和国憲法の発布を前に貴族院議事堂が建設されている。
 醍醐はその落成を楽しみにしていたが、今は西の果てにある。この眼で見ることは叶わず、絵葉書で目にすることになるだろう。
 けだし彼には不運が付きまとう。
 蒸気機関車で神戸へ、黒船に乗り換えて長崎に。
 長い旅の果てに着任してから、分かった。
 長崎の小高い丘に建つ長崎奉行所には、彼と同じ境遇の子弟が使命拝領までの長い列を作っていた。ここでも小遣いのような報金を受けて、たまに仕事があるが大部屋での待機時間の方が遥かに多い。
 ここでも部屋住みの扱いに等しい。

 夕暮れも近くなり、大波止まで降りてきた。
 そこには米穀倉庫が居並んで、海への視界を遮っている。
 清国との関係がきな臭く、近く戦さがあるやもしれぬと酒場で声が聞こえてくる。酔客は威勢だけが一人前だ。その節は醍醐のような立場では、護国の鬼となる覚悟である。
 大波止にはガス灯が並ぶ大通りがある。
 おでんを売る屋台の他に、中華そばを売る屋台がある。四海楼の中華そばは高価すぎて彼の胃袋には入らぬ。
 腹を満たしてそぞろ歩いていると、鈴を鳴らして新聞売りが歩いている。何度か買ったが、それは丸山遊郭の記事が目当てであり、その後に恥じて便所の落とし紙に使った。
 その晩は記事を読んで持ち金を全て懐に入れて、おっかな思案橋まで歩いたが、その先はついぞ歩めなかった。そんな己の怯懦を恥じた。
 長崎奉行所までの長坂を上ると、左手に西洋風の瀟洒な店があるとも聞く。
 仏蘭西の砂糖菓子を売っているという。
 およそ彼には縁遠い場所に思える。
 その給仕をするのは瑞西スイスから遥々来た娘だと聞いた。
 欧州のどこかであろうかと、地図を思い浮かべては彷徨うだけだ。
 風の噂では名はユーリアというらしい。舌を噛みそうな名前だ。髪が芝犬よりも明るい金色に光るという。その肌は初雪よりも白いという。その姿は天狗がそうであるように噂だけがひとり歩きをしている。その目で見たと言う者を、誰も知らぬ。
 砂糖菓子がいくらするものか、醍醐は分からぬ。
 分かるのは己が怯懦と無聊と、覚悟のみである。


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