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伏見の鬼 12

 黒牛の名は喜八という。
 やはり百姓の出という。
 丹波山中では綿花栽培が盛んで、佐治木綿と名高く、京においても広く売られてきた。
 木綿織は専ら女手の仕事であるが、其れを担いで売りに行くには屈強な男衆の役割である。喜八はその生業で京を度々往復し、都暮らしに耽溺してゆく。
 遂には酒に目が眩み、女に騙され、売上を旅籠で盗まれてしまう。その弁済から逃げたうえ、失態を恥じて郷里には帰れず、流れ流れて妓楼の飼い犬になる。
「それで剣の道は、師匠か誰かについたのか」
 喜八は頭を掻いて、この身上のみでごぜぇますという。その体躯の威圧のみで震え上がるのは、商家の輩程度であろうが。
「浪士組と斬り合いはしなんだか」
「はぁ、実は」
 やはりお仕着せ羽織に身を包み、二晩も逗留した浪士が居たという。その風体を詳しく聞くと、芹波鴨の一派の様である。
「・・よくも荒事にならなんだ」
「わては、見かけより弁が立ちまさぁ」
 悪びれず抜け抜けという。
 仔細を語らせると、成程と腑に落ちる部分がある。行李を担いで京で売り歩くには、屈強な押し出しだけではなく、巧緻な弁舌が肝心なのだろう。

 妓楼の楼主は、鼻が利く。
 懐具合は顔に出るという。
 その浅黄色の羽織の三人は、路銀しか持たず、それで遊ぼうという手合いだったという。
 それでまずは値の張らぬ古参の娼妓をつけた。
 三人に対してひとりである。それでは三竦さんすくみとなって狼藉には至るまいと考えた。だが粋を解さぬ無法者は、事に及んだ。あげくに娼妓が足りぬと喚き散らした。
 それで余計目に燗を付けて酒を運び、愈々いよいよ喜八が乗り込んでいく。
 襖を開くと、下腹にも肉の寄った娼妓に、三つ巴で腰を使っていた。
 抜けない刀は飾りに過ぎない。
 抜けない侍には仕置きがある。
 喜八は踏み込んで太刀掛たちかけを蹴倒し、全裸の無頼者をしたたかに殴り付けた。そうして慌てた楼主に一計を案じたのである。

 おまはんら、今日の水揚げを払っておくれやす。
 何、手持ちがないと。壬生のお仲間があんじょう都合を付けてくれると。
 それは剣呑、剣呑。
 ではこうしまひょ。
 伏見には鬼が出るといいますわ。この五条花街では持ち切りの噂でございます。鬼が怖くて御馴染みの足が遠くなってかなわんと。
 どうかそれを退治頂けましたら、それを今晩のお代として受け取りまひょ。ええでっか、ちゃんと鬼の首を取ってくるんでっせ。

 あの楼主のその芝居であれば、お捻りでも投げたくなる。
「で、鬼は居るのか」
「居やしませんわ。いやなに、ご主人様が惧れていたのは、壬生から大勢が寄せてきて、てんやわんやの踏み倒しになることで。それよか連中の心根に借りを持たして、居らぬ鬼を探しにいかせるか、もしくはこれ幸いと都落ちしてもらうか。
 難儀なんはうちの娘さんや。んでも美味しいもんでも食べさせりゃ、曲がった臍もすんなりなりますもので」
 成程、この男、処世の知恵は回る。
 借りを負えば逃げるも一計となる。
 また古巣を頼り、恥の上塗りも避けるであろう。
 そもそもこの男こそが、恥逃れの風来坊ではないか。

 
 

 

 

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