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人魚の涙 27

 驟雨しゅううが石畳みを打ちのめしている。
 傘の上で大粒の雨滴が跳ねている。 
 梅雨の始まりを雷鳴が告げている。
 雨滴の逃げ場のない細道を急いだ。
 歴史文化資料館の閉館直前が迫っているが、同期の仲で橘には待ってもらっている。彼の方から興奮した口調で診療所に電話があった。
「古文書が見つかった。人魚の記録なんだ。お前、人魚について調べていたろ」
 勤務時間が明けるのをじりじりと待って、徒歩でそこへ急いでいる。全周を回っても30㎞に満たない島だけあって、中心部は殆ど徒歩圏内にある。
 神門さんにも一報を入れていたので、彼の方が先に着いている頃合いだった。黒い漆を塗られた玄関を潜った瞬間に、辺りが一瞬明るくなり、落雷の響きが届いた。
「いや、酷い天気になったな」と言いながら傘を畳み、足元に付着した水滴を手で払った。水分を吸いすぎた靴はもう絞れそうだ。
「まあ、これも運不運だな」と橘が迎えてくれた。

 橘がipadを開くと、その日本画が姿を現した。
「すまんな、味気がない公開で」の声を両人で黙殺した。
 薄い実りかけの乳房に対して、量感のある魚体の下半身、黒髪であることが違和感ではある。しかし脳内に彼女の容姿が思い起される。
「まさしく人魚だな」
「ああ、人魚に違いない。橘、これはどこのものだ」
「これは九州文化博物館の資料だよ。本物は博多の寺所蔵のもので、企画展などで公開がされている。そのライブラリを見つけた」
「これに関連があるのか」
「ああ。この雄賀、雌賀島の夫婦諸島がな。古事記には両児島と記されたといわれる。夫婦ではなく、親子とされたんだな。それでここの隅に《両児在て》と記載がある」
「この文献はいつの時代のものだ」
「貞永という鎌倉期の年号があるので、古代のものとは違うな」
 神門さんは自らのスマホを取り出して、ライブラリを開いている。
「・・先週にな、彼と亜瀬あぜと思われるポイントに潜ったんだが」
 いくつかの写真を指で送る。
「ここにな、木造船が沈んでいた、鎌倉時代というと、これは元寇あたりの船なのか。かなり古いものに見えるんだが」
 橘はそのスマホを取り上げ、拡大したり細部に見入っていたが被りを振った。
「いや、これは和船だな。この棚板造りの構造に通釘とおりくぎらしきものがある。この形状だと鎌倉時代よりもまだ新しい。江戸期か・・・古くて戦国期くらいかな。そうだな、松浦党の捕鯨船か、戦さ船かもしれない。それにしても大発見じゃないか」
 橘が息を弾ませる。よほど状態がいいものだろう。
「ここは潜りやすそうか?」
「いや。強い底潮そこじおが流れている、経験者でないと危険だな」
 それに、人魚が棲んでいる。
 

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