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風花の舞姫 鬼篝り 2

 下着は普段から付けてない。
 お祓い事が本業なので依頼の執務中は、脱衣が簡単なワンピースを選ぶことが多い。着替えに時間と手間を取られたくないのだ。
 肉体を縛るようなぴったりとした服も嫌い。
 特に金属芯を感じるような下着なんて、ひとつも持っていない。
 長襦袢を着て、緋色の袴を履き、雁が描かれた千早ちはやを羽織り、帯を締める。長い髪を後頭部から一本に束ねて、半紙で巻いて鳶色の紐で括った。最後に髪飾りを被り、珊瑚のかんざしまとめた。
 祭壇のお道具から、選んだのは娘時代から使っている小太刀だ。白鞘の懐刀の誂えをしているが、ずっしりとした量感がある。
 それを帯にさして、本堂に縄を四方に張って結界を作った。一辺が二間ほどの正方形の結界に、一尺おきに紙垂れを掛けておいた。
 さあ、お勤めを始めるわ。

 緋扇を手に取って、執務所の夫妻を誘った。
 結界の中央に五寸三宝を二台置いて、左側にお嬢さまのノート、反対側に半紙を四つ折りにして、御神籤おみくじのように結んだものを二つ置いた。
 巫女舞の儀。
 神楽の囃子はやしもなく、千早の衣擦れの音と板間に響く白足袋の音に、朗々と謡う私の祝詞だけが舞っていた。太鼓の代わりに、踵でとんと床が鳴る。薄暗い天井から何者かが応えるように響く。
 緋扇で空を掴む。
 はらはらと湖面に緩く桜花が散るように。
 きらきらと川面に夕映えが映えるように。
 ゆらゆらと滝壺に秋茜が輪舞するように。
 そして。
 しんしんと全てを覆い尽くす雪。
 茫漠たる宙を飛んでいる、重さすらないようなそれが、湖面を固め、川面を埋ずめ、滝壺でさえ堰き止めてしまう。
 その情景を緋扇が蝶のように戯れながら、描いていく。
 とん、と床が鳴る。
 私は本殿の方を向き、緋扇を畳み帯に一旦留め置く。そして小太刀を出して、ゆっくりと抜く。蝋燭の火を映してぎらりと輝く。鞘を帯に置いて、また緋扇を左手に、右手で抜き身の小刀を持ち、また床を蹴り出す。
 この小太刀は娘時代から鍛えてきている。
 しっかりと刃が入っていて、よく斬れる。
 とてもよく、斬れる。
 本来であれば右手には鈴を持っている。
 しかしながらこれは鬼祓い。大きな円弧を繋ぎながら、その弧を断ち切るように白刃が踊る。
 見るものを戦慄させるような鬼気迫る儀式でもある。
 鬼とはひとの意識が、凝り固まったもの。
 鬼とは自然の摂理が、我が意を得たもの。
 それに力を貸す動物霊もいる。
 緋扇を掴みにくるものがある。
 手応えでそれがわかる。体をひるがえしてそれを受け流す。腰を屈めて剣先が鋭くそれを撃ちにいく。交わされた。刀身を疾ってくるものがある。千早が風を孕む。跳躍して後退すれば、それは左耳を掠めていく。
 ざあっ、と黒髪が広がる。数本はもぎ取られた。後ろに纏めた紐を両断されて半紙も消し飛ばされた。
「ひっ」とくぐもった奥さまの悲鳴も遠い。 
 しかし捉えた。念を切っ先に籠めて、しばらくしてすっと手応えが消える。私は本殿を向き、小刀を鞘に収め、緋扇を畳み帯に収める。
 ニ礼ニ拍手一礼。
 肌に汗が滴っている。
 私は三宝からお嬢さまのノートを拝領して、結界を抜けてご夫妻に一礼して奉じた。

 社に戻り打合せの際の普段着に着替えた。
 それから本殿に上がった。
 結界もそのままにしてある。黒々とした瘴気が、そこに凝っている。
 結界の中央部分に五寸三宝がそのまま二台立っている。右側の台の結ばれた半紙が小刻みに震えている。
「お改めください」
 ご主人が胡座からよろよろと身を起こし、震える手でそれを受け取った。ページを捲りざまに絶句して取り落とした。傍から奪い取るように奥さまが拾い上げて、溜め息をついて低く呟いた。
「・・・全部、全部、消えてしまった」
 鉛筆で書かれたものは全て消去されて、鉛筆芯がなぞった溝が残っているはずだ。私は結界へと戻り、もう一方の三宝から半紙の包みのひとつを取り上げて、再びご夫妻に向かい合った。
 ゆっくりと半紙を開くと、その折り目に微細な鉛筆芯の粉が溜まっている。
「これがお嬢様が書かれていたもの、文字や絵の元です。ただ厄払いにお家の神棚で払い清めてください。ご自宅の方がお嬢様も喜びます。その後はご近所の神社でお焚き上げして頂いて構いません」
「・・娘は、娘は成仏しているのでしょうか?」
「ご成仏されています。この字にはお嬢さまの魂が封じられていました。一生懸命に書かれていて、その念の残りかすが残っていました。悪いものはそれが好物で憑依していました。残念ながらノートの紙片から、不浄なものだけを取り分けることができません。静謐なものはこちらに、そして不浄なものはあれに封じています」
 ご夫妻の眼が、三宝に残るもう一つの包みに飛んだ。それが呪いの本体と知り、怖気が背を這ったようだ。
「あれは私がお焚き上げしておきます」
 ご主人はきちんと正座をして平伏し、言葉にならない歓喜の声で御礼を述べてから汗ばむ手で懐から包みを出した。
「どうぞお受け取りください」と呂律ろれつの廻らぬ声で続けた。
 銀行の封筒とは無粋だが、封印帯を解いていない硬質な感触があったので、有り難く頂戴することにした。ここでの生活には不要なものだけれども、下界に行くときには必要なものだ。
 私は袂からとび色の小袋を取り出した。
「私が育てたお米です。このお米は少しづつ毎日神棚にあげてください。下げたら一緒にご飯に炊いて召し上がってください。この袋いっぱいをあげた頃合いでお焚き上げしてくださいね」
 それは嘘だ。
 お米を育ててはいないし、ただの貰い物のお米。
 私には、そもそも食べ物は必要ない。

※以前に書いた「墨鬼」を再構成・改題・加筆しております。現地取材で混同していた地名などの修正を行っております。


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