凶器はどこにだって転がっている

精神を病むきっかけというと幼少期からの生育環境…だとか、壮絶ないじめが…だとかとにかく劣悪な環境というのを想像しがちだ。

けれど他人からしたら誤って指に針を突き刺した程度の傷だったのに、そこからウィルスが入り込んで取り返しのつかないことになったなんてこともありえない事ではないのだ。ほんの小さな傷が致命傷になることだってままある。公立中学という猿山の中で私はひとり、息を殺して生きてきた。


部活の最中、薄ぼんやりと私を馬鹿にしているような声が聞こえた。一挙一投足をやり玉に挙げてからかう声が聞こえたから、だんだんと人の視線がこわくなった。何をしても嘲笑されるから、息をすることすら怖くなった。

この頃から、肋骨の辺りがぴりぴりと痛みだすような感覚を覚えるようになった。


委員会の仕事があると部活に行かなくて済む。学級文庫の点検と整理という名目で教室に一人きりでいる時が私の安息の時間だった。


ある日、恋をした。その頃はまだ“あちら側”の人間だった。

好きな男子と同じクラスの知り合いと言えば、私をいじめていた女だけだった。最高学年になって態度を改めた様に見えた女に、あのからかいは一過性の悪ふざけだと信じた私は少しだけ気をゆるしていた。

相談した

応援すると言われた

女に頼んで彼のメールアドレスを手に入れ、買ってもらったばかりの携帯電話で勇気を出して決してうざったくないように気をつけながら何度かメールを送った。返事が返ってくれば嬉しかったし、返事が返ってくるまで不安でおかしくなりそうだった。


冷え込みのぐっと厳しくなった晩秋の頃、夕方、信頼している友人から電話が来た。

「あの子、彼と付き合ってるって」

彼女はいくつか女の行動を話してくれた。信じたくなかった、目の前がぐらぐらと揺れる。限界まで張りつめた涙の膜が重みに耐えきれなくて水滴を落とす。ベッドの上で胎児のように体を丸めながら私は呻いた、喘いだ、引き攣れたような声が力なく、雫と一緒にシーツに沁み込んでいった。

他の友人が言っていた「あの子、彩佳ちゃんのこと貧乳って馬鹿にしてたよ」知ってるよ、そんなこと。

背が高くて胸が小さくてかわいげが無いのは、スタイルがいいねという優しい言葉に少しだけ救われていた。そんな優しい言葉のヴェールは無理やり引き剥がされてくちゃくちゃに丸めて捨てられた。

ちょうど“メンヘラ”や“リスカ”という言葉がインターネットに流布し始めた頃だった。私はなにかに憑りつかれた様にカッターを手首に当てて、力を入れ真横に振り抜いた。

ぷつぷつと血の玉が浮かび上がるのをぼんやりと眺めていた。

毎日そんなことをした。手首ではあまり血が出ないからもう少し上の方、カッターじゃ切れ味が悪いから剃刀を。肌にひやりとした金属を押し当てて、ぴりっと痛みが走る。無感動に鮮血が溢れ出るのを見つめる、その繰り返しだった。

私は容易く“こちら側”に転がり落ちた。

外の世界では進路の話をしていた。私は頭が悪い方ではなかったから、市で一番の進学校の公立高校を志望した。母はそれに対してあまりいい顔をしなかった。どうせ女の子なんだから、あの学校は大学に行くような子が行く子なのだからともうワンランク下の公立高校を進めてきた。

彼はその学校に推薦が決まっていた。

今までの私だったらそんなのどっちでもよかったし、彼と同じ高校に生きたがったかもしれない。

けれど、あの女も一緒だった。

県大会を勝ち進んで地方大会に進んでからあの女は部活にほとんど来なくなった。クラスの友人を部活動中に連れ込んで騒いで遊んでいた。あの女は図々しい事にその地方大会出場の成績と部長の功績で学力では及ばないその高校に推薦で進学を決めたのだ。

またあの女と同じ学校の空気を三年も吸うなんて考えただけで悍ましい。担任は私の学力的に反対する理由はなかったようで、将来のことをよく考えて志望校を決めるように、とは言ったくらいだった。

その間に他の教員に腕の傷跡を見られて呼び出されるなど色々あって、結局はあの女に負けるものかという気概で折り合いをつけ自傷は止めた。

それでも、高校生に上がってから半袖のシャツを自分から進んで着ることはなかった。


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