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まわりからの賞賛は「幸せ」に直結しない



自分の人生において、

まわりからの賞賛
受けられる恩恵
もらえる称号
揺るがない安心感 …

それを得られることは凄い事だ。


でもね、 どんなものを差し置いても
結局 自分の中で大切なのは「自分の幸せ」なんです

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今、自分は「楽しい」か? 「幸せ」か?


例えば、ピアノを練習しコンクール1位入賞

その「1位」の称号は素晴らしい
そして取れたことは絶賛されるだろう

けれど、もし毎日のピアノ練習が
楽しくなかったとしたら…?

「楽しくない」とは決して
辛さや苦しい時を否定している訳ではなく
それをも含んで「楽しい」と自分が思えているかだ


実は「楽しくない」「辞めたい」と思っている事を
自分の気持ちに気づかない振りして、続けて…

その結果 得られた称号、賞賛、恩恵、安心感

果たしてそれは自分が本当に
求めているものなのでしょうか?

心から喜べるものなのでしょうか?


「あなたには才能があるから!」
「ここまでやってきたんだから!」

そう言われて、辞めたいなぁ…と思っている
習い事を渋々続けた経験が私はあります。

そんな気持ちで受け取った入賞トロフィー
そんな気持ちで聞いていた まわりからの賞賛 は、

どこか上の空で自分事として喜べなかった記憶がある。

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「嫌なら習い事なんて辞めれば良かったのに!」

そんな声を持つ方も多いと思う。
実際わたしも今となればそう思う1人だ。


でも、この「習い事」を 「仕事」 に置き換えてみると

毎日の仕事は楽しくないけど評価され「昇級」した
毎日やりがいのない仕事だけど「ボーナス」を得た
本当は他にやりたい事があるけど「安心感」を取る


結構当てはまる人も多いのではないでしょうか?


もう一度 考えてみて欲しい

それは本当に「自分の幸せ」なのか

嫌々弾いている1位入賞のピアニスト
心から楽しんで奏でる新人ピアニスト

どちらが幸せ?

毎日嫌々働いている今の「自分」
心から楽しんで働いている「自分」

どちらになりたい?


結局まずは、「自分」が幸せでなければ
「自分」が心から楽しめる事でなければ

どれだけそれで「まわりからの賞賛」
を得られたとしても

「自分の幸せ」には直結しない。


そんな、まわりからの声に惑わされず
どうか「自分の幸せ」に耳を傾けて欲しい

それが全ての始まりだから


sayamo

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【関連note】


最後まで読んでくださりありがとうございます!