みんないいけどみんな愛されない。

「みんな違ってみんないい」ということはある程度信じているけど、一方で「愛される人、選ばれる人」は限られており、みんなそれぞれいいところがあるからといって、愛されるかどうか、選ばれるかどうかはわからんのだ。

なんかいつまでたっても、そこらへんが割り切れない。

「みんないい」の範囲が地球規模だとしたら、「愛される人、選ばれる人」の範囲は北海道ぐらいなもんじゃなかろうか、と思ってしまう。
その時の気分によってはオーストラリアぐらい広がるかもしれないけど。

「愛される人、選ばれる人」も限られているけど、「愛する人、愛することができる人」というのも限られていそうだ。

だけど、みんなに愛される人を愛することは簡単で、みんなに愛される人が身近にいる人は、その人を愛することによって、人を愛することができる人間になれる。

そこらへんで局所的に愛し愛され、愛がぐるぐると循環しているような気がしてしまう。
そんな楽園のような場所はきっとある。

そんな場所があるならば、歯を食いしばって愛される努力をし、歯を食いしばって愛する努力をしている、格闘場のような場所もきっとあるだろう。

「みんな違ってみんないい」の真ん中で、ナチュラルに愛し愛されが発生する愛の循環の中に生まれ落ちれば、そこはもう天国で、だからこそ生まれたのと同時に死んでいるのと同じかもしれない、と思ってみたりする。

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