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「国会話法の正体」

元々は編集者から、
「藤井さん、国会話法についての本を書けませんか?」
と相談されたことから、始まりました。
「国会話法」というのは初めて聞く言葉で、編集者の造語ですが、言わんとすることはわかります。
「記憶にございません」「遺憾に思う」「仮定の話にはお答えできない」…など。ここ数十年、日本人みんながずっとイライラ、モヤモヤしてきた政治家・官僚が使うフレーズのことでしょう。

「たぶん、書けます」
と私は答えました。やたらとエバってるもの、もっともらしい顔をしたものを笑いで料理するのは、私がずっとやってきたことですからね。
けれど、「政治家が毎度『記憶にございません』で逃げるのはいかがなものか」的な文章は、これまで多くの記者や評論家が書いてきました。いまさら私が同じことを書くのも芸がないよなあ…としばらく考え、
「ああいったフレーズのいったいどの部分に、ごまかし・はぐらかしのテクニックが仕込まれているのか、腑分けして、図にしてみよう!」
と思いつきました。
学生時代、英文法や古文の参考書でよく見た「構文解析」ですね。

これぞ「国会話法」の可視化!

ちなみに私は学生時代、こういった文法の授業が大の苦手でした。この齢になってまたそれで苦労するとは……(自分が言い出したことですが)。
こうして、多くの「国会話法」をパターンごとに分類して、分析しました。
「逃げ道用意型」
「謝罪偽装型」
「とすれば型」
「門前払い型」
「 勝手に控える型」
「あたり前型」
「ポエム型」…などなど。
私は『特技が分類・趣味が分析』なのです。
図解してみると、ああいったフレーズのどこにイライラ、モヤモヤするのかが見えてきました。

もちろん私のことですから、そこから難しい政治話を展開するのではなく、ごくごく柔らかいエッセイになります。この手の本で、かまいたちの漫才や、鰻と梅干の食い合わせや、銀座のママのマナー本…などを引き合いに出す人はあんまりいないだろうなあ。

本の中に、政治家名や政党名はいっさい出てきません。『政治本』ではなく『ことば本』のつもりで書きました。Amazonでは『論理学・現象学』カテゴリー、hontoでは『日本語』カテゴリーに入れられています。『日本論・日本人論』の棚に置いている書店もあって、「わかってるな」と嬉しくなりました。
とはいえもちろん、『政治本』として読んでいただいてもOK。本は、どう読もうと読者の勝手ですから。

最初の編集者の相談から本が出るまで、2年弱かかってしまいました(その間に別の出版社から本を三冊出しました。編集者さん、ゴメンナサイ!)。
書くのに時間がかかっていたので、実は内心、
(本が出る頃には、こういう言葉でごまかす連中への世間の怒りが薄れているかもしれない)
という不安もありました。ところがどっこい、まさに国会話法オンパレードの中で出すことになりました。
「タイムリーな企画ですね」
と褒めてくれる人もいるのですが、やや複雑な心境。
2年前でも今でも、いつ出してもタイムリーってなんだよ!

お読みいただき、ありがとうございます。本にまとまらないアレコレを書いています。サポートしていただければ励みになるし、たぶん調子に乗って色々書くと思います! よろしくお願いします。