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『ハリーポッター』とあきらめない心

小学生のころ、地元の駅の近くにある6階建ての本屋さんがわたしのお気に入りの場所だった。

特に6階の児童書コーナーは、読み尽せないほどの本で埋め尽くされていて、まるで宝の山のようだったと思う。

活字から世界を知る面白さに味をしめたわたしは、物語の世界にどっぷり漬かり、オリジナルの漫画や手作りの本を書いては友達に見せる毎日を送っていた。

そんなある日、いつもの本屋さんの児童書コーナーで、母がとんでもなく分厚い本を見つけて指を差す。

「これベストセラーだって」

そこにあったのは『ハリーポッターと賢者の石』という本だった。濃紺色の装飾に、味のある大きな月の絵が描かれている。

まるで電話帳のように分厚い本を恐る恐る開くと、質のよい紙にびっしりと文字が詰まっていて、瞬時に大人の本だ......!とわたしは感知した。

「読む?買ってみる?」

「え〜読めるかな」とわたしが言うと、母は

「むずかしいところは教えてあげるから読んでみたら?」

と笑顔で言い、レジへ『ハリーポッター』を抱えていく。

いつもより倍はする本の値段に驚き、お母さんに悪いなと思った。きっと最後まで読めないだろうと思ったからだ。

しかし、わたしの予想は大きく外れる。

ハリーポッターはそれまで読んだどんな児童書とも違っていた。驚きとユーモア、冒険と友情に満ちていて、ページをめくる手を止めることができなかったのだ。緻密に練り上げられた魔法の世界のルールや生活様式が、まるで遠い国に存在する現実のもののように感じるくらい、ハリーポッターはリアルな物語だった。

また、小学生のわたしにとって、小説の舞台であるイギリスについても学ぶきっかけになった。

見たことも聞いたこともなかった「キングスクロス駅」という駅名や「シェパーズ・パイ」「クリスマス・プディング」というキラキラしたネーミングの食べものたち。

頭の中で「こんな感じのものかな......?」とあれこれ想像しながら、なんて素敵なんだろうとため息をつく。

自由に想像できることは読書の醍醐味のひとつだが、ハリーポッターはまさに想像の玉手箱だった。きっと、読者の多くがそう感じたと思う。

結局、わたしのハリーポッター愛は留まることをしらず、その後も文学と活字の素晴らしさに心酔したまま英米文学を志望し、初めての短期留学先もイギリスに決めた。それくらいハリーポッターとの出会いはわたしの人生に影響を与え、大人になった今でも大切な作品となった。

苦難のなかでも書くことを辞めなかったJ・K・ローリング

魔法の世界を創りあげた作家、J・K・ローリング。

ここからは彼女の人生を簡単に振り返ってみよう。

J・K・ローリングこと本名ジョアン・ローリングは、1965年にイギリスの南西部ブリストルで生まれた。

幼い頃から本が好きで、同級生に自作の物語を話して聞かせるような子ども時代を過ごした彼女は、エクセター大学でフランス語と古典文学の学士号を習得し、卒業後は秘書として働きはじめる。

ある日、マンチェスターからロンドンに向かう4時間遅れの電車に乗ったとき、ローリング の頭に魔法学校に通う少年の姿が浮かぶ。

それがハリーポッターのアイディアを思いついた瞬間だった。

そうして秘書として働く傍ら、昼休みなどを使ってハリーポッターの執筆を始めるようになる。

しかし、同時期に最愛の母が亡くなり、ローリングの心はひどく打ちのめされた。執筆もできなくなり、当時の恋人との喧嘩も絶えなかった彼女は、一度イギリスを離れることを決意する。

1991年、ローリングは移住先のポルトガルで英語教師になった。

また、バーで出会ったテレビジャーナリストの男性と結婚するものの彼のDVに絶えかね離婚。一人娘を授かったばかりのときだった。

1994年、一人娘と共にポルトガルを離れ、イギリスはエディンバラに住む妹の側へ向かった。この頃思うように職が見つからず、生活保護を受けながら暮らしていたらしい。

あまりの貧困と心労のせいで、ひどいうつ病になり「この頃は自殺を考えた」と、後のインタビューでローリングは語っている。

しかし彼女は執筆を続け、340ページ以上、17章にもおよぶ『ハリーポッターと賢者の石』を書き上げた。

ひとりのシングルマザーが、のちのベストセラーを誕生させた瞬間だった。

だが、問題は出版だった。当時のイギリス出版界では「児童書」は売れないという認識が強く、ローリングが出版社へ送った膨大な原稿は、ことごとく断られてしまったのだ。

そんなとき、ブルームベリーという出版社だけが唯一出版に前向きな姿勢を見せた。

なぜなら、担当した編集者の娘が「パパ、この本はどの本よりも面白いよ」と父親に告げたからである。

のちに世界中の子どもたちを魅了するハリーポッターは、一人の女の子の言葉がきっかけとなり、世に送り出されることになった。

かくして、ハリーポッターは瞬く間に大ベストセラーとなり、ローリングは数々の賞を受賞、今では億万長者となった。

母の死、離婚、貧しさ......多くの苦難を味わいながらも、決して書くことを辞めなかったJ・K・ローリング。

彼女がもしあの日、マンチェスターからロンドンに向かう4時間遅れの電車に乗らなかったら?ハリーポッターのアイディアは湧いてこなかっただろう。

また、浮かんだアイディアを形にせず、途中で書くことを諦めていたら?出版社へ送ることを途中でやめていたら?名作が誕生することは無かっただろう。

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ハリーポッターをきっかけに海外文学の面白さを知ったわたしは、その後足繁く海外文学コーナーへ通い始める。しかしどの本も、ハリーポッターを知ったときの驚きと感動には及ぶことはなかった。


J・K・ローリングは成功をおさめたのち、こんなことを言っている。

「私は本の中のような魔法を信じていません。ですが良い本は読んだ人に素敵な魔法をかけてくれると信じています」

いくつもの奇跡が重なり生まれたハリーポッター。

わたしはもうずっと、彼女の本の魔法にかかっているのかもしれない。

30 Day Writing Challenge、4日目。

今日のお題は「あなたにきっかけ(ひらめき)を与えた人物について書く」だった。

本を愛すること、どんな状況であっても書くことをあきらめないこと

わたしにとってそのきっかけをくれたのがJ・K・ローリング、ハリーポッターの生みの親だった。


追記

そんな綺麗事を言いながら、このnoteを書くのになんだかんだ1週間以上が経ってしまった。最近仕事がとても忙しくて30 day writing challengeが滞っている......文字通りの3日坊主だ。だけど、いかなる困難の中でもタイピングを止めなかったJ・K・ローリングのように、このまま書くことを続けたい。

心に留めておいたことを何でも書くことのできるnoteという場所は、わたしにとってセラピーのようなものだから。


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