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ベビーシッターさんに我が子をお願いするということ

2015年6月。
ひとつの命がこの世に生まれ、わたしは母となった。

我が子が生まれてから今まで、わたしは育児中心の生活を送ってきた。
親をはじめ親戚は皆遠方にいるため、殆ど彼らを頼ることなく、夫婦二人でここまでやってきた。
おかげさまで我が子も今では3歳となり、偏食はあるものの、毎日を元気いっぱいに過ごしている。
来年からは幼稚園に通う予定だ。

しかし成長してくるにつれて、我が子の相手をするのも簡単ではなくなってきた。

「これは何?」
「どうして?」
「なんで?」

そんな質問攻めの毎日に、疲れはじめていたとき。

思い切って、ベビーシッターさんをお願いしてみることにしたのだ。

わたしが利用しているのはキッズラインというマッチングサイト。
登録されているベビーシッターさんと日時や条件が合えば、成立。
1時間1000円からお願いすることも可能という画期的なサイトだ。

はじめは「知らない人に我が子を預けるなんて」という想いもあった。
しかし今では「どうしてもっとはやくから利用しなかったんだろう!」という気持ちでいっぱいになっている。

心配性のわたしは、初日はベビーシッターさんに完全にお任せすることが出来ず、同じ部屋に居させてもらった。
しかしわたしの心配を他所に、我が子はとっても楽しそうにしていて、1時間と経たずして、すっかりベビーシッターさんに懐いていた。
その後も何度か同じ方にお願いしているが、外遊びに連れていってくださることが最近は多い。
その間、わたしは家で作業をしたり、家事をしたり、リフレッシュしたりといった時間に充てている。

ベビーシッターさんは、お金がかかることではあるけれど、でも利用することは全く悪いことではないとわたしは思う。
しかし、ベビーシッターさんを利用しているママさんはあまり身近にはいない。
皆、昼間はひとりきりで我が子の相手をし、我が子を抱えて奮闘している。

これは自分が母親になってみて気づいたことだが、働いていないのであればひとりで育児をこなさなければならないような無言の圧力を、肌で感じることが多い。
そもそも、日本の社会は母親に理想を求めすぎているようにも感じる。
ベビーシッターさんをお願いすることに、わたしが罪悪感や後ろめたさを感じたのは、そのせいもある。

そしてそれは、日本の闇であると同時にわたし自身の闇でもあるのだと思う。
育児のすべてを自分ひとりでやらなければいけないような、そんな強迫観念に似た感情を抱いてしまうのは、育ってきた環境や築いてきた思想によるところが大きいだろう。
本当にしんどいときもSOSを出せないことが多い現実。
けれど、わたしは幸いなことに、あるときから視界がひらけたことで救われた。
しんどすぎて開き直った、とでも言ったほうがいいかもしれない。
とにかく、自分の考え方をちょっとずらしただけで、また違った世界がそこには広がっていた。

我が子は可愛い。
それは間違いない。
しかし、四六時中、真面目に相手をして一緒に居られるかと言うと、話は違ってくる。
しかし、ベビーシッターさんにお願いすることでそれが少しでも解消されたり解決するのであれば、それはどんどん利用すべきなのではないだろうか。

週に1度のベビーシッターさんのおかげで、わたしの時間的余裕も増えたが、それよりも精神的な余裕がぐっと増えたように思う。
もっと平たく言えば、忙しいときやイライラしているときでも、我が子に優しく出来るようになった。
以前はついキツく接してしまうことも、正直なところ、あった。
だからこそ、お互いが笑顔でいられることは何よりも大切だと、今のわたしはそう思う。
こんな風に思えるようになったのも、ベビーシッターさんのおかげである。

離れている時間があるからこそ、見えてくる想いもある。
これからも我が子と適度な距離感で、お互いに良い関係を築いていけたら。
そのためにも、幼稚園に入るまではベビーシッターさんを頼ってみようと思うのだ。

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