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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 5月編

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「あの日のわたしたち」5月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター… もっと読む
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5月31日(2017年) 土俵際の“うっちゃり!”  0-2から逆転勝ちでACL8強

敗戦はあっても敗退しなかった2017年  浦和レッズが初めてACLを制した2007年は12試合すべてに負けなかったことで知られている。  一方、二度目に優勝を果たした2017年は、グループステージとノックアウトステージで合計4敗を喫している。それでも栄冠を得たのは、負けがアウェイだけで、ホームではすべて勝ったこと。負けても勝ち上がれる足がかりを残して負けたこと。つまりACLの勝ち方に則って戦ってきたからだと言える。敗戦はあったが、大会から敗退はしなかった。  決して順調に

5月31日(2017年)チームの方が落ち着いていた

 アウェー0-2の結果だったので、正直厳しい思っていたので目一杯の声援をしました。そしたらチームの方が冷静でしたね。前掛かりにならず、相手のカウンターに腰引けにならず、落ち着いたプレーを展開しました。  前半のうちに順当に2得点。相手が盛り返してくると、柏木選手が上手くコントロールしてトーンダウンします。90分で2試合合計タイとなり、延長で森脇選手が高木選手のクロスを押し込んで決着をつけました。予断を持って試合に臨んじゃいかんです。試合開始前の不安は、ゲームが進むにつれて勝て

5月31日(2017年)意地とプライドを懸けたアジアの舞台

120+αで勝てばいい。 済州から帰途につく頃は切り替えていた。 勝つ、絶対に勝つ。 空席の目立つスタジアム。とうとう2万人を切ってしまった。ところが、自分の回りには次々と仲間が集まってくる。変わった人たちだなと馬鹿にしていたけれど、実はとても嬉しかった。馬鹿な仲間といつも一緒にいる。「浦和」という共通語のもとに集まる場所がある。みんなでアジアを獲りたい。試合前の気合は半端なかった。 決して強くないはず。 2点差は簡単な点差ではない。 焦らず逸らず1点ずつ返せばいい。 スタン

5月31日(2017年):奇跡のスタジアム

この日は、北ゴール裏で声枯れるまで叫びました。あの試合の、あの森脇選手のゴールで叫ばずにいられる人は、レッズサポにはいないでしょう。 24日のアウェイの試合メモには「2失点目が余計だよなあ」とあり、31日のメモには「完璧な試合運びで逆転勝ち抜け。今季最高の試合だった。試合後の乱闘は不要。」とありました。 なんだか、あの興奮が全然伝わってこない。ダメなメモですね。 2017年のACLは、埼スタで何度も奇跡を見ました。奇跡というとチームに失礼かもしれませんが。とにかくアウェイでの

5月31日(2017)逆転の浦和

2017年5月31日ACL Round16 2nd Leg 済州戦 アウェイでの1st Legで0-2の敗戦。窮地に立たされたが、サポーターは誰もが逆転を信じていた。 この日キックオフに間に合わず、埼スタへ走りながら、興梠慎三と李忠成のゴールで追いついたことを知り、胸が高鳴る。漸く北ゴール裏に辿り着き、遅れた分を取り戻そうと、必死に声を出し跳ね続ける。西川周作のビッグセーブもあり、2戦合計2-2のまま延長戦へ。114分高木俊幸の速いクロスからの森脇良太のゴールが目の前で決まり

5月31日(2017年) 今でもはっきり思い出せるゴール

この試合の森脇のゴールは、高木のクロスの弾道からはっきり覚えています。 前週の済州との1戦目は、こんな悪循環パターンでした。 サッカーは点が入らないスポーツ→でも点を取らないと勝てない→だから点を取るためにリスクを取る必要がある→ただし失点する可能性も大きくなる→やはりカウンターから失点…→最初に戻るw 結果、アウェイゴールを奪えず0-2で敗戦。勝ち抜け条件はなかなかハードルの高いものとなっていました。 しかし、第2戦はこんな感じでしたね。 もはや2点以上取るしかなく、た

5月31日(2017年) 後楽園ホール?

2017年5月31日、ACLラウンド16・2ndレグで、浦和は2点のビハインドを跳ね除け前半で追いつき、延長後半に決勝点を挙げ、済州を振り切った。劇的な試合だったのだが、済州のラフプレーに端を発した揉み合いの印象が強く残っているのが残念だ。 この試合、決勝点を決めたのは森脇。ゴール後、槙野に肩を抱かれた森脇は目に涙を浮かべ、試合終了のホイッスル後にはピッチに突っ伏して涙した。また、ピッチに座り込む済州の選手に柏木が近寄って肩を抱き、健闘を讃えていた等、良いシーンも満載だった

5月31日(2017年)ザ・ホームゲーム

ACLノックアウトステージ、ラウンド16第2戦。 浦和レッズは第1戦の2点ビハインドを抱えて、ホーム埼玉スタジムに済州を迎えました。 その日はシーズンチケット対象外だったので、いつもと違うメインスタンに席を取りました。絶対にレッズを勝たせようという同じ強い気持ちを、埼スタに集まった人々は持っていたと思います。私の気持ちもいつも以上に高ぶっていました。 前半のうちに2点を入れ同点とし、2-2のまま延長戦へ。必ず勝つという信念のもと、夢中で応援を続けました。すると、あと5分位

5月30日(2015年) なぜか分が悪いアウェイ鳥栖戦でようやく初勝利

 2015年5月30日(土)、浦和レッズはベストアメニティスタジアムに乗り込み、サガン鳥栖とJ1リーグ1stステージ第14節を行い、6-1で勝利した。2012年にJ1昇格した鳥栖とのアウェイ戦4試合目にして、これが初勝利だった。 因縁の多かったアウェイ鳥栖戦  鳥栖とのアウェイ戦には、記憶に残るものが多い。それもポジティブなものではない。  鳥栖が「フューチャーズ」から「サガン」として再出発した1997年。特別参加が認められたヤマザキナビスコカップの開幕戦で対戦したのが浦

5月30日(2015年)ざまあみろと思った日(叫んでいたかも)

この年からアウェイ側3階席はホーム扱いになった。雨が降ると茶色い水溜りになる砂利の駐車場が待機場所。ようこそなんて達筆に書かれても、信用ならない。でもたまに入場時にくれるお菓子だったり粗品だったりにあっさり騙されたりもする。 ぎっしり詰まった2階アウェイゴール裏、屋根下にいても雨が吹き込んできた。 ピッチが近くて好き、なんてことはない。遠い側のコーナーは見えないよ。 駅近でいいよね。それもどうかな。 駅への動線は未だ歩道橋のみ。鳥栖駅はいつも混雑。吹田スタジアムを素晴らしいと

5月30日(2015年) ああアウェー鳥栖戦

アウェー鳥栖戦での浦和の成績は良くない。親会社の撤退で鳥栖フューチャーズから新生サガン鳥栖として再出発した初戦が、1997年ナビスコ杯の浦和戦。これが鳥栖との初顔合わせだったが、鳥栖スタジアムで0-0のドロー。これがケチの付け初めだったのかもしれない。 私が唯一参戦したのが2013年。負ければ優勝の可能性が消えるという瀬戸際の一戦で、見事に鳥栖の術中にはまり1-4。ショックで帰路、ほとんど顔を上げることが出来なかった。羽田空港からの東京モノレールでも、車両の端の座席で呆然と

5月30日(2015年):恐怖のスタジアム

この日は、テレビ参戦でした。当日のメモには、「快勝!積年のモヤモヤがスッキリ」と書いてました。 2014年の33節は、残り2つ勝って優勝するために、苦手の駅前不動産スタジアムだけど自分がサポートに行けば勝てるはずだと初参戦しました。しかし、ラストプレーのCKで決められて茫然自失。席を立てませんでした。 2015年は都合がつかず現地参戦を見送ったのですが、ムリしてでも行けば良かったなあ。 毎年毎年、今年こそはキッチリ勝てるだろうと期待しては裏切られる、駅前不動産スタジアムは恐ろ

5月30日(2015年) 行っていればアウェイ鳥栖のイメージが変わったかも

この試合は現地に行っていないです。前年のショックが大きく行かなかったという訳ではないと思いますがw 彼の地にはいい思い出がありません。それはこの試合に行きそびれたことも大きな要因ですね。 試合のことはよく覚えています。 水沼ジュニアにフリーキックを決められて、またかよ(怒)💢となったのも束の間。後半は数的優位もあって面白いように点が入る展開となりました。 こういう試合もあるからサッカーは本当に何が起こるか分かりません。

5月30日(2015年)夢のような勝利

私が参戦した鳥栖アウェイ戦は良い思いをしたことがありません。この日の試合を除いては。前の年(2014年)のアディショナルタイムに目の前で入れられたヘディングの同点ゴールでその場にへたり込んだ私は、未だにその落胆した想いを忘れることができません。 さて、この日の試合、前半に水沼に決められた時には、また今日もダメなのかと思ってしまいました。 しかし、後半、立て続けに6回もボールがゴールネットを揺らし、天にも上る気持ちでその都度周囲の人とハイタッチ、本当に夢見心地でした。 勝ち点