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パートナーやお子さんがいるかいないかはあくまでその人の一面

最近ふと感じることですが、
同年代の友達と集まると
やっぱり結婚や子供の話になることが多いんだろうか。

この前結婚式に一緒に参列した友達が、
"周りの友達の結婚式が大体終わっちゃったなー"と話していて。
ふと"あれ、そういうものなんだっけ"と。


私の周りはというと、
学生時代の友達や音楽仲間の方々・・
みんな本当にそれぞれ。
もしかしたら、
またそのうち結婚式や
出産の嬉しい連絡をもらうかもしれない。

一緒に参列した友達には2歳の娘さんがいるので、
自然とお子さんの話を聴くことが多くなる。
いつもほんわか微笑ましくてかわいい。


ただもしかしたら
いつの間にか、
だんだん子育ての話にはついていけなくなるのかな…?
と思うことがあってなんだか寂しくなる。

私も立場が変わることがあるのかもしれないけれど。

自分の思い過ごしなのだろうか。


(最近は専らオンラインで)
普段、様々な年代の方とご一緒に演奏したりするけど、
あまりそのような話題になることはなくて。
(仕事では産婦人科も小児科の会計も打っていますが、それは除くとして)


久しぶりに学生時代の友達に会ったので、
ふと気になった。


個人的な考えとしては、
結婚していても、していなくても
お子さんがいても、いなくても
その人はその人だ。

結婚していることや
お子さんがいることは
あくまでその人の色々な側面の1つだと思う。

人間性はもっと奥深くて幅広いもので
たった2つの視点だけで推し量れるようなものではないよね。

それらに関わらず
仕事や家事や夢に真摯に向き合われていたり、
音楽や楽器が好きでたまらなくて、
日々全力で楽しんでいる素敵な方々もたくさんいる。


もしかしたら
こんな考え方を持つのは少数なのかもしれないですが、
ある一面だけを見て判断したくないなとよく思います。

まあもしも立場が変わることがあるとしたら、
生活は一変するんだろうね。
(子育て中の友達からは、かわいいだけではない様々な話を聴きます)


もし
"そろそろ結婚しなくちゃ"とか
"子供を産まなくちゃ"なんて思うなら、
それは何か違うんじゃないかな。

"自分は、どうしたいか?"

”こうでなきゃ恥ずかしいから”と
もし思ってるとしたら、
それは一体誰に対してなんだろう。

親や親戚や世間に対して?なんだろうか。


何かを選択していくときに
"きっと楽しいから(ワクワクするから)したい"とか
"こうなりたいからやりたい"とか
主体的でいたいなと思う。

”しなきゃ”より、
”楽しいか楽しくないか”
”やりたいかやりたくないのか”
で選択をしていく方が
きっと自分に合った生き方になっていくんじゃないかなあ。

何事にも
普通も当たり前もないんだよね、きっと。

”普通、こうするだろう”とか
”こうするのが当たり前”とか

よく耳にするかもしれないけれど、
”どうしたいか?”を決断していくのは自分自身。
それを胸に留めていたい。




たくさんの記事がある中、 時間を割いて最後まで読んで下さり、 本当にありがとうございます☘️ きっと素敵な方ですね^^ 記事との出会いも一期一会。 ご縁の1つだなあと思います。 自然に続いていくご縁を大切にしたいです。