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自動翻訳が進化したら「本当に自分が好きな国のコトバ」を勉強する時間が増えるはずと考える

外国語学習者として生きてきたものとして、

なるほど、最近の自動翻訳の進化は凄まじく、

これじゃ、もう外国語なんて無理に勉強しなくてもいいのでは?

と思うようなことも、まま、ある。

でも、考え直した。

英語でのビジネスとか、情報収集とかは、今後は自動翻訳に頼れる時代となると、

「みんな英語を勉強しないといけない!」みたいなプレッシャーは減って、

外国語学習というのは、本当に好きな国がある人が趣味としてやる、優雅なモノになっていくのかもしれない。

「自動翻訳を使えば済むって言えば済むんだけど、オレはフランスが好きだから、フランス語は自分で話せるようになれないかと、勉強しているんだよねー」
「あ、それなら、私はロシア語を自動翻訳なしでも話せるようになって、ロシアの友達を驚かせたいとがんばってるの!」

みたいな。

そうなると、私の外国語選択、スペイン語、ギリシャ語、ラテン語、トルコ語という、いっけん異様に思われる選択こそが、むしろこれからは増えるかもしれないか!?

特に、古代ギリシャ語とかラテン語とか、漢語とかサンスクリット語とかは、「なみの現代外国語は自動翻訳がやってくれる精度でじゅうぶん」時代になればなるほど、むしろ「趣味としてのチャレンジ外国語」として流行するのではなかろうか!

私のやってる古代ギリシャ語なんか、現在時点ですでに、「自己満足以上の効用は特にない趣味」って感じですし。だいいちすでに「ネイティブ」なるものが存在しない以上、読解についても永遠に「正解」のない言語ですしねー。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!