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【仮説】面白い小説を読んでいる最中の私達の脳は「夢を見ている」状態にあるんじゃなかろうか

アルゼンチンの幻想小説家ボルヘスの講演録『ボルヘス、オラル』に、

読書好きな私の心を強く惹きつけた論考が載っています。すなわちボルヘスは、↓こう考えていた

・人間の過去の発明品は、すべて、人間のカラダの機能を拡張したツールだと整理することができる

・たとえば望遠鏡🔭は人間の「目」の機能を拡張するために発明されたツールだし、

・電話☎️は人間の「耳」と「口」の機能を拡張するためのツールといえる

・では、本(特に文学作品)📕は?私はこれは、人間の「想像力」🧠を拡張するためのツールだと思う

・人間の「想像力」がもっとも奔放に発揮されるのは「夢」を見ている時だ。そう考えると、本📕(文学作品)は、人間の脳🧠の「夢をみる能力」を拡張するために発明されたツールと言えないだろうか?

子供の時から小説というものが好きだった、私、ヤシロは、この考え方に賛成です

『海底2万マイル』にせよ

『不思議の国のアリス』にせよ

『指輪物語』にせよ『三国志演義』にせよ『三銃士』にせよ

よく書けている面白い小説というものを読んでいる時、私たちの頭の中では、平凡な映画顔負けの、「想像力が産んだ自分ならではの映像」が生き生きと映し出されている。

そしてそれは、結局、ハリウッド映画なんかよりも強力で、

たとえば私は、『ロードオブザリング』という映画を大好きだし、あの映画の中のガンダルフ役やアラゴルン役、それぞれの俳優さん達が素晴らしい熱演だったと評価してるけど、

それでも結局、私が原作小説を読み始めると、私の頭の中には、「私のイメージするガンダルフ」「私のイメージするアラゴルン」が現れて生き生きと動き回る。そして、私の想像力が産み出した彼らは、とうぜん「私好みの姿形のキャラクター」なので、映画版よりも愛着を抱けてしまう。そういう意味で、本当に面白い小説というものは、たとえハリウッドが大作映画にしてくれても、「やはり原作小説を読んでる時の楽しさにはかなわない!」と読書好きな私なんぞは思ってしまう。

でも

そうやって

小説を読むのに熱中している時に、頭の中に、生き生きと映像が浮かんでくる、あの感覚、、、

なるほどもしかして、あれって、脳の中の「夢を見る能力」が拡張されて稼働しているんじゃない?!あくまで仮説だけど

小説に熱中している時と、睡眠中に楽しい夢を見てうっとりしている時とで、使われている脳の機能が同じ(ないし近い)だなんて仮説すると、なんだかますます、小説を読む体験というものが好きになってくる、、、

脳の機能うんぬんと↑ここで言ったことは、もちろん、ただの仮説ですが、、、小説を読んでいる時の私達の脳の機能の正体が、こんなだったら、いいなあ、、、。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!