シニョーリア広場7

マキャベリ『君主論』を日・英・伊対訳しながらなんとか読み解き:フィレンツェ旅行の写真を見ながらでないと無理でした

先日のnoteで紹介した通り、6月の予定として「漫画で学ぶイタリアの歴史」をテーマにした記事を他メディアに掲載予定です。

そこではマキャベリの『君主論』を大々的に取り上げる予定になっているため、このたび人生何度目かの『君主論』の読み解きにトライ。

特に今回はイタリア語の原文をWIKISOURCEから取り寄せ、日本版・英語版を参照しながら、大事なところ(名言部分)はできるだけイタリア語に触れる、そうでないところもできるだけ英語で読む(本当にわからない時だけ日本語版に戻る)という形で、とにかく最初から最後まで読み切りました。

先ほど最終章を終えてみて、凄まじい疲労感。

比喩ではなく、床も天井もぐるぐる回って見えています。ちょっと異様な状態。こんなに外国語に熱心に取り組んだこと自体、久しぶりでした

しかし、爽快ではあります。42.195キロのマラソンを突破した時のような、ランナーズハイに近い状態に。外国語で分厚い本を読むと、こういう精神状態になり、また大著にチャレンジしたくなる、そうしてやめられなくなる、というところがあります。

私がこんなに外国語が好きな所以。自分を「追い込んでいる」って感じがするし、大きな課題(今回は「イタリア語版の本を一冊最後まで読み切る」)をやり終えると、なんらかの意味で自分が成長しているのを実感できる。これが精神衛生にいいのです。

それに、やはり、イタリアの古典を読むのは格別に楽しいですね。フィレンツェやらピサやらといった地名が出てくる本を読み込んでいるうちに、心はいつのまにかかの国へ。

五年ほど前にフィレンツェを旅行したことがあったのですが、このたびはその時の写真を何枚か撮りだして、傍らのタブレットにスライドショーで写しながら、なんとか本を読み切りました。

目の前に懐かしいフィレンツェ旅行の写真があるという、気持ちが盛り上がる環境を作ってからでないと、さすがに途中で気持ちが萎えることの多い今回の読書は無理でした。

それにしてもマキャベリの『君主論』を読んでもつくづく思うのですが、どうしてフィレンツェ史というのは、暗殺や密謀やだまし討ちの話ばかりが続くのに、こんなに魅力的に感じられるのでしょうか。

私のフィレンツェ旅行の写真を見ても、ペルセウスが持ち上げるメデューサの生首の陰から、メディチ家に反乱をしたパッツィ家の首領が吊るし殺されたという窓(このちょっと怖い写真スポットの解説は映画『ハンニバル』で詳しいです!)のほうを見上げる、という、「血なまぐさくも美しい」フィレンツェの空気に感化されてしまっています。

今回、君主論を読み切って、いろいろと記事にしたいテーマが揃ったので、こちらのnoteでも今後、マキャベリやイタリア史のネタを多めに展開していきますね。

とはいえ、今回の読書の体力消耗があまりに激しいので、まずは食事をし、休息をとらないと、、、!

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!