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昨日読んだ経済教養小説『君のお金は誰のため』にあえてバタイユをぶつけるという無茶なことをしてみた

私のこの記事タイトル↑を見ただけで、

詳しい人は「そんなことやめとけw」と思うでしょうが、

こういう、「ある本を読んだ後に、まるで違う本を読んでしまう」私の読書の振れ幅は、私のクセであり、まあ、矯正しようもない特性と思ってます、すいません。

昨日の記事にした、コチラの本ですが、

私はこの本の内容に、とことん異論がない!

あくまで経済の入門書レベルではありますが、多くの、特に子供に読んでもらえれば、と思う。

だが、、、ここからは子供には向いてない観点の話になりますが、

この『君のお金は誰のため』が、敢えて無視してる論点について、読後、私はどうしても気になってしまう。

『君のお金は誰のため』が、コンセプトとしては当然ながら、無視した、経済に関わる大事な話、つまり、戦争・犯罪・およびギャンブルとか性にまつわる消費活動について。

もちろん、そんな話を、ジュブナイル仕立てのこの本の中では取り上げるわけもないので、読んだ後に、大人な読者は、自分の頭の中でそれを考えてしまう。私もそうなった。

で、思い出したのが、バタイユの「一般経済学」となります。

「田内学さんの本の後にバタイユを読んだって、つながるわけがないだろ?!」と怒られるでしょう、はい、怒られることは覚悟の発言です、でもですね、、、

田内学さんも『君のお金は誰のため』の最終章で、「結局、お金の悪循環を断ち切ることができるのは、『贈与』の視点」と言ってるのですよ。

「贈与を中心に経済を見ると世界の見方が変わる」と主張している点だけを見るなら、バタイユの一般経済学と、案外、近しいところがあるのでは!?

怒られるね?はい、怒られますね?でも私の直感として、「なんか、フュージョンできるんじゃない?」と思ったところは大事に持っておこう。

つまり、田内学さんのこの本の話に、バタイユを強引に接木すると、たぶん、こうなる、

お金を回すことで「みんなが相互に仕事を持ち助け合う社会」が動くことになる、、、だが!人間のエネルギーはそれだけでは消費しきれず、経済上の蓄積は強烈な不均衡を生み、また「生産活動に従事するだけの人生」では人間の生きる力は消費しきれない。よって、恥ずかしがることはせず、犯罪や暴力にならないようなら、変な趣味とか無意味な遊びとかにもバンバンお金を使え、そして「生産とか社会貢献とかに直接は結びつかない」娯楽産業を貶めるな。もしかしたら、「本気でドカンと遊びに消費できる社会」が不均衡や戦争を回避できる鍵かもしれない、ということ。

そう考えると、私がホラー映画や心霊番組といった「なんの生産にも社会貢献にもならないコンテンツ」にうつつを抜かしボンボンとお金を払っていることも、経済上は望ましいこととして肯定されるのだ!、、、というのは、いくらなんでも我田引水にすぎるかなw

↑でも、半分冗談、と言いつつ、いささか本気で考えてることでありまする。

※バタイユのかなり特異な(しかし面白い!)経済観は、この入門書の第四章の最初、「冷戦構造と核戦争」というパートがとても詳しくてわかりやすい↓


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!