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須賀敦子が歩いた街 2.

ローマ

夕立というとなつかしい言葉が夏の日本にはあるが、ローマのアクワッツォーネは、ほとんど季節には関係なく降るにわか雨だ。アックアという、水、あるいは雨をさす言葉を拡大語尾で変化させた言葉で、どしゃ降り雨をいうが、ローマ名物でもある。

『トリエステの坂道(須賀敦子コレクション)』白水社, 2001年

私たちがローマに着いた日にも、アクワッツォーネが降りました。ドイツの雨はしとしと少し降っては止み、またパラパラと降っては止むという雨がほとんどで、傘をささずに何とかやり過ごすこともできます。地面に落ちた雨粒が跳ね上がり足元まで濡らす激しい雨は、日本を出て以来、本当に久しぶりでした。この時、私たちはパンテオンにいたのですが、丸天井の真ん中に開いた穴からダバダバ雨が降り注いで神殿の床を容赦なく濡らしていました。「これで本当に大丈夫なのかしら」というのが、私のローマに対する第一印象でした。

「ナポリを見て死ね」という言い回しがありますが、子供の頃から欧州史が大好きだった私にとって、やはり死ぬ前に見ておかなけれなならない場所は、ローマ。ですから、ローマに初めて乗り込む時は、気合いが入っていたというか、何というか。でも、手っ取り早くその感想を言ってしまえば、「ローマ見た。終了」というところ。イタリアには、ヴェネツィアやトリエステ、シエナを始めとして「いずれもう一度行きたい」と思う場所は数え切れないくらいほどあるのですが、ローマに関しては何故かそう思うことはありません。どうしてかなあ...。自分でもよくわからないのですが。

そんな私の気持ちをよそに、ローマで撮影した写真のなかには、未だに時折見返したくなるようなものが何件かあります。今日はここにカラーフィルムで撮影した写真を添えておきます。

そうそう、ローマにはこんなオマケの話があります。

須賀敦子が『ふるえる手』というエッセイの中で、その記述に2ページ費やしているヴィア・ジュッリア(Via Giulia)。後々よく調べてみたら、私たちが宿泊したローマのホテル、このヴィア・ジュッリアの南側入り口から3分と離れていない場所に位置していました。私たちも何度もそうとは知らず、ヴィア・ジュッリアを歩きました。だからどのような通りなのか、未だによく覚えています。彼女がエッセイのなかで強調しているとおり、あのローマにあって、定規を当てたようにまっすぐな通りです。この事実を知った時は、「ああ、もっと早くこのエッセイを読んでおけば...」と思ったものです。後悔先に立たず。

後記

私が最初にローマへ行ったのは2018年の春でした。そこでまず受けた洗礼はクラクション。まあ、誰もがともかく派手に鳴らすこと鳴らすこと。ちょっとでも道がつかえるとプーだのパーだの、あちこちから音が響きわたります。その隙間を縫うようにして、救急車やら警察車両やらがけたたましいサイレンの音とともに猛烈な速さで通り過ぎていくのです。その後何回かローマに立ち寄りましたが、ホテルに着き部屋の窓を開けた時、クラクションやサイレンの洪水がなだれ込んでくるたびに、「ああ、私はローマに来た」と実感するようになりました。2019年に書いたこの文章では「ローマ見た。終了」と書いている私ですが、その後訪れるたびに少しずつローマを好きになりつつあることは言うまでもありません。私にとって、噛めば噛むほど味が出てくるスルメイカのような街なのです、ローマは。
現在では9割がた白黒フィルムで写真を撮っている私ですが、この頃はまだPRO400Hというカラーフィルムを好んで使っていました。水彩画のような淡い発色がとても好きだったのですが、このフィルムは2021年にその製造が中止されてしまいました。大好きなフィルムだっただけに、本当に残念です。

(この記事は、2019年7月4日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)