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スイスのドイツ人

「スイスの学校に馴染めない」

ある日のこと。夫の勤務先で講演会が開かれることになりました。講演者はスイスのルツェルン大学の方だそうです。
「スイスからここまで来るのは大変だね(ドイツ鉄道の運行は、遅延・キャンセル・ストライキてんこ盛りで全く当てにならないから)」というと、夫は「いや、彼はフランクフルトに住んでいるドイツ人なんだ」と言います。ビックリしました。「じゃ、毎週出講日にはフランクフルトからルツェルンまで通勤してるの?それこそ大変じゃない」と答えました。あ、でも、車持ってるんでしょ。
夫はその問いに「持っていない」と答えると、「彼は当初家族そろってルツェルンへ引っ越すつもりでいたけれど、子どもがルツェルンの学校にどうしても馴染めないというので、諦めたみたいだよ」と言います。

私の疑問は続きます。馴染めない。それは、また、どうして。ルツェルンは確かドイツ語圏だったはず。
夫はそれに答えます。ルツェルンの学校では、授業中はともかく休み時間になると子どもたちは一斉にスイス・ドイツ語を話し出すんだ。それがチンプンカンプンで全く分からないし、言葉が上手く話せないと一緒に遊んでももらえないらしい。

「スイス・ドイツ語はドイツ語ではない」

ああ、なるほど、と思いました。
私も何回か夫の出張についてルツェルンへ行ったことがあります。夫が仕事をしている間は、一人で街を歩き回っていました。ルツェルンでは英語も標準ドイツ語(Hochdeutsch)も通じましたから、私にとっては非常に便利な街という印象がありました。しかし、それはあくまでも「見るからに外国人かつ短期旅行者の私にとっては」という話です。カフェで席につき、周囲の人が話している「音」を聞く限り、何を言っているかさっぱり分かりません。そもそも、抑揚からして猛烈に違います。標準ドイツ語は話す時にあまり抑揚をつけないためフラットに響くのですが、周囲のルツェルン現地人はまるで歌っているかのように抑揚豊かに未知の言葉を話しています。
なんだこりゃ。このあたりはドイツ語を話すんじゃなかったのか。

街に並ぶ店のショーウィンドウに貼られているポスターなどに書かれている文章も、全く理解不可能です。「私って、本当にドイツ語出来たんだっけ?」と不安になるくらい何も分かりませんでした。「スイス・ドイツ語(Schweizerdeutsch)は、もはやドイツ語ではない」とか「スイス人が最初に学ぶ外国語は標準ドイツ語である」とは聞いていましたが、自分自身がドイツで標準とされているドイツ語をある程度使いこなせるようになって、初めて私は標準ドイツ語とスイス・ドイツ語の間に横たわる深い溝に気付いたのです。
(なお、私だけではなく、生まれた時からドイツ人であるはずの夫も、スイスのドイツ語は全く分からないようです。ベルンの薬局で買い物した時に「すみません。標準ドイツ語で話していただけますか」と申し訳なさそうに言っていました。)

小さな子どもは時に残酷です。かつて母が戦時中に長野に疎開した時、標準語を話すという理由でずいぶんいじめられたと話していたことを思い出しました。フランクフルトからルツェルンへ転校した子どもたちにも、同じことが起こったのかもしれません。

「誓い」の言葉

もう一人、ルツェルンに住む夫の仕事仲間がいます。彼の姓名は一目で分かるバルカン系。しかし、彼はスイスで異邦人だと感じることはないそうです。なぜなら、彼はルツェルンで話されているスイス・ドイツ語方言をカンペキに使いこなせるから。ドイツ語で「Eidgenosse(誓いの同志)」と呼ばれるスイスの人々にとって、その「Eid」はかつて誓約同盟を意味しましたが、もしかしたら現代ではその土地で話されているスイス・ドイツ語方言がその誓いの内容に置き換わっているのかもしれません。すなわち、谷ごとにその方言が異なると言われるスイスにあっては、「我々の言葉をカンペキに使いこなせる者は、我々の仲間である」ということ。人とモノが国境を越え自由に行き交うヨーロッパ。その真ん中に位置するスイスでは、「我々」と「他所者」を分ける基準は、もしかしたら「出身地」という要素よりも「言語」という要素のほうが強いのもしれない。そんなことを考えました。

公用語習得は居住許可の条件

最後にもう一つ、この件に関連した話があります。

かつてロシアがソビエト連邦という名だった頃、その一部だったリトアニア。この国が先日ラジオのある番組で取り上げられていました。「ロシア人のリトアニア移住に対し、何か制限を設けていますか」というインタビュアーの質問に対し、質問を受けた(どの部局に所属する誰だったかか詳細は忘れてしまいましたが)当該担当者が「いいえ。リトアニア語を一定の高いレベルで習得したかたなら、どなたでも同じようにこの国に住むことができます」と答えていたのです。どうやらリトアニアでも公用語としての言語が重要な役割を果たしているようです。

例え何語であろうとも、外国語をある程度の高いレベルで習得するのは決して楽な作業ではありません。天才でもない限り、何年にも及ぶ地味な努力と忍耐が必要です。何回か試験も受けなければなりません。その間、恥をかいたり悔しかったり落ち込んだり、たくさん嫌な思いもします。それを乗り越えてあるレベルまで到達した人は、「その土地へ住みたい(住まなければならない)。その土地に住む人々や文化を理解し、ともに暮らしたい(その必要がある)」という真剣かつ強い意志を、少なからず証明することができるのではないでしょうか。そう考えると、言語を判断基準とする背景も、少し納得がいくような気が、私にはするのです。