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須賀敦子が歩いた街 3.

続・ローマ

数年前にローマを旅した時、私はまだ須賀敦子の本を一冊も読んだことがありませんでした。それでも、不思議な偶然から、彼女が歩いた道を、私も少なからず歩いています。ローマへの旅の記憶が少しずつ遠くに感じるようになってきた頃、須賀敦子のエッセイに出会い、忘れかけていたローマの風景や街の音、足の裏に感じた石畳の感触が蘇ってきました。

以下の3件の写真は、バチカン市国で撮影した写真です。実はバチカンに関しては、はるか昔、私の心に強く印象を残した映画があります。それは『オーメン』。この映画、何度かリメイクされているようですが、私の印象に残っているのは1976年に製作された元祖『オーメン』です。この映画の最初のほうに、バチカンの巨大な螺旋階段を、聖職者が駆け下りていくシーンがあります。幼かった私の目には、この巨大な螺旋階段が二度と忘れなれないくらい、強烈に焼き付きました。「いつかここに行ってみたいなあ」と小さな私は思ったものです。

その螺旋階段はバチカン美術館の最後の最後に登場します。一歩一歩、この螺旋階段を美術館出口に向かってゆっくり下りながら、「子供のころ行ってみたいと思っていた場所に、今、実際に立っているなんて、なんだか不思議だな」、そう思いました。

なにも社会派ぶるわけではないのですけれど、今回の滞在では、この都市を永遠の都と呼ばせてきた、カエサルたちの権力と栄光、教会の権力と栄光のローマよりも、なにか暗いゲットに、そして「じっと耐えて」きた、ローマの庶民といわれる人たちに、つよく惹かれました。

『須賀敦子全集 第2巻』河出文庫, 2006年

前回ローマについて書いた時、私は「何故かローマにもう一度行きたいと思わない」といった内容のことを書きました。しかし、この記事を書くにあたり、改めて須賀敦子の『ゲットのことなど』というエッセイに目を通した結果、やはりローマにはもう一度行くべきだと思うようになりました。歴史の主人公たちの目線で見るのではなく、その影でひっそり現れては消え、現れては消えていった名も無い人たちの目線で、もう一度ローマを見てみたくなったのです。せっかく訪れたというのに、最初は素通りしてしまったようなローマ。もし、この目線でローマという都市を見直したら、今度は何か見えてくるのでしょうか。

後記

私が「大学でもう一度勉強し直したい」と思い始めるのは、この文章を書いた2年後、コロナウィルス禍下のことです。しかし、この時思った「歴史の主人公たちの目線で見るのではなく、その影でひっそり現れては消え、現れては消えていった名も無い人たちの目線」という考えはこの時以降ずっと私の頭の片隅に宿り、現在は「いずれヨーロッパ中世後期から近世初頭の社会史に的を絞って学びたい」と考えています。もちろん、まだペーペーの学部学生なので、それはずっとずっと先のことなのですが、長い道のりを歩こうと決めたとき、たとえボンヤリとでも道標が立っていることは、とても心強く感じられるのです。

(この記事は、2019年7月6日にブログに投稿した記事に、新たに後記を書き加え2020年にローマで撮った写真を追加した上で、転載したものです。)