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エラン・ヴィタール(生命的原動力)

ストア学派の考え方では、生命は宇宙のエネルギーと連動しているという。宇宙は理性的で神聖な世界であって、その中で私たちは生きている。

運命の流れをそらしたり逆らうような努力をするのではなく、運命の動きと一致するように努力を傾けるならば、私たちの行動は増幅され、勝利の栄冠を手にすることができる。

例えば自分の周りにある「コントロールできるもの」と「コントロールできないもの」の境界線を明らかにして、コントロールできるものにのみ集中して力を尽くす。

これはシンプルでいて実用的な考え方で、日常のフラストレーションを相当減らすことができる。詳しくは拙著『生きやすい空気:死にいく私へ』を参照にしていただきたい。

『生きやすい空気:死にいく私へ』より

そしてもし私たちの行動が運命の動きに逆行するものであれば、私たちは失敗を経験しながらも、すぐに世界を支配する力を発見することになる。ストア派の考えを理解する人々にとって、宇宙は結局のところ穏やかなものであり人生に自信を持つことが(そして世界を信頼することが)自分の一部になる。

私たちは調和のとれた宇宙の中に生きていて、運命に自信を持つことができる。そしてその自信が自らの人生の自信へとつながる。

哲学者であると同時に物理学者でもあったエピクロスとルクレティウスによれば、起こることはすべて偶発的なものであり、現実は偶然に出会った原子でできている。

私たちの体も、私たちが飲む水も、世界の美しさも、存在するものはすべて存在しないのと同じなのだという禅問答のような見方が成り立つ。

存在には存在する理由がない。存在するという単純な事実自体が奇跡であり、ものが存在すること自体が奇跡であり、私たち個人の存在もまた奇跡だ。存在しなかったかもしれない私の存在がここにある。

エピクロス派にとって、人生に自信を持つことは、偶然に自信を持つことであり、可能性の場の無限の広がりに自信を持つことである。原子は無限に組み合わさって、物質や生体を構成する。

私たちの人生は決して予言されたものではないけれども、私たちに存在するチャンスを与えてくれたのだから、人生を信じないでいられるわけがない。

生きていることの特別な恩恵を考慮に入れれば、失敗の可能性を心配することは少なくなる。そして私たちを構成する素粒子は永遠だ。私たちは個体としては死ぬが、その粒子は他の肉体として再構成される。

生命と偶然の結合について考えるととても不思議な感覚が蘇る。現代の天体物理学者は、初期の原子論者の直感を裏付けている。私たちはビッグバンから生まれた電子と中性子の星くずで構成されていて、それは私たちが時折経験する永遠という感情に物質的なリアリティを与えてくれている。

私たちに宿る生命は、私たちよりもはるかに巨大である。それは130億年以上前に生まれ、私たちとともに終わることはない。

哲学者アンリ・ベルクソンによれば、生命は宇宙のエネルギーでも神の愛でもなく、エラン・ヴィタール(生命的原動力)、すなわちすべての生きとし生けるものを貫く根源的な創造力によって吹き込まれている。

生命が善であるのは、それが純粋な変化の力であり、変容の力だからだ。
この生命力は、植物の成長や障害物を回避するツタの能力、プレディターのずる賢さや馬の脚の速さ、そして私たちの実用的な知性や偉大な芸術家たちの創造的な才能に現れている。いずれの場合も、それらは形を変えた同じエラン・ヴィタールなのだ。




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