見出し画像

マリオネットの冒険 〜自我の目覚め

黄色のまばゆいばかりの照明が顔を照らし、操り人形の性(さが)というべき本能を呼び起こした。
「さあ、踊りの時間だ」
ぴんと張る力が糸を伝わり、腕から背中へ、首へ足先へと流れ、マリオネットを動かそうとした。しかし、腕の糸を固定されたマリオネットはただ天井からぶら下がるばかりで動かず、力は全身をぐるぐると巡った。運動に変換されず行き場を失ったエネルギーが頭に集められ、顔中の器官を繋ぎ合わせた。
ついに、それは問いかけとなり、彼の意識の扉を叩いた。マリオネットの思考が目覚めた。

ショーウィンドウの中のもの。新しい世界の圧倒的な情報量は、マリオネットの自己を揺るがすのに十分であった。自分の周囲には未知の物体だけが存在し、それをただ眺めていることしかできない自分。
「これはいったい何なのか」
これまで断片として彼の中にあった事実は、頭の中で速やかに組み立てられ、〈記憶〉となる。マリオネットは、記憶の中で自由自在に踊り、ナイフでものを切っていた。自分よりも体の大きな人間からの拍手を受けていた。広場で、劇場で見聞きしたことの全てが前半生として彼の肩にのしかかる。全くの新世界に放り出された彼にとって、それはあまりにも英雄的で、ショーウィンドウの中で動くこともままならない現状はあまりにも惨めであった。
「私はどこにいる?」
自分は誰よりも多くの場所で踊ってきたのだ。誰よりも多くの人間の前で踊ったのだ。歌劇場にいる他のどんな人形たちよりも、多くの種類の踊りを器用に踊ってきたのだ。しかも自分の踊りは見かけが滑稽なだけではない。両手のナイフを使って積極的に他のものに触れ、彼らを切り、他の人形は自分を恐れて逃げ回った。その様子をみた観客を喜ばせてきた。自分は物知りで誰よりも強い。そうした主張は今も事実ではあった。根も葉もない自信ではない。
しかし今目の前にある〈もの〉のうち、何であるかを的確に説明できるものは半分もない。右を見ても左を見てもそうである。ひとつの〈もの〉を何と呼べばいいか、呼称すらわからない。自分はあまりにも無知である。
数えきれないほどの舞台に上がり、数えきれないほどのステップを踏んできた。舞台から見た人々の顔、服装、舞台装置、他の大勢の人形たちとの物語を全て記憶している。それなのにこれほどまでに無知で不安なのは、偽物の世界で暮らしてきたからだった。幕が下ろされ、照明が落とされてからの出来事をマリオネットは何一つ知らなかった。今の自分とこの不安な気持ちは、これまで見てきたものだけではまるで解決されるものではない。自分の記憶は、都合のいい部分だけで継ぎ接ぎして作られているに違いない。本質が見えなかった自分のせいだ。自分が知っている時間は実際に生きてきた時間よりもはるかに短かったに違いない。
そのとき、マリオネットの自負は崩れた。
骨董屋の前を通り過ぎていく人々のほとんどは、ショーウィンドウとマリオネットを軽く一瞥するだけであった。新入りに気づく者も中にはいた。しかし、季節の変わり目にショーウィンドウの中身を入れ替えることは恒例であって、立ち止まったとしても数秒の間である。これほど多くの人々から注目されないことは初めてであった。
マリオネットは悟った。
「私の前半生は偽物だった。見てきたものはまやかしだった。観客からの拍手も偽物だった。私自身に向けられる本物の愛ではなかった。私はいったい何者なのか」

この記事が参加している募集

雨の日をたのしく

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?