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ACT.82『栄華を残す場所』

工場を見てから

 再び、苗穂工場に戻った。
 室蘭本線を経て、岩見沢へ。その後に旭川へ向かおうとする時以来この場所にやってきた。
 少しだけ離脱しただけでも、ここまで変化が起きているというのは何か感慨の深さがある。最果ての北の大地でも、当たり前のような日常があるのだと改めて思い知らさせるというか。
 苗穂工場を見渡せる跨線橋を離脱し、再び札幌に戻るべくホームに移動する。
 ちなみにこの跨線橋のポジションだが、子連れの生活住民の方々やあ利用客が
「ほら、今日は何が居るかな〜?」
と工場を眺めて一喜一憂する姿が確認できるのだが、確実に男児でありある程度の癖を拗らせた場合だととんでもない鉄道オタクに成長しかねないので注意が必要だと思う。
 では移動。改札横セブンイレブンを移動してから、再び札幌に向かうべくホームに戻る。それでは。

ターミナルへの道

 この駅では、正直な感想として通過列車の方が割合待っていると来る率が高いのではないかと思う。
 既に聞き慣れた佐久間氏の駅構内放送で
『列車が、通過いたします』
と聴こえる度にカメラを反射神経で回して撮影の態勢に入る。そうした翻しを自分は既に身につけている状態であった。
 札幌の方面に列車が通過して行った。石勝線の特急・おおぞら。キハ261系1000番台による運転で、シーズンの為か編成は少し長めであった。
 石勝線には、再び乗車する。そうした中でボルテージの上がる列車に遭遇した。

 続いて、789系1000番台による特急『カムイ』。北海道の伝統的な電車列車の名前を継承した由緒正しき北海道のスプリンターである。
 ラストスパート、残すところ僅かな道のりを苗穂駅を颯爽と通過し、坂を上り札幌の駅を目指している。
 咄嗟の撮影と列車の本数稼ぎのようなもので構図は完全崩壊しているが、そこはどうにか許していただきたい。

 続いて、千歳方面。
 733系を併結した6両編成の普通列車が入線してきた。
 少し側面がちに撮影すると、車両の形状。そして独特な近郊電車のような設計のスタイルがよく伝わってくる。
 この連載の中でも記したのだが、733系には姉妹形式…兄弟のような存在の735系電車という車両の製造素材を変更した車両が居るのだが、試作的な存在?なのか滅多に製造された部類ではなかったので今回は遭遇しなかった。
 札幌でワンチャンスを狙ってみたのだが、ここまでしても遭遇しないという事は余程目を凝らさなければ見つからないのだろうか。
 次回、出会える事を信じて…

 駅滞在中、通過列車の放送を耳にする事が多い…そうした理由の1つになっているのが、間違いなくこの列車の影響ではないだろうか。
 新千歳空港を目指して函館本線を疾走する快速エアポート。特急以外では数少ない快速列車であり、座席指定車両のuシートも併結している。
 中間、少し帯がくすんでいる車両がそのuシートの車両である。この車両によって快速エアポートは設備の向上を図っており、同時に空港までの着席移動も実現している。
 写真の車両は721系であるが、721系は711系電車の成果を反映した上で道内に適合したJRの近郊・通勤用の電車として誕生した。
 その後に車両としての形態展開で座席指定のuシートを挿入した編成が誕生し、この編成形態が721系の車両分類形態を複雑化させている存在でもある。
 そして、この721系であるが後継車両…?と推察される733系の新番台の製造が始まった、発注がかかったとの噂を聞く。果たして次回の北海道訪問にて、この編成との再会は可能なのだろうか…

札幌土産

 苗穂から再びJRに乗車して、札幌に戻った。
 札幌からは別の路線に乗車していくのだが、乗車前に一定の時間が出来たので大学時代の友人に土産を購入していく。
 写真は先ほど苗穂を通過し、高架橋を札幌へと駆け上がっていった石勝線の特急/おおぞらとの並びだ。回送表示を出して引き上げる手前の状態であった。
 実は友人が札幌を代表するキャラクターのファンであり、今回はそのキャラクターの土産を購入して帰ろうと思ったのである。
 その札幌を代表するキャラクターというのが。

※初音ミク…に筆頭されるVOCALOIDのキャラクターたちは、札幌に拠点を敷くkrypton futureが制作している。そうした中で友人もファンだったので、限定の土産を出会いのネタに購入しようと向かったのであった。

 皆さんご存知…多くの人々に『ボカロ』の代名詞で親しまれているVOCALOIDの『初音ミク』である。大学時代に知り合った友人はこのVOCALOIDのキャラクターを箱推しで応援しており、イベントにも参戦している筋金入りのファンなのだ。
 今回は札幌に居る事を殆ど伝えなかった為、少し秘密裏に購入してまたいつか友人と大阪で待ち合わせて渡す計画を立てた。
 と、少し時間のある中で思った事。
「札幌では何処に行ったら初音ミクのグッズが購入できるのだろうか?」
という事である。
 札幌駅に降り立った後、サイトや口コミ等を調べてみた結果、まずは新千歳空港にある事が判明した。流石に千歳は遠い。
 として。もう1つ発見した場所がある。
 さっぽろテレビ塔だ。この中にグッズの販売場所があるという。再び札幌の真ん中である大通に繰り出す事にした。
 札幌駅から大通まではバスでも到達が可能な上、また徒歩でもアクセスが出来る。しかし、自分は極限まで『札幌らしさ』を追求した結果、再び地下鉄に乗車して向かったのであった。
 幾分ぶりかに体験した時間が再び突き刺さる。この体験とももう少しでお別れだ。
 地下鉄に乗車してすぐ。再び札幌交通の結節点である大通に到着した。

 途中、地下鉄土産を購入したく定期券売り場を探してみた。
 しかし、京都や大阪の地下鉄のように定期券売り場や情報カウンターでの購入は出来ないらしい。キツめの態度で係員の応対を聞いたのち、地下を上がって地上に向かった。
 見えてきたのがコチラ。
 札幌のど真ん中に聳える、『さっぽろテレビ塔』である。東京タワーと同世代の、北国を象徴するランドマークだ。何処かノスタルジーで懐かしい感じがする。初訪問なのにこう感じるのは何故だろう。それもまた、このタワーが街に聳えて長い証拠だろうか。
 それもそのはずで、テレビ塔が札幌の街に完成したのは昭和31年の事であった。
 そして現在に至るまで、レトロな姿で札幌の大通のランドマークとしてその威容を見せている。

 テレビ塔の中に入って、最初は案外に迷うものだった。
「あれ?お土産何処やったっけ…」
塔内をエレベーターないし階段で上がっていくようだ。エレベーターの入り口まで到達し、最初はエレベーターが回ってくるまで待つか考えたのだが時間が焦ったく結局、近くにあった階段を登って目的の場所に向かう事にした。向かうはテレビ塔3階、スカイラウンジである。
 …エレベーターを単に乗って向かうのと違い、さっぽろテレビ塔の階段というのは様々な装飾。そしてさっぽろテレビ塔のキャラクターである(非公式らしい)テレビ父さんの情報やプロフィール。そしてテレビ塔の歴史など、様々に記されていたのだが残念な事に。後悔する事に。その階段内での写真を全く撮影していなかった。実に後悔の極みである。
 階段内でのテレビ父さんの装飾は、
『今、ここです。3階まで残り64段。2階まで、残り24段!』
と励ましをくれたり。また、他の同世代のタワーの情報を教えてくれたり。(東京タワー・通天閣
などが同世代)中にはテレビ父さんのプロフィールも記されている。
 全部でこの階段は109段あるのだが、自分の中では楽々とエレベーターで登っていればこうした風景には出会えないと考えさせられた、少し得した時間であった。足腰に更なる負担をかけるという。(旅はまだあるのにね)

 109段の階段を到達して、スカイラウンジへ。階段を登っている最中に地上を眺めるとビアガーデンのようなものが開催されており、夏らしい清涼感のあるイベントを垣間見る事ができた。
 さて、ここでお土産探し。
 札幌・北海道土産は職場用に購入した幾つかとこの友人への専用土産のみが中心であった。
 他には自分用の資料などを購入したが、あまり自分への投資はしなかった思い出だ。とにかく、人に何かを伝えられたらな、な感覚。
 3階の売店までは無料で入場が可能である。自分の次に乗車する列車の車内で食するお菓子も同時に購入し、982円の買い物を済ませる。

 先ほどしれっと出したのだが、この売店には初音ミク・テレビ父さん関係の土産だけでなく総合して北海道土産を販売している。
 その中でも特に初音ミクのグッズ…に関しては限定商品の陳列が多く、雪ミクと称して限定仕様にしたものも多かった。
 購入して大阪で土産を渡したところ非常に感動され、大学時代を彷彿とさせる思い出が蘇った。やはり友の笑顔には変え難い何かがある。
「雪ミク買ってきてくれたん?!雪ミクって中々札幌から出ーへんから貴重やわ!!」
という反応が返ってきた瞬間の歓喜は今でも記憶している。
 今でも思い出したら余韻が溢れて止まらない。
 本当に行って良かったと思い出す。
 友への土産と自分の食糧を携えて、自分はテレビ塔を降りた。
 ちなみにこの上に行く…展望台に向かう場合は入場料が発生するのだが、今回はその場所に訪問する余裕はなかった。

 再びテレビ塔を下りて、次の準備へ。流石にサイコロキャラメルだけでは何か侘しい気持ちもしたので、近くのセイコーマートで食べ物を買っていく事にした。
 稚内でも購入したバーベキュースナック、そして130円近い破格の値段であったティラミスを購入し、レジの列に並んだ。
 そして、この列の中で思いがけない出会いをする。
 昨日から北広島・エスコンフィールドで試合をしているオリックスのファンに遭遇したのであった。山田投手のタオルを首に巻いていたのですぐにファンと分かったのであったが…
「昨日の試合見てたんですか?」
「えぇ、はい」
あまり鮮明には浮かばないのが非常に悔しいのだが、思いの外レジ待ちの列が長かったので話を少しだけ。まさか札幌は大通でバファローズの話が出来るとは思わなかった。
 山下の昨日のボーク判定に関してなど、話した思い出は割りかし多かった気がする。直近の話題だったので、それだけは鮮明な記憶だ。
 その中で自分が
「祖父の代…阪急時代からのオリックス応援している家系なので非常に嬉しいです」
と話したところ
「えぇ!?まさかそんなガチな…」
と驚かれた。だが、自分が祖父の志を継いで応援したのは昨年秋からだったので、こうした話に関しては専ら謙遜しまくりであった。
 ただ、話し相手のファンからは
「このタオル提げてて良かったわぁ」
と言われたのは記憶している。それだけは確実に鮮明なお辞儀だ。(※なお話し相手は複数人だった模様)

 そのままバファローズの話をしつつ、列が流れていった。
「じゃあまた、京セラか神戸で!」
と挨拶をして別れた。
 自分は近かったバスセンター前の入口からそのまま地下に入る。再び地下鉄に乗車して、札幌を目指していく。
 このバスセンター前駅の入口、実際は全然バスセンター前に近い場所ではなく、個人的体感としてはテレビ塔の方が近い印象を感じた。
「これ絶対にテレビ塔前だよな…?」
今でもそうした思いが抜けない。

札幌の礎

 東西線のバスセンター前駅から歩いて、地下鉄は再び南北線に乗車した。
 そうして、再び札幌に戻る。札幌駅の地下道をJRに戻ろうとしていると、こうしたものを発見した。
 オリンピックの競技ピクトグラムに、五輪マークが記され様々な札幌五輪の記録が記されている。
「南北線に乗ったし、札幌の地下鉄は五輪を契機に開業したんだよなぁ、偶然見れて嬉しい…」
との思いを秘め、モニュメント?らしきモノを観察する事にした。

 場所は東豊線改札が近い、さっぽろ駅の(地下鉄)の23番出口付近である。これを記しただけで東豊線を利用した事がまたバレそうな
 このモニュメント(?)には、両面にポスターのデザインが記されている。
 昭和47年に開催された札幌冬季五輪。そしてこの場所に記されているのは同年に札幌の姉妹都市でありドイツはミュンヘン市で開催された夏季五輪のポスターである。
 札幌の抱える五輪への精神、そして五輪によって発展した都市としての敬意を感じる壁面であった。
 五輪マークの上には、こうした言葉が記されている。ピエール・ド・クーベルタンの言葉だ。
『オリンピック大会で重要な事は、勝つことではなく参加することである。人生において重要なのは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よくたたかったかどうかにある。このような教えを広めることによって、一層強固な、一層激しい、しかもより慎重にして寛大な人間性を作り上げることができる。』
 フォントというか文字の飾り付けの感覚にして思えば、昭和らしいというのか時代を閉じ込めたというのか、色んな意味で当時の気合いやその精神を感じるものである。
 札幌・ミュンヘンの経験世代ではないが、自分はこの看板モニュメント(以下そう記す)を見た時に数々の五輪の熱闘・激闘の歴史を思った。
 中にはニュースではなく、実際に中継を通してアスリートの勝ち取った栄光を生で見届けたものもある。
 そうした背景、アスリートの薫陶を思えばまず、
『五輪への出場は国の代表であり出場できる事は大きな功績』
とその時点にてアスリートの勝ち得た五輪への道が大きなものに感じるのであった。
 改めてパリ五輪を迎える今、この言葉を噛み締めたいものである。

 実はこの看板モニュメント、中には昭和47年当時の企業や団体がそのまま記されているのだとか。
 中でも札幌の歴史として現在も刻まれているのが、札幌そごう…五番館といったもののようである。
 自分がそれを知ったのは、京都への帰郷後でありこの団体・企業向けの芳名の部分に関してはどうして撮影しなかったのだろうと後悔を大きく背負う結果になってしまったのである。
 札幌の発展と現在の交通の基礎、街の血管として大きく貢献する事になった地下鉄に寄与した看板モニュメントだっただけに、多くの詳細な撮影をしなかったのが本当に大きな失態であった。
 しかし、撮影して思ったのが誰もこの周辺を通らない。札幌の街の中で、人々の目に留まる形にて保存されているタイムカプセルのような演出であった。

 折角なので、この札幌五輪での選手の活躍。そして名シーンを調査してみた。(そんな話題を挿入するから長くなるのだろう)
 札幌五輪は改めてになるが、昭和47年に開催されたアジア初の冬季五輪である。それまでにも札幌は冬季五輪開催の招待に成功、開催まで後一歩の段階に近づいていたが日中戦争の最中であった為に開催権を返還した辛い過去も残っている。
 そうした中で迎えた冬季五輪。この大会の中で、まず我が国が誇る快挙はやはり『日の丸飛行隊』であろう。
 70メートル級のジャンプにて、笠谷幸生・今野明次・青地清二が金・銀・銅全てのメダルを獲得し表彰台を日本人だけで独占したのであった。
 クロスカントリースキーではソ連のガリナ・クリコワが5キロと10キロで優勝し、リレーでもアンカーを務め、ソ連に金メダルを届けたのであった。
 フィギュアスケートでは、『氷上の妖精』として親しまれたアメリカのジャネット・リンが転倒しても諦めない活躍を見せ、銅メダルを獲得したのであった。
 なお、この札幌五輪によるメダル数は1位がソビエト連邦の16個。2位が東ドイツの14個。3位がスイスの10個であった。

 ちなみに。
 自分が札幌を歩いていた昨年の夏はまだワンチャンスの可能性に賭けて令和12年の冬季五輪札幌開催に向かって謎の努力をしている最中であった。
 既に五輪は閉幕し、既に選手たちが滞在した真駒内の選手村も既に団地となり、時期を経て現在は盛衰の時を迎えるに近いそうな。
 実は冬季五輪のアジア圏開催はこの他にも、日本の長野。韓国の平昌。中国の北京に続いているのである。
 しかしそうした中で日本は再びの札幌開催に向かって邁進していた。
 だが、招致に向かっての足並みはアメリカ・ソルトレークシティとスイスへの優先順に。
 結果として自分が京都に戻った時には札幌五輪を次に迎える気持ちは萎んでいき、このポスターに秘められしやる気は過去のものへと消えていった。
 現在は地下鉄にて招致機運を高めようと設定した接近メロディ・『虹と雪のバラード』に関しても停止が決定しているという明からさまな萎えっぷりを見せつけている。
 むし貴重になってしまったこの五輪の記録。
 札幌に再びの脚光は呼べなかったようだ。

 続いて、同年の夏季五輪としてドイツはミュンヘンで開催された五輪も振り返ってみよう。
 このミュンヘン五輪では、五輪史上最大の凶悪事件として現在も語り継がれる選手村テロ事件が発生し11人が死亡するという悲劇が発生した。
 大会は34時間の中止に見舞われたが、当時のIOC会長のエイブリー会長は
「大会は続けなければならない」
と続行を強く主張した。
 この五輪で初のカヌー競技が採用され、現在に続いている。カヌーに関しては、スラロームも採用されている。
 この五輪での選手の活躍は、ソ連の体操選手(女子)のオルガ・コルブトが筆頭格であった。
 6つの金メダルを獲得し、大会では多くのメディアの脚光を浴び、そして観客の心を射止めた演技で見事頂点に立ったのであった。
 日本人選手の活躍は、バレーボールでの金メダル。そして体操での男子団体総合が金メダルを獲得。バレーボールに関しては、女子も銀メダルを獲得している。
 体操では加藤沢男・中山彰規の金銀を残す成績もあり、圧倒的な成績を日本も残している。
 水泳、田口信教も200メートル平泳ぎでの銅。100メートル平泳ぎでの金を獲得している。
 この大会でのメダル獲得数は、札幌に続いてソビエト連邦が99個。で1位。アメリカが94個で2位。ドイツ民主共和国が66個で3位だった。

憧れを浴びて

 札幌・ミュンヘンの五輪について残された時代のタイミカプセルのような看板モニュメントを観察し、再び地上に上がってきた。
 JR札幌駅。
 この大きな時計にはこの旅で幾多も見る度に心を動かされたものであった。
 自分が鉄道に対して圧倒的な熱量を持っていた頃。寝台列車のDVD付き雑誌を祖父母に買ってもらった頃がある。
 その際、大阪から発車し札幌に向かう寝台列車・トワイライトエクスプレスの乗車レビューのような映像をよく見ていた。もう乗車を繰り返したかのように鮮明に記憶している。
 …で何がこの話から言いたいのかというと。(発達特有の話の始まり方ですねはい)
 そうした北海道寝台特急たちの乗車動画で、必ず上野・大阪といったターミナルを発車して車両を見送り、駅に降り立つアングルが流される。
 その中で、この巨大時計が列車を去った後の映像に登場し、自分の中では一種の旅の終わりのようなものに感じていたのである。
 あくまでも少年期の画面内での話だ。深緑の客車たちも、もうこの世にすらいない。
「あぁ、ガキの頃画面で見てた時計がまだ駅に掛かってる…」
そう旅路の中で思うだけで、希望が繋ぎ止められている気がした。
 夏空の中、ターミナルの威容を受け止めて駅の中に入る。平成らしさ、時代ならではの忙しなさを詰め込んだようなコンコースの改札を入り、再びJRに乗車していく。

 北海道のJRで特に好きな言葉がある。放送の中に入る、
『改札を実施いたします』
という言葉である。この言葉、東京に大阪に東海に使われている声はそこまで全国と大差ないのにも関わらず、何処かありがたみや暖かさを感じるのだ。
 札幌や千歳といった既に大きな駅、主要な仕事を託されし駅では既に自動改札が普及し、有人で切符を管理さす必要性がない。
 だが、この放送が残存している事に旅情の深みを濃く感じるのだ。
 人の手で、駅員の鋏で旅が始まるような高揚感。その高揚感や鉄道が日本の中心として活躍していたあの頃の隆盛をこの
『改札を実施いたします』
という言葉は濃く伝承している。
 ここまで人の心を旅へと撃ち抜く言葉はあっただろうか。特に札幌駅の広大なコンコースでその言葉を噛み締めると、また違う感傷にさせられるものである。

 そのままホームに入って、列車撮影。
 733系同士の並ぶ札幌を象徴する光景だ。
 構内の放送、駅の映し出す空気。そうしたモノに反して、最新鋭の現代技術が盛り込まれた車両が行き来する都市の中心は面白いと感じさせられる。
 乗車するのは再び、あの高規格路線を走行する特急列車である。再びの気動車特急乗車に、自分の胸は高鳴るばかりである。
 この日は土曜日かつ北海道の夏季レジャーシーズンとあって多くの乗客が集っていた。列車を待機するホームも、少しづつ賑わいの装いを見せてきた。

 高架駅の暗く冷たい中を、高運転台の特急車の閃光が切り裂く。
 エンジンサウンドを掻き鳴らし。駅員による案内によって出迎えられ、昼下がりの札幌駅に特急/おおぞらが入線してきた。
 北海道の旅のクライマックスが本格的に開けようとしている。
 …そして。
 もう少しだけ皆さまにはこの旅路を流す事になるかもしれない。クライマックスとはいったものの、まだあと少し時間がかかるのをどうかお許しください。

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