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ACT.107『疲労、天候、燦々』

下車駅・三つ峠

 この駅でJRからの直通列車を下車して、撮影地を探しに向かう。
 三つ峠から先、寿までの区間は富士急行線随一の撮影地の多さであり、関東圏の鉄道ファンがこよなく愛する撮影地が多い。
 そうした中で、自分もそこに惹かれて下車してみた。また、漫画家…しろ先生によって描かれた漫画・TVアニメである『ヤマノススメ』にてこの三つ峠駅は登場した事があり、自分は奇しくもその回を学生時代に視聴していた体験があったので一度は下車を…と思った中であったのだ。しかしヤマノススメ作中で三つ峠駅が登場したのはかれこれもう10年近く前の話であり。自分でもよく記憶していたものだと回想する。
 さて、JRからの直通列車である211系電車が走り去ったところで。
 駅を出て線路に沿って歩くようにして寿駅の方角に進行していこう。

 ちなみに。
 前回の連載おさらい…になるかもしれないが、JR直通の211系電車と行き違った富士急行線の自社線内の列車は6700系のNARUTOラッピング列車であった。
 多くの外国人・日本人から羨望と人気の眼差しを受けていた6700系電車は、211系との挨拶を交わした後に自社の終点である大月に向かって山を下山していった。
 東京都心では慎ましやかに、質実剛健に活躍した205系時代とは裏腹に…富士急行に譲渡されてからは富士急ハイランドのキャラアトラクションの宣伝に抜擢され、多くの観光客や利用者のハートを掴む存在に変化した。

 三つ峠の駅を下車して、まずは記念に駅舎を撮影する。
 駅舎自体はかなり古い年月を経ているであろうが、丁寧な維持管理に訪問時は駅舎の再塗装をしていたようで、駅舎には艶と彩りの光が差し込んでいた。
 この駅を離れて、何処か列車の撮影できそうな場所を探し歩いていく。
 前夜、宿泊したホテルの中で
「この場所にしようか」
と考えた場所に歩いていく。
 しかし朝に下車した田野倉と比較して、三つ峠に関しては線路と道にどうしても壁が隔てられたような気持ちになる。
 線路+建物+道路
 の順に倣っており、どうも撮影地に向かう足どりが掴めない。
 邦楽は寿駅に向かって…と歩き続けた。

 撮影できそうな…自分の目を付けた場所に向かう最中に発見した富士山の風景。
 街の中に堂々鎮座している富士山の姿は、この日の澄み切った空気と天候に演出され格段の美しさを見せていた。
 こんな綺麗なものを見せられたら、自分が普段抱えている生活の思いの丈などは軽く吹き飛んでいきそうだ。
 思わず撮影したこの写真に関しては母親に自分の居場所を伝える目的も兼ねてLINEに送信した。

回帰する屋号と一緒に

 三つ峠駅から少し歩いて撮影地…ではないだろうが、撮影に適したであろう踏切に到着した。
 この日の天候、雲1つない晴天の中で映える列車の撮影は、かなり気を使いたかった…ところではあるものの、結局妥協して。そして編成を重視するあまり少し半端な場所になってしまった。
 取り敢えず待ってみよう。
 踏切が鳴動し、列車がやってきた。
 端末内にある時刻表と三つ峠駅との距離を確認し、列車の通過を確認する。
 最初にやってきたのが、この列車だ。
 JR中央本線の新宿方面から直通し、富士急行線に乗り入れて富士登山・富士観光の乗客を輸送する特急列車『富士回遊』である。
 車両は中央本線にて活躍する特急/あずさ・かいじで活躍する現在のエース、E353系電車である。
 今日までの大車輪の活躍。そしてJRを乗り越えて富士急行線までに広がる大きな活躍は、まさに中央本線の『主役』と呼称するに相応しいだろう。
 しかし。撮影したは良いものの肝心の列車号数がわからない。
 この日は春季の観光シーズンと海外からの訪日客の増加で特急/富士回遊には臨時列車が出されており、その関係で正確な時刻が不明なのだ。
 あまりにも本数があったので、把握が面倒になってしまった。

 次の列車がやってきた。
 車両は河口湖方面に向かって走る6000系電車である。
 しかしこの撮影地に到着して感じたのは
「う〜ん、面がもう限界やなぁ…」
とミスチョイスを引いた後悔であった。
 折角なら頑張って寿駅方面まで歩いたほうが良かったのかもしれない。
 側面に太陽を当てて踏切を通過し、富士山をめがけ列車は登っていった。

 出来に正直どうにも良い感想がなかったので、後方に向けて後打ちにも挑戦する。
 うむ、どうやらこっちの方が軽減される感じがある。こっちメインにするか…
 こちら側、バックショットを撮影した時に、踏切の下にある注意書きを見たのだが非常ボタンと一緒にステッカーで修正を掛けた後が残っていた。
 どうやら鉄道の営業母体?だったか屋号が変化したのでその分の修正だろう。
 ステッカーが貼られる前には『富士急行電鉄』だったものが、ステッカーによって『富士山麓電鉄』に変化していた。
 ただ。
 この連載内では特に細かい説明や、この単語を要する機会がない限りはずっと路線名に化した『富士急行』の名称を使って記していく。その辺りは御了承をいただきたい。

 次の列車がやってきた。
 暑さで疲労困憊している中、大月方面の列車の通過を待った。
 やってきたのは派手なラッピングの『きかんしゃトーマス号』である。
 側面に燦々と照らす日差しを強く受け、山をガッチリと踏み締めて下る。
 というか、側面もかなり派手な装いとなっているんだな…とこのあたりで気がつく。
 草原や大地をラッピングした車両も珍しいとは思うが、改めて考えてみるとキャラクターの主張も大きく、カラフルな姿をしている。
 この辺りで撮影を切り上げて、三つ峠駅に戻る事にした。
 正直な話、もう日差しが高過ぎてこれ以上順光線の撮影地を探して歩くのはなんとなく難しいような気がした。
 そして列車を降車してまだ1駅。先に行ってみたい思いも含めて、再び駅に戻る事にした。
 富士山を背にして、駅に帰る。

MT61の歌

 MT61…というのは、先述しておく事になるが205系電車が搭載している主電動機の事。つまりモーターである。この話はこれ以上先に切り込むと、外扇だとか内扇だとかかなりの話が広がるが現状はこのままにして進めていこう。
 さて、富士急行に6000系と転職しても、この205系たちは主電動機を改造される事なく大活躍を見せている。足回りに関しては、山岳を走行する為の小改造以外特に手が入ったといった様子は全くなく、東京に大阪の街並みを駆け抜けた銀色の電車のそのままの姿がそこにはある。
 話が205系で長くなったが、三つ峠の駅に戻った。
 まだ列車まで時間はあったので駅の構内を探る。
 木造の薄暗い駅の構内は、何処か懐かしい地方私鉄の香りを残している。人気のない状態がどうも寂しくなるが、それでも駅の美しさには代え難いものだ。
 さて、列車がやってきた。この列車に乗車して富士山に近い場所を更に登っていこう。
 ちなみに、この三つ峠駅のホームをもう少し先に行くと先述したTVアニメ『ヤマノススメ』に登場した部分が出てくる。
 しかし、流石に数年か10年は経過したアニメだったのでもう作品の面影は少なくなっていた。
 そうした事を思いつつ、列車に乗車する。向かうは下吉田だ。

 列車内の訪日観光客は、この駅に降車する前の段階であったJR直通の列車よりは多少マシだったような記憶がある。
 それでも、列車内が賑わっているのには変化は一切なく、乗車しても落ち着ける雰囲気はあまりなかった。
 三つ峠から先は、沿線が更に開けた格好となり富士山が沿線に広がってくる。寿までの富士山の広がる車窓は、沿線随一の名風景だ。
 この日は何度も記しているように富士山が最高の天候で記録できた1日である。絵に描いたような世界が、列車の窓越しに広がっているのであった。

 折角なので、列車内からの撮影としてこうした記録も残した。
 水戸岡鋭治氏のデザインした富士山のロゴマークと富士山の絶景をこうして収める事ができたのは、この旅で最もの大きな成果ではないだろうか。
 三つ峠から先は列車も一定の減速で通過するので撮影は比較的容易といったところである。
 この先、富士急行の観光拠点である下吉田までゆったりとした速度の列車に揺られ、205系時代と変化のない主電動機、MT61の響きに耳を傾けた。

憧れの故郷

 下吉田に到着した。
 比較的この列車ではゆったりと出来たが、それでも外国人観光客に家族連れの利用は非常に多い。こうした点に関してはどうもどの列車でも避けられないようだ。始発列車ないし夜の遅くでない限り、日本人だけで安息した時間は過ごせないように思ってしまう。
 富士吉田市の観光開拓にと開発されている下吉田で下車。流石にこの駅はトーマス要素がそんなになく、富士急行線の中でも特別な扱いを受けているように思う。
 29歳という若さで急逝したミュージシャンであり、バンド。フジファブリックのボーカル・ギターを担当した志村正彦氏の故郷として駅ホーム内にはこうした看板の設置がある。
 思わず、下車した列車と記念撮影をしてしまった。
 志村正彦という名を知ってどれくらいだろうか。ようやく志村氏の故郷である、志村氏の原点である富士吉田の拠点に到着したのであった。

 乗車した6000系電車が去っていく。
 田の字の初期製造車である事を示す、『205系』としての活躍の佇まいが非常に美しい車両だ。
 チラッと見える集電装置はシングルアームパンタグラフに変更されているが、それでもこの車両がかつて東京の都心で『205系』として活躍した証拠は変わらない。
 河口湖に向かって、後少しの山道を登っていくのであった。

 下吉田の駅名標。
 改札外に出て撮影した。
 駅名標の横には、志村氏のイラストが記されている。
 志村正彦という人間を知りたい、志村正彦を感じたい…と山梨県への訪問を楽しみにしていたので、本当に嬉しかった。
 そして、連載内の最初の方に静岡県の富士宮市に『富士山の博物館』たる施設があったように思う。
 写真の中、駅名標の下の広告枠に『フジヤマミュージアム』が記されている。
 多分、同じような施設ではないかと思うのだが山梨県側にも同じような施設があったとは。正直な話、完全に想定外であった。下吉田にあるとは…
 下吉田は多くの外国人観光客で賑わっている。あまりの国際色の強さは、自分が日本人である事に違和感を覚えてしまうくらいの数であった。普段、生活で京都で体感している事をまさか関東圏に近い山梨県で体験するとはこれいかに。
 あまりにも人の多さで気疲れしてしまい、富士急行を楽しむ感情は失われつつあった。暑さ以前の話として。
 駅周辺の視察は後にして、場所を発見した撮影地に向かおう。

羨望の麓

 富士急行の次の撮影地として、次は月江寺〜下吉田を訪問した。
 駅からは10分近く歩き、この場所を訪問する事になった。この場所は外国人ツアーのツアーコースになっているようで、旗を持ったコンダクターに先導されている団体の客を何組か発見した。
 なおこの場所に関しては偶々、沿線の有名観光地である忠霊塔への通り道になっている事から多くの観光客が踏切付近を歩いていた。
 忠霊塔に関しては今回訪問しなかった。
 次にこうした天気で富士吉田に来れるとは限らないのに…
 と、多くの観光客の波の端によってカメラを構える準備をした。
 早速、河口湖方面から列車がやってきた。
 車両は6000系。やはり面が暗いなぁ…というのが撮影した写真の仕上がりに関する印象で、今は撮影のシーズンではないのだろうかと少々の諦めにもなってしまった。

 205系初期車譲りに現在も残る田窓と富士山の雪のコラボレーションを狙う。
 青を基調とした現在の富士急行6000系として現在は生きているが、側面だけを見て仕舞えば本当に205系がそのまま活躍しているように見える。
 自分の幼少期は山手線にこの田窓の車両が活躍しており、自分は図鑑で京浜東北線の白いマスクの電車、209系と一緒に慣れ親しんだ車両であった。
 実際に自分は現役時代に関しては知る事が大半あるわけでもなく、図鑑で見て以来…なのだが、本当に幼い頃から画面で見て親しんだ俳優に出会ったような気分である。
 205系メイクの富士急6000系は山を下っていった。
 引き続き、忠霊塔に向かう人々に紛れて撮影を続ける。撮影する方角を変えつつ、引き続き継続だ。

 方角を変えて下吉田方面で撮影する。
 やってきたのは、再び新宿からの富士回遊。先ほど三つ峠付近で見送った分で終了かと思いきや、まだ走っていたとは。
 完全に見逃した…というのか、この列車に関してはノーマークで撮影に挑んだので完全に『棚ぼた』の状態である。
 というか午前中に終了すると思った列車だったのだが、まだ新宿からの臨時列車があったのか。
 普段は中央本線で全力疾走をするE353系であるが、こうして見てみると何処か妙な違和感と愛嬌を感じる。
 普段とは違う一面を楽しんだ格好となる。

 反対側を。
 この構図を狙って撮影する為にこの場所を訪問したのだが…
 なんというか完全にシルエットに隠れ、列車の主張が小さくなっている。幸いにも白を基調とした塗装の影響でそこまで埋没する事はなかったが、どうも暗めな仕上がりになってしまった感覚は否めない。
 ただ、しっかりと富士山を取り入れて収めたこの姿はしっかりと『富士回遊』の列車名に相応しい姿であろう。

 続いて、6700系による下吉田止まりの列車が通過した。
 この列車の通過時には、自分がカメラを構えていたのを発見してか観光客の方が自分の後方に端末やカメラを構えて撮影していた。
「あっらぁ〜、こんなに綺麗に電車と富士山が撮れるなんてね〜」
と話している観光客と少しだけ会話した。
 まだまだ日差しが完全ではないので、個人的には微妙だと思ってしまうのだが、記念撮影程度なら気にならない日差しだろう。

 そして、列車は戻ってきた。
 どうやら河口湖と下吉田の間をピストン運転している列車のようである。
 観光客の訪問が多い時期の列車として臨時に本数が増加されているようだ。
 行き先に関しては通常のカラー LEDで表示した分にプラスしてローマ字と漢字で記した方向板のようなモノが差し込まれている。
 この折り返し河口湖行きの撮影時には敢えて一旦踏切を渡り、反対側から撮影した。
 もう少し手前でシャッターを切りたかったが、側面を光らせる為にはこの位置で撮影した方が良かったのかもしれない。

麓の色彩

 撮影のパートは撮影のパートで1つの記事にしてしまおうかと思ったのだが、この区間ではあまりにも多くの種類の列車を撮影したので2区切りにして紹介していく事にする。
 この後、河口湖方面から三つ峠まで乗車した211系電車が折り返してきた。
 流石に河口湖まで、直通運転したままではいけないので山を登った後に再び自社に向かって帰る足取りを歩む。
 富士山との組み合わせにて撮影するか悩んだが、結局編成撮影を重視してギリギリを攻めた格好になった。画角いっぱいになってしまったのが今でも少し苦いところである。

 次にやってきたのは、6700系NARUTO木の葉隠れの里号である。
 富士急ハイランドのアトラクション宣伝を目的として宣伝されている車両で、6700系は全て自社の塗装ではなくこうした装飾列車に用いられ運用されている。
 カラーに関しては彩りを豊かにキャラクターが散りばめられた状態で、6色のカラーリングで車両を飾っている。
 少し逆行気味だったので、画像を補正してこの状態にした。編成で撮影したいと思っていた中での通過だったので記録できたのは非常に良い成果だった。

 主役が通過する。
 富士急行で運用されている優等列車の1つ、『フジサン特急』である。
 かつてはJR東日本から譲受した165系・パノラマエクスプレスアルプスを改造した2000系電車で運転されていたが、種車として活躍した165系の老化には逆らえず小田急から引退した20000形『RSE』を再び購入して現在に至る。
 今でやっと光線が良い状態になった…ように思うが、夏日気味な状態の光線では富士急行の撮影は難易度が高いように思ってしまう。
 先頭には『フジサン特急』のキャラクターである1人(?)『フジガハハ』が描かれている。
 この列車を撮影した後に自分は下吉田の駅に戻った。
 いやぁ…しかし暑い。
 そして観光客の熱気も相まってか窮屈にも思えてきた。
 多彩な塗装の車両たちをJR東日本の車両たちを混ぜて記録した後は街を見ていく事にしよう。

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