「何処か」の「誰か」に向けて。

 初めまして。「閉吐 憂」と申します。「雑種なメンヘラのまま母親になった人」です。
 何故かと言うと、私は「被虐待児」だったから、です。過干渉で過保護で程よくネグレクト、精神的・肉体的へのダメージの割には表に出ない配慮は世間体の為。
 でも私は自分が虐待を受けているなんて信じていませんでした。今も実は半信半疑です。両親からは常日頃から「これは躾だ」「お前が駄目な人間だからだ」「犬猫以下だからだ」と言われていたので、「そっかぁ〜、私は駄目な人間なんだ〜、だから怒られても仕方ないんだ〜」と、ひねくれではなく信じてしまっているのです。
 そんな感じで19歳の春までは実家で暮らしていました。
 いろいろなことがあって追い出されてから、実家からは遠く離れた地へ逃亡。当時付き合っていた人と暮らしたり、その人の友人と泥沼恋愛をしたり、その末に妊娠からの結婚をしたりと、これでもか!というくらいネタ話になるような体験をして、今に至るのですが、困ったのです。

「母親」って、なんだっけ。

「あの人みたいにはならないぞ!」と意気込んで始まった育児生活。思い通りに行かない毎日と、子供過ぎた夫の扱い辛さ、自分の抱える暗く重い感情、スキンシップへの嫌悪、訴えられずに深まる夫との溝、意思の疎通も性的欲求も未熟な夫と連続の妊娠出産。

「あーもー無理いいいいいい!!!!!」

と爆発してしまいました。
 困るのは、誰でしょうか。私? 夫? いえ。

 既に生まれていた、長男と長女でした。

 私は学生時代、通信機器類を持っていませんでしたし、今ほど自由にネットサーフィンをしたり、SNSさえあれば沢山の情報を得られることはなかったように思います。情報過多なのだと言えばそうかもしれません。でも必要な情報を得られる確率は確実に上がっているのではないでしょうか。
 私ももっと自分のことを理解してから、勉強して、対策をしてから、母親になれば良かった。いや、なりたかった。そしたら子供のことを苦しめなくて済んだのに。

 今、私はまだ苦しみながら母親として頑張りつつ、育児を通して「育自」をしています。その過程や葛藤を何度も「エッセイ」として書いてみました。『自分を知って貰いたい』と書き始めたはずなのに『自分の中身を晒している』という感覚に耐えられなくなって、そして『書く意味』を見失って、書くのを辞めてきました。

 でもいつも思うのです。
「私と似たような苦しみの中で生きてる人の為に声を上げたい」
「理解者が周りにいなくて悲しい気持ち、私もあるよ」
「ひとりだけど、ひとりじゃないよ」
と。

 私はプロの物書きでも何でもありません。ただの趣味で、しかも中途半端な物書きです。でも自分の経験を元に「何処か」の「誰か」の人生の一欠片を書くことは出来るのではないか。そしてそれは誰かに届くのではないか。
 現状も苦しいとは言え、危機的な迫害からは離れている今、密かに聞こえてくる「実親への苦悩」を見かける度に、それによって齎される「死にたい」を目にする度に、胸の奥底が痛むのです。逃げ出し、置いてきた、過去の「私」が叫ぶのです。

「認めてよ!死にたい私も私だよ!認めたら愛してよ!」

 だからきっと私は「誰か」の為に書きながら、きっと「私」を救いたいのです。そんなエゴの、承認欲求の塊です。私の生きたエッセンスで誰かの心に寄り添えたなら。その時にはきっと「私」も救われるのでしょう。

 物書きとしての元垢は @c_m_zkr です。不定期になるとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

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