褒められる、への嫌悪を分析し続けたら向上心に火をつけることに成功した、かもしれない話

 褒められる。が死ぬほど苦手である。いや、苦手では片付けられないほど、苦手で、恐らく嫌悪に近い感情が即発動するレベル。そういう自分像はかなり以前から理解していて、褒められては嫌悪してしまう自分に更に嫌悪し、相手に罪悪感を抱いて死にたくなる、というフローチャートが完全に出来上がっていて、そこを追跡しよう、という発想自体なかったのだけど、少し前から「褒めてくれる相手に失礼だから『褒めてくれたこと』と『褒めてもらった内容』を切り離して感謝しよう」「その際に『自分にはそんな風に言ってもらう資格はないのに』等の落ち込みは一旦横に置いて、後で反省会みたいにしよう」みたいな思考実験を繰り返していた。一人で。でも、やっぱり上手くいかないこともあるし、『褒め=自分の中の合格ラインでないのに何故?=相手を疑う』『褒め=言わせてしまった=申し訳ない=自分なんて死ねばいいのに』のような図式を崩す、という作業にかなりの精神力を必要とすることを実感しながら、なんでこんなことしようとしてるんだ……という勝手に絶望しては勝手に気力を失い勝手に投げやりになる、という現象にも悩まされた。
 そこで私は、何故、という疑問から手につけることにした。何故こんな面倒臭い心理分析しようとしたんだっけ、を消化したら何か分かるかもと思って。この切り口は私にとって成功ルートの入り口になった大切な疑問だったように思うので、ちょっとここから言語化しようと思う。

 まず、一人で生きていたらこんなことやろうとさえしないのに、という自分の中の不満をひっくり返すことにした。

「子供達がいるからどうにかしなきゃと思った」
「どうにか、というのを明確に」
「子供の生活を少しでも快適にしてあげたい、私が躓いた場所を教えて、その段差の乗り越え方を教えてあげたい」
「ならまずは自分がその段差を乗り越えた経験があることが前提条件だ、乗り越えていないことは分からない、分からないことは教えられない」
「それは嫌だ、やってもいないのに『できない』『分からない』は言いたくない、最大限の努力はしたい、その上で分からないなら他者の力も借りてでも」
「なら今から経験、体験していけばいい、できるものならな、私なんかに」
「できるかは分からない、でも、今までもどうにかはなってきた、できるかできないかは大した問題じゃない、『分からない』から『対処法を検討することさえできない』が問題」
「じゃあその為に必要なことはなんだ」
「自分の『できる』と『できない』の境目を見つけること、そこを探る為に思考と試行を重ねる、それしかない」
「じゃあ『なんで』なんて不満垂れ流してる場合じゃねぇよなぁ?」

 というのが大まかな流れで、この間に何回もめげそうになったり思考していたこと自体が日常に追いやられたり自己嫌悪に埋もれたり忙殺されたりしたけれど。ただこの結論が一つ出たことで、自分が取り組む課題が幾つか判断できたのかな、なんて思う。それが以下だ。

・自己否定が土台として定着し過ぎて、ここからの脱出は困難そう(もう何年も取り組んでみては挫けた経験上そう判断するしかなさそう)=これに固執すべきではない
・自己否定、自己嫌悪だけは売り捌けないほど持っているが手に負えずにいるまま放置しても支障がないのか分からない=乗り越えるべき課題かどうか判断し兼ねる=手が付けられずに振り回されてばかりで鬱症状が出る→生活に支障が出るのは困る→やはりどうにかしなくてはならないのでは?→じゃあ何処から手を付けるのが効果的で効率が良いのか思考すべきか
・自己肯定が全てではない、けれど、自己肯定できないことは様々な悪影響が出る=せめて悪影響で苦しまないラインを把握すべき
・自己否定を他者に押し付けてはいけない、自己肯定を他者に委ねてはいけない、でも両方共無視してはいけない、そこからの学びを得る努力は惜しまない
・挑戦せずに諦めるのはナシ、未知の領域に尻込みするのもナシ、ただし自分の苦痛もよく観察し無理はしないこと

 ここから私の奮闘が始まった。恐らく、2020年10月よりは少し前からの、1ヶ月半の戦いの結果が出たような気がするので言語化を試みる。

①【私が自分を否定するのは勝手だけど、他者からの肯定は無碍にしたくない】
 この感情は随分前に芽吹いていた。Twitter上でいろんな人と交流するようになって、いろんな出来事の中から、少しずつ増加した感情No.1。認めてもらえる有り難み、更にはそれを言葉にして伝えてもらえる喜び。その分、私は心の中で「でも本当の私はそんなに言ってもらう価値なんてないのに」の叫びが止まらず、相手の言葉を全力で受け止めきれない自分を嫌悪していた。どうして素直に喜べないのか。どうして「嬉しいと思う」ことが嬉しく思えないのだろうか。これは相手にとても失礼なことではないのか。なら尚更、肯定を受け入れられない私なんかが褒めてもらうのはダメなことではないのか。そこまで行ってしまうと、今度は「褒めてくれる相手」が私のことなど何も理解しておらず、理解しようともしないような無神経な人間に思えたり、相手への「そんなに褒めるならこっちも褒めてよ」みたいな欲求が溢れてくるものの、その要求は明確にできない自分と気付かない相手(これは相手に何も非はない。私は何も発していないのだから、察することは不可能に近い。)が無責任に思えたり、本当は心からの言葉ではなかったのでは、という疑心暗鬼状態にも陥り、そして最後は相手が何をしても何もしなくても無性に腹を立ててくるループに入る、というのも経験し、上っ面だけでもお礼を言っていた時より良くない状態で接することになる=ならやっぱり私なんて……、のエンドレスループ。
 とにかく人と接する中で一番これがキツかった。相手のことを受け止めきれないのは自分の勝手、でもその領域の責任を徐々に相手に求めてしまう自分が余計に、心底、嫌いになってしまっていた。のだけど、実はこの現象を理解したのはつい最近だ。この「肯定」と「嫌悪」の解析、分析を進めているうちにやっと分かったことの一つだった。他人と過ごす時間が増えていくうちに、段々と人付き合いが辛くなっていった時期があって、でもそれは何故なのかは分からずにいて、大方その時の私は「まぁ元々人間嫌いだしね、そろそろ限界が来たんだろう」と無理矢理納得させることにしたんだろう。その時に深く考察することはできなかったとは思う。急に他者肯定が増えたことへの戸惑いは私にとってそれなりに大きな負担だったのだろうと、今なら思える。今まで散々踏みつけられて、散々否定されてきて、自分がどれほど無力な人間なのか思い知らされたと思っていて、じゃあそれなりの範囲でだけ息をしていよう、と思っていたのに、そうではなかったのかもしれない、自分の把握していない自分が存在するのかもしれない、と思った時、まずは多分、逃げてしまったんだろう、と推察する。その逃亡の最中から今に至るまで、ずっと傍にいてくれる友人達や夫には感謝してもし切れない。『私の知らない私』をずっと見つめていてくれて、ありがとう。
 そんなこんなで、私は少し「褒められる」に耐性をつけ(でもそれでもかなり耐性度は低い)、自分がどうのこうのは一旦置いて、「褒めてくれた人」を肯定する練習を繰り返した。『私を褒め流なんてこの人は何も分かっていない』『私なんかを褒めるこの人の何を信じられるだろう』という思考回路を停止させ、『褒めれることなどない私を褒めてくれるこの人はきっと優しい』『砂漠の中から一粒の宝石を見つけられるような忍耐強さと根性のある人』『この人の見る世界はきっと美しい、その中に自分なんかを混ぜてくれる美しい人』みたいな変換をするようにした。これはまずまず成功した。自他の境界線を意識する練習も同時進行でできた気もする。とにかく「褒め」イベントが発生したら、自己否定が入るより先に、すかさず他者肯定を私がする。なんて良い人なんだろう、と思う訓練の成果か分からないけれど、最近では時々「そんな人が褒めてくれる自分ももしかして……?」みたいな調子に乗った思考に入るタイミングがあって、その度に脳内シャッフルして打ち消してしまっているけれど、でも多分良い傾向なのではないかなと思う。肯定力、ちょっとずつ増えてます。
 そう。ここはちょっとポイントだな。

【自分を褒めてくれる他者をまず肯定することで、自分への肯定に繋がっていく】

 もし自己肯定の壁が高くて、自己否定なら簡単にできる、という人が、どうにかしたくて困っていたら、是非この部分からやってみて欲しい。褒められた自分を認める、というのは案外難しい処理で、この部分で躓いて人間関係を壊してしまう人は少なくないように思う。それが破滅的に出るのか、依存的に出るのか、はたまた自分への憎悪として出るのかはその人によるけれど、きっとアレルギー反応のようなものなんだと思う。耐性のない「褒め」に対する過剰反応。その結果を自分の中に留めておけない人の生き延びる術なのだと。だからまずは「褒められた自分」「褒めてくれた内容」は一旦無視して、「褒めてくれた相手」という自分ではないものを認める所から初めてみる。何度でも繰り返す。他者のアクションがないのに自分から相手を褒めにいくことはない。それをしてしまうと疲弊する。自分を肯定できないのに他者を先に肯定していくと、心の中に存在する「肯定されたい自分」という小さな蟠りが疼き出して傷付いてしまう。そうすると折角肯定しようと進んだ歩幅も戻ってしまう。時には後退するかもしれない。だからまずは「肯定された場合」の対処から始めるのがお勧めだ。それが相手の本心でなくても、社交辞令だったとしても、数をこなしていこう。自分を肯定してくれた相手の気持ちを肯定する。それが第一歩になるはず。

②【自己否定してしまう自分を否定し続けて抜け出せない否定ループを完成させるのは危険】
 文章書いていて良く思うのは、私は良く「〜〜しなければならない」「〜〜すべきではない」等の言い回しを脳内で酷使している、ということなのだけど、口頭だとあまり気にならなかったのに、自分の思考を紐解いていくと途端に増幅しているこの文末。責任感、と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、これは個人的に圧倒的に高圧的で自分も他人も殺しかねないほど強い文末だと思っている。なので多用は避けたい所なのだけど、もう30年もこの思考で生きていては急に変更なんていうもの難しいのも理解はできる。それと同様に「自己否定」は私の中で最強で最凶に強固なものとなっていて、あまりにも自然に「否定」をして回っていく。意識せずとも勝手に行われては傷付いている自分、の構図に気付いた時、なんて害悪な存在なんだ……いや知ってたけど……ここまでとは……、と脱力しながら無気力感に襲われた。
 私の基本スタンスが「否定」というのを認識し直す作業=「否定」を肯定する作業は、想定よりも強く私を苦しめた。そう、今までの私は「自己否定してしまう」という「自分のこと」すら「肯定できず」「否定して」生きてきて、「否定」を更に「否定」し続ける「無限否定ループ」を生み出していたという構造。これに焦点を当てた時、もう自分なんて救えないんだな……、と自暴自棄になりかけ、一生このまま自分にすら否定され続けていく自分を見つめ直す意義も見失いかけた。それを払拭したのは上記の自己対話なのだけど、対話に持っていくまでは事ある毎に「でも結局っ私は自分を否定してしまうんだから何の意味もないのに」という思考から抜け出せないでいた。ここの深みは本当に辛かった。寝ても覚めても否定している自分を、真っ向から見つめ、それを否定せず、「その否定すら私の一部」だと認めていく工程。ここで気付いたのは私にとって自己否定した自分=切り捨てたい自分、なのではないか、ということ。殺したいほど憎い自分。だから受け入れるなんてできない。受け入れられないものは切り離すしかない。否定=排除。私に見捨てられた私の残骸がゴロゴロと転がっている、墓場にすらなりはしない焼け野原が、私の背後(過去)には存在するのだと。成仏できない「元私の残骸達」が亡霊やゾンビのように、ありったけの呪詛=否定を吐き出し続ける。あの時の私は見捨てた癖に。あの時の私は見殺しにした癖に。あの時の私を見ようともしなかった癖に。なんで「今の私」は救われようとしてんの? そんな私から私に向けた悪意マシマシの意識が否定ループを作り上げ、いつの間にか完成させてしまっていたのだと思う。あまりにもナチュラルで滑らかなループに介入の隙間は存在しなかった。今までは。疑問を抱くまでは。立ち向かう選択をするまで、は。
 一旦目に入って、どうにかしないと、という意識を持ってしまったら、もう止まっていられなかった。まずは「否定を止める」をやってみた、のだけど、これは全く上手くいかなかった。なんなら「否定してしまう自分」を無理矢理停止させようとして、失敗し、それが自己嫌悪に直結する、という危ないルートしか存在しない。なので「自己否定を止める」のは難しいと判断した。自己嫌悪直結ルートの何が良くないか、なんてのは説明しなくても大丈夫だとは思うけれど、まぁ簡潔にまとめるなら、死にたくなる時間がどんどん短くなっていく、ということです。
 次にやってみたのは「自分を肯定してみる」ことで「自己否定を弱める」作戦。お察しかと思うけれど、これも大失敗だった。まず「自分を肯定してみる」が全く進まないので効果がない。ばかりか、「肯定すらできない私なんて……」と否定ループを生み出す要素にしかならなかった。「一日一回自分を褒めてあげましょう」「できたことを認めてあげましょう」という、巷に良くあるやつを片っ端から試しはしたが、全く何の効果も見出せなかった。そして、「巷に良くあるやつ」というのも良くはなかったように思う。「巷に良くある」ということは「誰にでもできそうなレベルのもの」「ハードルの低いもの」という認識を持って挑んだので、それが成し遂げられない=自分ってやっぱり駄目なんだ、という否定を強める結果に終わった。自己肯定感ブームみたいな時期にめちゃくちゃ苦しんだのはこれだったのかな、と思う。良く似たエピで、認知療法の勉強をして自分で取り組んだものの、全く意味を見出せず、更なる自己否定を深めてしまった、という経験があるのだけど、それも同じ構造だったのだと今なら理解できる。当時はただ「できない自分」に殺意まで覚えて自暴自棄になったけれど、これらも拒絶反応と解釈できるだろう。
 過去にここで一旦行き詰まっていた私。今回の取り組みの中でスポットライトを当てたことで過去の自分への理解を進めたことで、「否定を止める」も「肯定して否定を弱める」も危険だと把握し、では最も簡単なハードルは、と考えた結果、「否定を認める」に行き当たった訳だけど、これは上にあった【自分を認めてくれる他者を肯定する】と同じことではあるのかな、と思う。上層部分の「否定する自分」「否定したい出来事」「否定してしまった自分」を、そのまま『私は否定したんだ』と認知する。それをしていると『過去否定されて捨てられた私』の怨念に苛まれたけれど、それも「過去に切り捨てた自分はまだ苦しみながらそこにいる」と認知する努力を重ねた。これは盲点だった。切り捨てた「はずの」自分が大勢、まだここに「いる」。これは認めるのは怖かった。何で怖かったのか、の理由は簡単だ。「切り捨てた」=「勝利した」はずなのに、そうではなかった事実を認めるのが嫌だった。いつまでも引き摺って呪詛を垂れ流している私、なんて女々しいものが自分だと思うことが、嫌だったから。

【否定したかったのは理想とかけ離れている自分】

 つまり『否定するのは理想の自分ではないから』という言葉が成り立つ。「こんなの私じゃない」から「要らない」から「切り離す」という方程式。これは腑に落ちた。
 逆説的に考えると。私は「いつだって私に認められたい」けれど「私は私を認めてくれない」と言うことができて、『私』という人間への不信感が膨らんでいってしまう。けれど、それを我慢して、「それも私」と認めること。これがとても辛かったのではないかと結論付ける。

 この結論によって現れた新たな疑念が、これだ。

③【理想の私、になる為の最大限の努力はしただろうか】
 これはめちゃくちゃ私の中で触れてはいけない部分だった。禁忌にも近かった。だって、自分は努力してると思うんだよ。思ってんだよ。でも、それを突き詰めて考えたとき、死ぬほどの努力はしたんか?という「否定」がすぐに顔を出す。私の努力はまだまだ生温いという「自己否定」が私を追い詰める。押し殺す。だめにする。見捨てる なかったことにする。そんな感じ。 
 なので、これもまた失敗した。ように思えた。が、一つだけ、今までの私と今の私の違いがあった。 『じゃあ死ぬほどの努力してみたらいいじゃん』と思えたことだ。
  死ぬ気でやれば何でもできる、みたいな言葉があるけど、私は今まで常に生き死にの選択をしてきたじゃないか、という妙な自信はあった。今までどうにかしてきた。自分の命も、家族の命も、守り抜いてきた。なら、できないなんてことはきっとない。そんな風に思えた。
  そうして私の「死ぬほどの努力をしながら生き長らえる作戦」が始まってしまったのだった。

  結果を先に言えば、概ね成功している。決して無駄死にや犬死、誤爆したりはしてない。私は不本意ながら、ゆっくりいい方に成長してしまっている。周りを拒絶しているだけで済む時間は終わった。今度は私も合わせる番。ただそれだけ。不得意だからって逃げてても仕方がない。日々成長する生き物でナマモノである子供たちから逃げないと決めたからには、とことん私も戦わなくちゃ。それだけだ。 

* 

 実は、これの大半を書いてから、半年以上が経過して放置してしまったので、今の私には、このエッセイもどきの終着点が分からなくなってしまった。でも、これだけが言える。 
 私、確実に変わってきた。
 不服だけど、明るい方向に歩き出せるくらいにはなった。 
 ねえ、私。過去の私が嫌悪していた話は、少し楽になったよ。未来の私はもっと楽になってるのかな。それとも変われなかったに絶望して、もうこの世にいないかしら。それも今の私には分からないけれど。でも、今はこれだけ書いておくよ。

  人生ってさ、別にそこまで、酷いものではないのかもしれないよ。って。 
 褒められることって、別に怖いものではなかったよ。って。 
 人間として生きていって、いいんだよ。って。 
 それだけは忘れないで。なんて。

  未来の私が、醜く羽ばたくより、美しく沈んでいけることを願って。

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