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"知っている人"の小説を読むのが楽しい

この前、友達とお互いに小説を見せ合って、感想を交換した。

学生の頃なら文芸部とかもあるだろうけど、今となってもそういうことに付き合ってくれる人はとても貴重だ。

自分としては小説という形態で文章を書くのはあまり得意じゃないけど、
向こうは小説を書きたがっているし、
じゃあ自分もそれに合わせるか、と思った。
他の形態なら上手に書けるというわけでもないし。


それに、リアルの人間関係において、エッセイとか詩とかは少し渡しにくさがある気もする。

そういや、逆にネットにおいては、小説などの現実世界と独立した作品を読むのって、現実世界の一部として書かれたブログ(エッセイ)に比べて少しエネルギーがいるよね。

今回ここで書こうとしていることは、実はこういうこととも関係があるんだけど。


話を戻すと、友達と小説を見せ合って改めて感じたことは、タイトル通り「"知っている人"の作品を読むことが楽しい」ということ。

もちろんお互いにただ趣味で書いているだけの人間だから、本屋さんとか図書館にある小説と比べればはるかに劣るんだけど、そういう欠点も含めて楽しめる。

"知らない人"が書いた小説とは、別の楽しみ方が出来るということに気がついた。

例えるなら、ほとんどの人はプロのお笑い芸人に比べれば笑いのスキルが劣っていると思うんだけど、日常会話でふつうに笑えたりするじゃないですか。そんな感じ。


その理由を考察してみた:フィクションとノンフィクションの混在

本当の理由はたぶんいくつかあるんだろうと思うし、複雑な話に見えているけど、自分が着目したのは「作品というフィクションと、作者の(人生の)ノンフィクションが入り混じっている」からだということ。

なんか難しそうな話にも見えるけど、言いたいことは単純で、同じことを言っても言う人によって聞こえ方(意味合い)が変わる、みたいなこと。


小説の文章を読んでいる最中にも似たようなことが起こっていて、
その文章だけを単独で読むとそれほど感興を呼ばないことも、
小説の外の現実の状況(作者の人生とか、この前した雑談の内容とか)を連想して感慨深くなったりすることがある。


そしてこの話は小説だけに限った話ではないと思っていて、たとえば音楽だとHIPHOP(ラップ)がこれをうまく利用している。

またお前HIPHOPの話始めんのかよと思われてるかもしれないけど、
例として挙げやすいので続けると、
HIPHOPの歌詞の中には、架空ではなく現実に存在する他のラッパーの名前が出てくることが結構ある。


ギドラ ブッダ 雷 ペイジャー オレが狂ったのは奴らのせいさ

(般若「最ッ低のMC」より)


この歌詞の中に出てくる「ギドラ」「ブッダ」「雷」「ペイジャー」というのは、歌の中で創作された架空の存在ではなく、現実世界に存在するラップのグループの名前だ。

こんな風に、「作品というフィクションと、作者の(人生の)ノンフィクションが入り混じっている」ことが近頃は面白いと感じてる。


現代において、新しい小説を書くのはとても大変だってよく言われてますよね。もうたいていのことはやりつくされてて。

それでもやろうと思えば、極めて高いスキルが要求されたり、前衛的になっていったり。

そうすると、一般人には読みにくくなったりもする。


自分もガルシア・マルケス「百年の孤独」や、平野敬一郎「日蝕」「一月物語」等は、最後まで読み通せなかった。

解説を読むと、どうやらとても素晴らしいことが達成されている作品らしいけど、自分には正直よく理解できなかった。


でもね、「作品というフィクションと、作者の(人生の)ノンフィクションが入り混じっている」という面白さは多くの人が生み出せる。

そこに高いスキルは要求されない。そもそも、この話の発端は、友達と小説を見せ合ったときに気づいたこと、なのだから。

そして、自分の人生を生きている人間は自分以外にいないので、必然的にオンリーワンなものになってくる。


なので、面白い作品を作るためには作品の質を上げるだけでなく、読者にとって自分が"知っている人"になる、という方向性もあるのだと思います。

伝統的な考え方を重んじる立場からすれば、馬鹿げていると思われているかもしれないけど、自分は21世紀の創作において、これは重要な観点だと感じています。


関連:自分の過去の病んでる話もたくさん書いてきました → 「語ることによる自分の過去の整理と、内面の深掘り


もうひとつの余談

もう一つ感じたのが、文章をネット上に出すと、
「あの言い方はおかしくないかな、間違っていないかな」とか
「なんかつまらないし気持ち悪すぎるかも。公開しないほうがよかったかな」とか、気になることがよくある。
本当は良い面もあるはずなのに。

オンラインの世界が広すぎて、しかも一瞬でアクセスできる場所に、自分よりはるかに面白いことをしている人が山ほどいるから。


でも、オフラインで同じような内容を知っている人に話すと、自分がとても意義深いことを言ってるような気分になる。

馬鹿な話でも、「あれ、自分ってこんなに面白かったっけ?」って思うくらい周りの人が笑ってくれるし、話す言葉がラップのフリースタイルみたくビシバシ決まっていく。


あるいは今回のように相手の小説の感想を渡すにしても、うぬぼれているわけではなく、結構よく書けていたと思う。自信になる。

似たような話を前からしてるけど、この現象についてもそのうちまた考えてみたい。

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha