見出し画像

価値とか意味とか病気とか


本当は思い出したくないのだけれど、
出来れば忘れたいけれど、
いつかの自分が、全てを笑って語れるようにと
文章に残して置くことにする。


おみくじで言ったら、

「 大凶 」のような、2023年のお話。


3月

母親と縁を切った。
でもこれは、16年以上もの念願であったため
嬉しいことに入るのだが、ややこしいことに変わりはなかったので、ここに記す。

7月

新卒で入った会社を辞めた。
3ヶ月で栄養士を辞めてしまった。

「不安抑うつ状態」

仕事内容はすごく大好きで、楽しくて、
それまで積上げてきた力を思う存分発揮することが出来て、仕事はちゃくちゃくと出来るようになっていた。

でも、何だかな、私がメンタルを病むくらい自分の容姿や体型にマイナスの思いをもっている事なんか知らない上司に、散々言われ続けた。

"その体型じゃ、彼氏に振られる "

その類の言葉諸々。
普通にセクハラ。アウト。

普通の下ネタとかだけだったら、全然笑って流せたのになあ

本当にタイミングが全部悪かった。
私がたまたま悩んでいた事を、
たまたまいじりのように言われ続けてしまった。

勿論、辞めるまでに至ってしまったのには他にも理由はある。
直属の上司のパワハラ(この人とセクハラ店長のせいで過去の新卒誰一人残っていない激やば職場)、
3時起き4時出社で10時間以上の勤務(パワハラ上司が仕事が出来ないからこの前残業が生まれ、それがさも当たり前かのようになっていたため強制4時出勤)、
そんな人間を人手不足だからと辞めさせない会社への不安感(訴えられたこともあるらしいのに)
という理由もあったし、

個人的には、大好きな仕事 だけれども
どうせ帽子かぶるからとぼさぼさで行き来して、
大好きなネイルもできず、ストレスで太っていく自分
そんな私と付き合っている彼への申し訳なさ、
どんどん可愛さがなくなってしまう自分へ滑車がかかる自己批判及び自己否定によるしんどさ、
人といる事が大好きなのに一人暮らしした事によって誰もいない家。

なんか、全部だめだった。

それでも、頑張るしか無かった

専門学校に行かせてもらったから
新卒数ヶ月で辞めるとか、有り得ないから
憧れた、一人暮らしだから

頑張らないといけない理由しか無かった

だから、がんばった
頑張って頑張って頑張ったら


ある日、

数が数えられなくなって
夜中1時間おきに起きてしまうようになって
記憶が飛んでしまうようになって
出勤時間が近づくにつれて、吐き気が止まらなくて
休みの日の夜は、次の日の仕事に絶望して声も出ずにただただ涙を流す日々

数ヶ月待ち覚悟で精神科に縋るように電話をして、
状況をぱぱっと聞いてくれたお医者さんは

「明日、時間あけるから病院おいで」 と

診察時間終了の時間に、時間をとって下さった。


病院に行って、沢山お話して、
私は 不安抑うつ状態と診断された。


職場のことだけなら、適応障害なんだけど、
今までこの4、5年、自分への自己否定や摂食障害もろもろが積み重なって 今回の仕事のことで爆発しちゃったんだね と そう言われた。


正直、病院で何を話したかはよく覚えていない。
けれど、ずっと目がうるうるしていた事と、
沢山薬の説明をしてもらったことだけは覚えてる。

そこで貰った診断書を握りしめて、会社に電話した

もう、出勤できませんと。

こうゆう診断を貰ったからとこの診断書1枚を武器に
逃げるように仕事を辞めた。


親に報告、それから、3ヶ月間支え続けてくれた彼への報告。


申し訳なくて、泣いてしまった。

彼に「こんなことを言われている」とは、言えなかった。
辛いこと、何一つ言えなかった。
内容があまりにもグロくて。
もう本当に限界になったら、死ねばいいかと思っていた
辛くなったら、限界が来たら、死ねる
この仕事からも、絶望の未来からも、自分の容姿からも
解放される。

でも、電車に飛び降りたら?
生き残った家族に多額の賠償金がいってしまう。
部屋で毒でも飲んで死んだら?
この部屋が事故物件になって大家さんに迷惑がかかる。
この部屋で死んだら、誰が1番に私を見つけるの?

合鍵を持っている、彼がきっと1番に見つけることになるだろう。と


" 彼女が自殺した "

そんな事実を、彼の人生に埋め込んでしまってはいけない

ダメだ、生きなきゃ


本当に、私が思いとどまったのは この思い1つだけだったと思う。彼の人生に、彼女が自殺したなんて事実を残してはいけない。

辞めると報告した時彼は、いいやん、と
頑張れなくて、ごめんなさいと涙を流す私に
帰ってきてくれるの、嬉しい!と 明るく、そう言ってくれた。

その反応に、すごくすごく救われた。

一人暮らしの家で彼と少し過ごして、足早に地元に帰ってきた。

まずは、ちゃんと食べて、ちゃんと寝る練習から。
できるだけ緩やかに、人間としての生活を取り戻すべく
ゆっくりゆっくり、7月を過ごした。


8月

彼との出会いの場所でもある、高校生の時から働いていたバイト先にパートとして戻ることになった。

また一緒に働けることを彼もすごく喜んでくれたし、
おばちゃん達も「よく帰ってきた!」と抱きしめてもらった。

けれど、たった3ヶ月離れていただけなのに
前みたいに上手くできない。仕事が。

病気の症状である記憶力の低下もまだこの時期は酷く残っていて、次何をやらないといけないのか、なにをしていた途中なのかが思い出せない。

あんなに長く働いてきて、なんでも出来ていたのに。
ただでさえ「仕事を辞めてきた」という劣等感から後ろめたさだってあるのに。

自分の失敗しているところを親しい人に見られるのが本当に苦手な私は、正直苦痛というか、苦しさしかなかった。

彼にも「ほんましっかりして」って言われた日もあった。

出来なくて、落ち込んで、泣いては過呼吸になる日々。

1番大きな発作が起きた夜はもう死ぬことしか考えられなかった。

涙が止まらなくて、上手く呼吸が出来なくて、

ごめんなさい、死にたい、このまま、殺して欲しい


そう祈りながら泣き疲れて寝た日もあったなあ。

でもその次の日、朝出勤したら

すごく大きな虹が出てて

" ああ、神様は簡単に殺してはくれないんだな "

と、直感的に思った。

あんな間近で、あんな大きな虹を見たのは 初めてだった。

もう少し、頑張ろうと思えた。
ほんとに単純かもしれないけれど、絶対このタイミングで、この虹を見せられたことには意味があるんだなって。



出来ないと焦っていた仕事も、1ヶ月もあれば現役の時と同じように動いていた。

が、ここからが 長く長く続く、地獄のはじまり。



9月

仲良しカップルの2人と、旅行に出かけた。

仕事を辞めたことは彼が伝えてくれていたみたいで
沢山沢山、力になる言葉を貰った。

夜みんなでお酒を酌み交わした時には、私の憧れの彼女ちゃんが

「こんなに笑顔にまた戻れるまでに、壮絶に色んなことがあったはずなのに、またこうやって笑ってくれてさあ」って、呑みながら泣いてくれた。

私も泣いた。

こんな風に、誰かの人生の背景を思って涙を流してくれる人がいること

それだけで私が生きている意味がある。
また、彼女に助けられた瞬間だった。


なのに。
私のまた良くない癖がここでも発動する。

私以外は大学生の皆。しかも頭がいい大学に行っている。
私の親は大学にいけ!というような親ではなく、「やりたいことをしたらいいよ」というような親だった為、
人生に置いての大学という存在の意味をあまり深く考えたことがなかった私。
例に漏れず、私も専門学生。

何だか、上手く言葉に出来ないけれど
世間が " 大学!大学! "と大声を上げて言う意味が
よく分かったのもこの頃。

もちろん、彼や仲良しカップルに何か言われたとかでまったくないのだけれど

専門学生とか、高卒の人ならわかってくれるのではないだろうか

自分が下なんだなって、感覚
話ついていけないなってゆう、感覚

まさか、こんな所で自分が大学に行かなかったことを後悔する日が来るなんて思ってもみなかった。

これが後の転職活動でも大きく響いてくる。



10月

転職活動を本格的に始めた。

特に家族に焦らされることも無かったのだけれど、

自分が" フリーター "であるということと
彼に " フリーターの彼女 "を持たせていることへの罪悪感に潰されそうになっていたからだ。


私の気持ち的には、もう厨房から離れたい。
栄養士には戻らない!という決意があった。

ネイルをして髪の毛だってセットして、
綺麗な格好で行って、綺麗な格好で帰ってきたい。
電車通勤だってしたい。

そんな思いから、事務職メインで探すことにした。


でも、そんな上手くは行かなかった。
何社も応募して、面接にも行ってみたけど、いい結果が貰えることは無かった。

この時すごく、大学に行かなかったことを後悔した。
専門学生である以上、その道を嫌になれば普通の道に戻ることすら厳しくなるということを分かっていたはずなのに。

この時期にはもう、

楽になりたい、死にたい、消えたい、逃げたい

惨め、焦り、真っ暗の未来

こんな人間の隣に立たせてしまっている彼への罪悪感


この時、ふと急に
「こんな体に、こんな状態に、こんな人生にさせられたあいつはのうのうと生きてんのに、私だけこんなのおかしくない?今はフリーターだけど、お給料も正社員の時よりいいし、キリのいい3月までフリーターでいて、人生の夏休みやと思おう」という自分への案が浮かんだ。

逃げようとしたんだな。見えない未来から。
苦しい就活から。栄養士に戻っても事務職になっても低賃金であることに変わりは無いからそのレベルの価値しかない自分から。

この自分の思いを彼に伝えた。
多分、どこかで肯定してもらえると
苦しみをわかって貰えると思い込んでいたんだと思う。

「いいとこあるなら、早い方がいいと思う」

そう、言われた時の自分の心のぐちゃぐちゃさ。

彼は本当に正しいことを言ってくれたと思う。
逃げようとした私を引き止めてくれるかのような言葉だったと思う。

けれど、その時の私にこの言葉を正面から受け止めるだけの余裕がなかった。


ああ、気にしてないと言っていたけれど、やっぱりフリーターの彼女とか恥でしかないんだという事、
高学歴の貴方の横は、こんな低賃金しか稼げないレベルの価値しかない私じゃなくて、同じレベルの子がいいんだろうなという事、
自分なりに沢山頑張ってきたつもりではあるけど、
そんな自分よりも楽しそうに、家族も円満に、幸せに生きてきた人に「甘えんなよ」と同等の言葉を言われて何だかもう全部が嫌になった事、
どう足掻いても私はお先真っ暗な事、
彼が善意で掛けてくれる「いい所見つかるといいね」って繰り返しかけてくれる言葉に素直に返事が出来ない事、

不安が大きすぎて、苦しくて、本当に私じゃダメだと思った。


家族も壊れている、精神的にも弱い、新卒で仕事もやめた、こんなに人生の先がない人間と

家族も円満、大事に大事に育てられて、頭も良くて、未来も安定している彼


この先一緒にいる未来なんかひとつも無かった。
意味も、価値も、可能性も、何もかも無かった。


しょうがないと思うしか無かった。
私が悪いのだからと。
私がこんなんだから、私が弱かったから


もうどうでもよかった
病気になるほど悩んだ自分の体型容姿の悩みより
上回る悩みがこの世に存在することに驚きしかなかった。
それでも負けるなって言葉を自分にかけると共に、
死んでもいいって思ってるなら、もう何しても良くない?ってなってた。やけくそ。


な、私を、彼は見捨ててはくれなかった。

今までの投稿を見ればわかるであろう、彼の「人の気持ちの読み取れなさ」。

けれど、ぼろぼろでへへって笑っている私があまりにも酷かったんだろうな

「今なにがしんどい?」と聞いてきてくれたあの日の夜

「だいじょうぶだいじょうぶ〜」という私に

いつもより強めの口調で

「それでどんだけしんどくなってきた?今まで」
「何がだいじょうぶ?」

と言われた。


あなたと私とじゃ価値が違いすぎる なんて話
純粋な彼にぶつける言葉ではないことは分かっていたから

「私といると、貴方が損をしてしまうから」

と伝えた。


すると彼は少し寂しそうな目をして

「俺が損得感情で海と一緒にいると思う?」と言われた。


そんな顔をさせてしまったショックと
その言葉の温かさに 泣いてしまった。

正直、この時期周辺はいつ死んでもおかしく無かったぐらい気持ちが死んでて、喜怒哀楽の感情を大きく波立てれるほどの力はなかったけれど

この彼の抱きしめてくれた温度が凄く、暖かったことだけは覚えている。

まだ生きて、この人と一緒にいれたら

そう、願い始めた頃。



11月

10月をピークに、少しずつ前を向けるようになった私は、就職活動に励みながら、パートに行き、掛け持ちで働き始めた飲食物販のお店も頑張っていた。

朝の6時から14時までがパート
15時から20時30分までがアルバイト。

やっぱり働くことは大好きで、嫌な環境ではなかったからこそ続けてこれたこのつめつめスケジュールと

10月の爆発した感情のせいか
11月、ほぼ丸々原因不明の体調不良で寝込んでしまった。


本当に風邪症状のみ。
インフルもコロナも2回ずつ検査もしたのに、なにもなく。

パート先にもアルバイト先にもすみませんと連絡する日々の中で、アルバイト先の店長に

「前の職場の時に、精神的に不調になったってゆってたけど、それの再発じゃないかな?自分もうつ症状が酷く出る前は熱出したりするねん」ということを教えてもらった。

実はこの店長はうつ病持ちで、私の不調にも理解を示してくれてる人だった。

その店長に言われて振り返ってみると、思い当たる精神的なしんどい日々、、、、、

よくよく調べてみると、それは " 心因性発熱 "と言うらしい。
メンタル的な部分から来るから、普通の薬が効かないのが特徴であると。
言われてみれば、毎年の風邪なら薬飲めば治るのに治らなかったな〜〜と。

一旦休め、ってことなのかなって思った。
ひたすら寝て、ひたすらゆっくりした11月。



12月

転職活動の中で、栄養士にもどってもいいなという思いが芽生え始めた頃。


と言うのも、9月に仲良しカップルと旅行に行った時に、夜の呑みの席で、自分たちの勉強してきた分野や、将来の夢についての話を沢山した。

その時、なんだか「やっぱ好きなんだろうなあ、この仕事」ってふと思ったことを思い出して。


その道を嫌いになれば、終わってしまうことを覚悟で
高校生、専門学生と、学生生活を専門職の勉強に捧げてきた。
そして今も、嫌いになった訳では無い。

なら、もう一度だけやってみてもいいかなと
そう思えた。


そこで転職活動を栄養士にシフトして再開した。
その変わり、譲れない条件は絶対に譲らないと自分で決めての活動は、上手くいった。

年末に面接を受けて、2023年が終わった。



2024年、1月

年越しは、彼と初詣に行った。

2023年は自分の面も大変な事だらけだったのに
大好きな存在たちも大変な年で、カウントダウンのコンサートがない1年となった。(ない発表された時はこの地獄の2023年に私は一生取り残されるのかと絶望した)

毎年そのコンサートで東京ドームにいるか、
テレビにへばりついているかのどちらかで年越しする私を、後にも先にも独り占めできるのはこんなタイミングしかない!と彼が初詣に誘ってくれた。(張り切ってた)

どうか、幸せな年になりますようにと

全力で祈った。願った。


ら、なんと内定を貰った。


終わった。私の転職活動が。
内定の連絡を貰った時、あまりにこの数ヶ月が地獄すぎて、実感が全くわかなかった。

もう終わったのに、手が勝手に転職サイトを開いている。
その行動だけで、自分がどれだけ毎日追い込まれて居たのだろうと、泣きそうになった。


生きた。死ななかった。

人生で数えられるくらいしか、自分を褒めてこなかったのに
本当によく頑張ったね と自分に声をかけることが出来た。

それだけで、十分だった。



2月

大好きな人が主演をする、少し生きやすくなる映画を見に行った。

大好きな彼と、仲良しカップルの2人と4人で海辺へ旅行に行った。

大好きな人に会いに、ライブに行った。

大好きな彼と、彼の学生生活最後の2人で旅行に行った。

大好きな地元のみんなと、オールで遊んで 全員が同じバイト先だから そのバイト先に朝ごはんを食べに行った。


2月は 大好きな人と、沢山の時間を過ごした。


本当に 本当に 、幸せだった。

本当に、幸せを感じることが出来た。ちゃんと。


でも、21年こんな性格と付き合ってきた以上、簡単にお気楽な性格になれるわけもなく。

新しい職場への不安を、彼の前で爆発させてしまった。

また、頑張れなかったら
また、辞めてしまったら

今度こそ、彼の隣にいられないんじゃないか
彼から離れないといけないのでは無いのか
彼に、嫌われるのでは無いか


どうしようも言葉にならないけれど、
流れて流れて仕方の無い私の涙を、彼は拭いながら

「もし俺が仕事辞めたら、嫌いになる?」と。

そんな訳ないじゃん
仕事なんかいくらだってあるし、
仕事なんか貴方の価値に何の関係もない

とぐちゃぐちゃの顔と泣き声で伝えると

「やろ?それとおんなじ」
「辞めても、海の好きな事したらいいじゃん」

って。


大人な彼に対して、
まだまだ子どもな自分に、また泣けた。

頑張って、大人な女性になろうと思った。

貴方に見合う人に、と。


3月

栄養士に戻った私は、保育園の栄養教諭になった。

正直、別に子どもそんな好きじゃないし、と
新卒就活の時に保育園を除外していた事を強く後悔した。

子どもかっっっっっっわいすぎる、、、、涙!

こんなに純粋無垢な子供たちに、こんなに力が貰えるのか、、、と驚きの毎日である。

栄養士=調理員、給食のおばちゃん、みたいなイメージがあるけれど

事務的なことも沢山しなければならないから、自分が思っている以上に頑張りがいがあって、今のところやる気に満ち溢れている。



これから

思い出したくないけれど、残しておきたいからと
綴り始めたらとんでもない量になった。

綴ってる途中、何度も何度も目が潤んでしまった。



ここに記したこと以外にも、書ききれないくらいの
感情に蝕まれて、涙を流して、幸せにも触れた。

目の前に沢山小さな幸せは溢れかえっているのに
それに目を向ける余裕が無い日々も、

家族、友達、職場の人と、沢山の人が支え続けてくれた。


そして、なにより彼がどんなときもそばにいてくれた。


不安に潰れる私を抱きしめて、

笑っている時間を沢山伸ばしてくれて、

「来年こそ、幸せかな」と呟く私の手をぎゅっと力強く握りしめて、

絶望で前が暗すぎて見えない時は、いつも道を光で照らしてくれた。

彼もこの春大学を卒業して社会人になる中で
遠距離になる訳でもないのにまた少し不安がる私に


「ただ仕事に追われる新卒一年目よりさ、
たのっしみな目標(同棲)が先にある方が絶対キラキラしてない?!最高!いい一年にしようね」


と、目を見て真っ直ぐに伝えてくれた時には
彼には本当に敵わないなと思った。



これもいい経験!と言えるほどのものでは無かったから
どうしても辛かった過去になるけれど
得たものは確かにあったと思える。


変わっていく時間に怯える私を

彼は何も変わらず、愛を伝え続けてくれた。



それがどれだけ幸せで、
私の生きる意味になっているか


貴方は気づいていないんだろうな。



2024年、笑って生きよう

いい日がきっと沢山まってるよ、私。








この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?