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これはおせっかい?人命救助?田舎育ちの私は迷いながら人の家の門をくぐった


 仕事帰りに息子を保育園に迎えに行き、車に乗せて帰ってくるのが毎日17時半ごろ。この時間帯、私は常に焦っている。子どもの手を洗わせ、園から持ち帰った物を片付け、急いでご飯を作り、犬におしっこをさせ…と短い時間でやるべきことがてんこ盛りだからだ。

8月も終わりに近づいたある夕方、いつものように息子と帰宅し、焦っている私の耳に、人の声のようなものが聞こえてきた。いつもは静かで、あまり歩く人にも会わない、閑静を通り越して沈黙の住宅街。近くの家から人の声が聞こえてくるのだ。

静かな住宅街に聞こえる誰かの声


 ずっとしゃべっていた息子に一瞬静かにしてもらい、よく耳を澄ませる。「…けてぇ。…いませんかぁ~」と、結構大きな声で、誰かが何かを言っていると分かった。

「助けて~。誰かぁ。誰かいませんかぁ!」

聞こえた!おばあさん?お年寄りの声っぽい。

外にいる人に聞こえるように、大声で助けを呼んでいる。

私はもともと焦っていたが、さらに焦った。

これはもしかして大変な事態?
それとも対応したらおせっかいだろうか?

車のエンジンを切り、車から下ろした息子と手をつないで耳を澄ませる。どこだ?どこから聞こえる?

真っ先に心配したのは斜め左向かいのお宅・Aさん邸。おばあさんが一人暮らしだからだ。いや、ちがう。その隣だ。わが家の真正面のBさんのお宅からその声は聞こえていた。

このお宅ってどんな方が住んでいたっけ。50代くらいの男性と親御さんの二人暮らしだったっけ?いや、直で確認したことないから知らんけど。ともかく、まず近くまで行ってみよう。


もしこれが田舎なら迷わなかった

このとき、どこまでやっていいのかの基準が自分の中になくて大いに迷った。というのも、私はものすごい田舎育ちだ。まず、島生まれである。そして私たちの集落といったら。小さな漁港を大事に守るように、数十軒の家が寄り添って建つ、近所の人全員が知り合いの漁村。もしこれが実家なら、迷うことなく目の前の家に飛んでいき、玄関を勝手に開けて、何なら上がり込んで安否確認をするだろう。

でも、ここは?何の縁もゆかりもない場所に家を建て、たまたま住んでいる住宅街。両隣の家族と、自治会長くらいしか面識がない。

この町では、近所の誰かが困っているかもしれないからと言って、出しゃばってもよいのだろうか。あれ、全然分からないぞ!誰か正解を教えてくれ。よし、スマホで調べて…ってそんな猶予はないし、声はずっと聞こえているし、よし!人としてできるところまでやるしかない。うろうろしながら腹をくくった私は、まず不安そうだった息子に優しく声をかけて家の中に入れ、ちょっと待っているように言い、向かいのお宅の門をくぐった。


引き続き焦る私と開かない玄関


 とても立派なお宅で、門があってその奥に玄関がある。玄関にはセキュリティ会社のステッカーが貼ってある。(え?これって入っただけで警備員駆けつける系の?)と気にしつつ玄関へ。通報されたらされたで仕方ない。ますます助けを呼ぶ声が聞こえてくる。

「誰か~!聞こえませんか~!」
の声に出したことのない大声で答えた。
「大丈夫ですか?ケガされてないですか?」

玄関の引き戸を引いてみるも、鍵がかかっていて開かない。庭に面した掃き出し窓も、その奥の小さな窓も全部開かない。戸締まりがかなりちゃんとしたお宅だ(当然か)。

「誰か~!いませんか~!」
と、またおばあさんが呼ぶ。

あ、ダメだ。こっちの声が聞こえていない。
たぶん耳が聞こえにくいんだ。言葉も少し不明瞭だから、何かご病気なのかもしれない。
どうしたらこちらの声が聞こえるだろう。

玄関脇にある、郵便受けの小窓についているステンレスのふたが目に入った。ここから中が見えるかも。完全に泥棒の所業だが仕方ない。郵便受けのふたをぐっと中に押し込むと、小さな隙間から室内が少し見えた。

おばあさんは、玄関のすぐ近くの廊下におそらく歩行器のような物にもたれて立っている。見たところケガはしていないし、血も見えない。私は少しほっとしたが、おばあさんに私の声が届かない。

「大丈夫ですか!?ケガはないですか!?鍵を開けることはできますか?」

必死のパッチで人の家の郵便受けに向かって叫ぶ女。かなりシュールな光景だ。

不明瞭で聞こえにくいながら、おばあさんは「動けない」とか「助けてほしい」と言っているようだった。事前の想像は「階段や高いところから落ちた人が、痛くて動けず助けを呼んでいるの図」だったが、ひとまずこれは違った。思ったより状況がよさそうだ。


隣のお宅の住人にピンポン

 しかし、助けようとしているのに、おばあさんにこちらの意図が伝わっていない。というかどこも痛くなさそうだけど何を助けてほしいんだろう。

どうしようどうしよう、考えろ私…!

あ、一個ひらめいたぞ。

「あの!ちょっと待っててくださいね!!すぐ来ますので!」大声で郵便受けから声をかけてから、Bさん邸の右隣のCさん邸に走って行き、インターフォンを鳴らす。こちらの住人とも話したことはなかったが、独り暮らしのおじいさんだということは知っていた。

「すみません、斜め向かいの家に住んでいる○○です。お隣のBさんのおばあさんが助けを呼んでいるのですが、連絡先などご存じではないですか?」と、早口になりそうな気持ちを抑えて、礼儀正しく声をかけた。

晩酌をしながら夕ご飯を食べていたCおじいさんが玄関を開けてくれた。晩酌は匂いで分かった(私は鼻が無駄に利くのだ)。
突然の来訪者にちょっと困っている。当然だ。もう一度説明すると「Bさんの息子さんの名刺を持っている」と探して来てくれた。何かあったときのためにと、息子さんから預かっていたという。

携帯電話の番号も書いてあった。急いでいたので私が電話をした。話したこともないお向かいさんに電話をかけ、自己紹介をし、Bさんの家の状態を説明する私。われながら理路整然と話ができる。「知らない人に電話し、電話の意図を説明」という仕事っぽい要素が出てくると、急にちゃんとできるから不思議だ。勤続20年が生きる。

仕事中だった息子さんは、幸いにも勤務先が同じ区内にあり、20分程度で帰宅できそうだった。「すぐに帰るのでそのままにしておいていいですよ」という電話の声に甘えて、私は引き上げることにした。親切なCおじいさんと一緒に、Bさん邸の玄関に戻って呼びかける。「いま息子さん来るからね!ちょっと待っててね!」とCおじいさん。聞こえたかどうか心配だったけれど、ひとまずこの場を離れることにした。
Cおじいさんが言うには、Bさんのおばあさんは足が不自由で、少し認知症があるのではないかとのこと。以前にもこういうことがあったという。

家に帰ると、私の小さな息子が心配していた。

「だいじょうぶだった?」

「あのね、助けてって、呼んでいたのはおばあちゃんだったんだけどね、息子さんがすぐ帰ってくるって。だからだいじょうぶだよ。ごめんね、びっくりしたでしょう」。

30分もしないうちに、向かいの家に車が帰ってきた気配があった。少し経ってから、助けを呼んでいたおばあさんの息子さんBさんがお礼を言いに来てくれた。足が不自由なおばあさんは、廊下で歩行器が何かにひっかかり、動けなくなってしまったようだった。どこもケガをしていないと聞いて安心した。

この日、BさんともCさんとも初めて話したが、私は少し嬉しいと感じていた。田舎では当然の近所のつきあいがなくてさびしかったからだと思う。初めて近所らしいことをできた。Cおじいさんはうちの犬のことも知っていて、犬の話もできた。


急に世界中のお年寄りのことが心配に


 落ち着いてから、急にいろんなことが心配になってきた。いろんなこととは、見守りが必要なお年寄りたちのことである。

はす向かいのAさんのおうちも一人暮らしで、以前に一度、息子さん夫婦が挨拶にきたことがあった。何かあったら連絡してほしいと電話番号を知らせていった。

この町内は、昔からある住宅街に私たちのような子育て世帯が少しずつ入ってきて増え、お年寄り世帯と子育て世帯が混ざっている。感覚では昔からの家7:新しい家3くらいだろうか。交流を図ろうと、自治会ではさまざまなイベントや清掃活動を行い、まめに回覧板を回している。新参者のわが家でさえ、一度「班長」を担当した(いや、ごめんなさい担当したのは夫です。私は何もしませんでした)。

そういう一見煩わしいような諸々のことって、実は大事なんだなと、今回のことをきっかけにしみじみ感じた。

人は一人では生きていけないのだから、居場所をつくること、人に関わろうとする人がいることは非常に大切なことなのだ。不思議なことにこの時、自分の70代の親のことは心配しなかった。非常に強いコミュニティに守られているうちの親たち。何かあったら必ず、一次的には向かいの家の親戚か、母の浜仕事仲間のおばちゃんたちが助けてくれるに違いない。孤独死だけはないだろう。なんて有り難いことなんだろう。


各社の見守りサービスを急に調べ出す


 私の勤務先は地方新聞社なのだが、新聞販売店では、配達した新聞がたまっていたり、配達先に異変を感じたりすると、離れて暮らす家族や民生委員に連絡し、場合によっては警察への通報につなげるという登録制サービスがある。ほかの多くの新聞社でも行っていて、実際に倒れている人を発見したケースもあった。残念なことに、部屋の中で亡くなっていたケースもあった。

ほかにざっとネットで調べたところ、有名外食メーカーのお弁当配達サービスや、有名飲料メーカーの配達サービスがあった。届ける際に直接顔を合わせて安否確認ができるところがメリットらしい。ある地域では、某宅配便会社と連携して町の見守りを行っているという。使うと離れて暮らす家族にお知らせが来る電化製品もあったような気がする。離れて暮らす親子がこの世にたくさんいるということだ。

子が独り立ちして親元を離れるのは普通のことかもしれないけれど、離れた後もお互いに安心して暮らすためにもっと何かできないだろうか。ITが役に立ちそうだけど、いま心配なのはITが苦手で出来るだけ使いたくないと考えている世代なのだ。

まず自分の勤め先でできることがあるかもしれないと考え、町内でも何かできないか考えてみた。町内ではまず、「会った人にあいさつをする」からだろうか。田舎では「誰にでも挨拶」は空気くらい普通だが、町内ではあまり見ないし、挨拶することが歓迎されているかどうかよくわからない。早朝のゴミ捨て場で挨拶をしたら無視されたこともある(無視ってする?普通)。まだ頭の中がまとまっていないが、何かをしなくてはならないと久しぶりに思えた出来事だった。


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