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親を憎んでるあなたへ

こんにちは、ツマです。
父の命日から7年経ちました。
このタイミングでひとつ、私の人生軸を作った人物の
記事を書こうと思います。
過激な表現もありますが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

「親を憎んでるあなたへ」


このタイトルを見て驚きましたか?

反抗期の時期は親に対して、そう思う事が多いでしょうか。
大人になっても、親が憎いと思い続ける人は一定数います。
今、話題のワードにもなっている「毒親」なのか…
人としてただの父親のなり損ないなのか…

過去を振り返りながら、父の冥福を祈ろうと思います。

クズにも色んな種類がいる

皆さんは「クズな人間」ってどんな人を思い浮かべますか?

パチンコやギャンブルをする人

人を騙して楽しむ人

お酒を毎日浴びるように飲むアル中な人

仕事ばかりで、家族に無関心な人

恋人や奥さんに内緒で浮気をする人、開き直り責任転嫁する人

いつも他人のせいにして何もしない人

家族や他人に暴力をふるう人

借金をする人、返せないのにまた借りる人

家族や恋人を簡単に裏切る人、自分中心な人


挙げたら、キリがありませんね。


私の父親は、ギャンブルだけは唯一しませんでした。
その他の素行に関しては確実に「クズ」と言えます。

そんな父のモットーと共に、どんな人柄だったか
分析していこうと思います。


「失業保険も貰うための仕事」


仕事は3年以上続いた事はありません。
泣きながら1日目で辞めてきたことがあります。
辞める理由は様々。
会社の人がいじめてくる、自分には耐えがたい大変な仕事内容だった。
自分にはもっといい仕事ができる、求人と違った。
よくそんな理由を思いつくなと思いました。
そして辞める時は、家族に相談もなく、突然に辞めてきます。
母の途方に暮れる後姿を幼心に覚えています。
では、どうやって暮らしていたか。
失業保険と足りない生活費は、母がパートで稼いで補填するか
両方の祖父母に毎月生活費をもらってました。
父はそれを立派に思っていたそうですが
貰う理由が子供たち(孫たち)を理由にしていた為
父が亡くなった時には、金を返せ!と祖父母に私や弟が詰め寄られました。結局のところ、父は1~3年無職で時々ハロワの面接に行き
家で1日中ゲームをしていました。


「自称:遊びがストレス発散」


「自称:遊ぶのがストレス発散」な父は
スキーや釣り、キャンプ、遊園地など、旅行や
アウトドアに毎週休日は必ず遊びに出かけていました。
小学校を開けてみれば、
遊びに掛かるお金は母の稼いだパートの給料で賄われていて
貯金は雀の涙。
さらには遊びの計画も予約や準備、帰宅後の片づけなど
母に大きな負担を掛けていた事を知りました。


「車はかっこよくないと舐められる」


んなわけあるかい!といいたい所ですが…
元走り屋の父は、車の改造が大好きでした。
スモークやマフラー、違法な改造をして、車検前にはもとに戻す徹底ぶり。

最終的には、エルグランドやキャンピングカーが欲しかったそうですね。
数年に一度、新車に買い替える癖がなければ、可能だった夢かもしれません。


「酒がなきゃ1日の疲れが取れない」


また、無類の酒好き、食べることが好きな人で
アル中寸前、毎日酒とつまみ(お菓子)が必要で
毎食、相撲部屋の様な量を食べていました。
主婦になった私も今なら分かります。
作るのは1時間以上手間が掛かるのに、食べるのは一瞬
食事も、先にある程度片づけをしようものなら
早く席に就け、音がうるさいと言われた記憶があります。
お笑い番組を見ながら、食べることが日常でした。


「俺は独学で経営をしている」


中学生になるころ、ノートパソコン買って
なにやら真剣に数字を打ち込んだり、郵送する書類を作成していました。
それは、母方の祖父が経営していた駐車場の経営です。
祖父は都内大手の会社で経理を定年まで勤めた人で
会社員の他に、他の会社の相談役や、自分で様々な経営を行っていました。
祖父が亡くなった時に相続したのがその駐車場の土地だったのですが
祖父のころと同じように不動産管理会社などを入れず
経営をしていました。
それに目をつけた父が、自分が管理者だとばかりに
賃上げと未納者への催促状をパソコンで作っていた様です。
しかし、それも結局、度重なる賃上げの影響で
契約者が減り、経営難に。
固定資産税が払えないほど、売り上げは落ち込みました。



「子供に使う金はもったいない」


私や弟が部活に入り、休日の遊びが出来なくなってくると
こんな言葉が飛び出しました。
弟は小学校から塾に、私は高校受験のために塾に通っていました。
そのお金が勿体ない、と。自分に使われるべきだと主張したのです。
高校入ってからは、予備校に入りたかった私は
父と衝突し、

私はクズにはなってはいけない


中学に上がるころ、一連の事実を母から真実を聞いて、夢から覚めました。

また母が私を妊娠中の別居や離婚の裁判の原因は父にあり…
小さいころのDV、更には私の高校卒業後の学費にまで手を出し…

「早く自立したい。私は父とは違う」と
ずっと焦りと不安定な精神状態で学生生活を過ごしてきました。

高校生になると父の理想とする、夜遅くまで遊び歩く不良娘ではなかった事と、女だからと、いう理由で予備校には行かせて貰えませんでした。

自分だけが不幸とは思っていません。
でも毎日、父に早く〇んでほしいと願っていました。

そんな中、思っていたよりずっと早く突然に

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