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ジェットコースター☆マリッジ〈第2回〉

当時、どんな話題でチャットが盛り上がったのか、正直全然覚えていない。
だが、「真夜中に働いている人が集まるルーム」という名の通り、基本的に夜中も働いている人が集まるので、息抜きとしての駄話や「俺も頑張るからお前も頑張れよ」的な励まし合いとかだったんじゃないだろうか。

確かこのチャットはコテハン(固定ハンドルネーム)が出来た。同じような時間帯(深夜)に集まってくるのだから、俺も常連となった頃には、ある程度どんな常連メンバーがいたかも把握していたと思う。
当時も今もネット上での交流の中で本名をはじめとする個人情報は、そう簡単には明かさないものだが、今のように“よからぬこと”を前提に近づくような輩は少なかったんじゃないだろうか。

夜な夜な集っては文字でする交流

個人情報を明かすことも顔写真を晒すようなこともなかったが、それでもコテハンとどんな仕事をしているかをふわっと書き込むことで、夜な夜な「真夜中に働いている人」が集い、お馴染みのメンバーが文字(チャット)を通して交流していた。
この常連メンバーの中に《なお》というコテハンの女の子がいたのだが、この子はテレビ制作会社のADをやっているという。働き方改革のある現在と大きく違い、当時のADは徹夜作業をはじめ、かなり過酷な職場環境だったことは、テレビ関係者じゃなくても容易に想像できた時代だ。

詳しい内容はまったく覚えていないが、《なお》も夜な夜なこのチャットに参加し、その過酷な仕事のことをちょいちょい書き込んでいた気がする。
姿を見たこともない、声も聞いたことがない、どこにいるかも分からない。パソコンの画面で見る文字(テキスト)だけの交流だが、俺が《なお》という人間に興味を抱いたのは間違いない。

もしかしたら最初は“テレビ業界”の人という部分に興味を持ったかもしれない。出版業界の俺にしてみればテレビ業界は近いようで遠い世界。俺自身も出版界ではまだキャリアも浅く、ADみたいな感じだったので共感出来た部分も多かったんじゃないだろうか。

順調な人生から転がり落ちたい願望

また、当時の俺は最初に書いた通り、デザイン系専門学校を卒業し、出版社で契約社員扱いで仕事をし、長年付き合っていた彼女といずれ結婚するという絵に描いたような順調な人生を歩んでいた。
しかし彼女にフラれたとき、かなり落ち込みながらもどこかホッとしたのを覚えている。それはこのまま順調な道を歩み続けて、俺は面白い本が作れるのか? という疑問を抱いていたからだ。

面白い作品をつくる奴は、波瀾万丈な人生を送っている。
そんなイメージがずっとあった。だから何か面白い企画を考えようと、企画書と向かい合った際、自分の順調過ぎる、何の変哲もない人生がどこか不安だった。
まあ今にして思えば、自分の人生と面白い企画が出せるかどうかは、あまり関係ない気がするのだが、当時の俺はとにかく自分に自信がなかったのでそういうふうに考えていたのだ。

酒は体質的に飲めないし、タバコも割とすぐに辞めちゃったし、ギャンブルもあまり楽しいと思わない。プロレスが好きな時点で、無闇に人を殴ったりするようなこともない。順調なレールを踏み外しての転落人生なんてものは皆無だ。

踏み出せばその足が道となる

そんな俺がハマったのが、深夜にADをやっている《なお》という女の子とのチャット。別に悪いことをやっているわけではないが、まだ20代前半だった俺にとっては未知なる領域に踏み込んだような感じがしたはずだ。そして、俺はその未知なる領域にさらに一歩踏み込んでみる。

ある日、「真夜中に働いている人が集まるルーム」の集まりが悪く、確か俺と《なお》しかいない時間帯があった。
そこでついに俺たちは実際に会う約束をする。どういう流れでそうなったのかは、全然覚えていない。ただ連絡手段としてメアドと携帯電話番号は教え合った気がする。季節は春。会う場所は《なお》の会社の近くにある某テレビ局の前に決まった。

〈続く〉

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