疑問

*自分に対して禁を課すこと(依存的な物事を断つことなど)も自分への愛であり、やはり必要なことか?

*自分に対して禁じていることを行うのは、本当に自分にとって有害なことなのか?

*それをしたいと思っている私がここにいるというのに、それを私自身が禁ずるというのは、果たして愛に基づいた行いと言えるだろうか

*自他に対して禁を課すことによって、本当に問題は解決するのか?

*私には自分で設定した決まり事に対する囚われ、自分を咎める思いが常にある

*禁を解いたとしても、そこには「私には足りないものがある」という前提がある

◆真理に即して見ているなら、例え現象として何が起こっていようとも、そこには何も問題が存在しないことがわかるだろう
そこに不足しているものが何もないということも

*しかし、そのような時には心がすでに自我を選んでいる、という事実がある

*聖霊を退け自我を選んでしまった私をも赦す、ということで良いのだろうか

*自分に対してある程度の禁を課すことは、自制心を養うことでもあるのか

*やはり、「今〜したい」という依存的な衝動を保留する訓練も必要(有効)なのかもしれない

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