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恋人の妹の話

好きなひととのお付き合いが長くなると、相手の家族と会う機会も自然に増えていく。

彼を守り育ててくれたご両親にお会いするというのはやっぱり一大イベントだけど、好きなひとに兄弟姉妹がいると、よりおもしろい。

好きなひととともに育ってきた、親とはまたすこし異なる存在。

もし兄弟姉妹がいるならば、よくもわるくも、互いに影響を与え合っていないわけがないから、私は知っているひとのきょうだいを見かけるといつも興味津々に観察してしまう。

私の恋人は長男で、下にふたり妹がいる。

彼と今後もお付き合いをしていくならば、相手の妹たちとの関係性というのはやはり大切なものになってくると思う。

恋人の妹たちは、それぞれ彼より2歳、そして8歳年下だ。

(ちなみに私と恋人は高校の同級生だから、次の誕生日がきたらふたりとも23歳になる)

彼の上の妹と私とはふたつしか年齢が変わらないので、同じ高校に通っていた期間が1年ほどある。だから回数は少ないにしろ、学校で顔を合わせることはあった。

彼女は私たちが卒業してから高校で生徒会長をしていたらしいし、お友だちが多く、さっぱりした感じの女の子だったので、廊下で会うとにこっと笑って挨拶をしたりしてくれたりしていた。

彼女はおそらく、初対面の相手にも距離感を感じさせずに話すことができるタイプの人間なのだろうと思う。意思があれば誰とでも交友関係を結べる、コミュニケーション能力の高いひとなのだ。

けれも私と彼女は、相手が彼の妹だから(あるいは兄の彼女だから)という理由だけで急激に仲よくしようと努めたことはない。

へんに干渉しすぎず、でも会う機会があるときにはそれなりに友好的に会話ができるかんじ。

私はそれはそれで悪くない距離感なのではないかと思っている。互いに好かれようとがんばって仲よくして、結果的に疎遠になってしまうよりは、適度な距離感を保って長い期間関係性を紡いでいくという手段がしっくりくる相手もいる。

今の段階では、私と彼女とはそういう関係性でも大丈夫な気がしている。

けれど、彼にはもうひとり妹がいる。今日書きたいのは、この春から中学3年生になったもうひとりの彼の妹のことなのだ。

***

彼のもうひとりの妹とは、彼とお付き合いを始めてからもなかなか会う機会がなかった。

あたりまえのことだけど、歳がかなり離れているから学校に一緒に通うことはないし、元々住んでいる地域も違うから出会いようがないのだ。

彼女の顔と名前をしっかり認識したのは、高校を卒業して、彼の実家にお邪魔するようになったころ。最初のうちはリビングでちらっと彼女の顔を見かけるだけで、会話をすることもなかった。私は彼の部屋で過ごすことが多かったので、彼女と会うのは家に出入りする際にリビングを通るときくらいのものだった。

「お邪魔します」と言うとペコリと頭を下げてくれるくらいで、彼女は基本、何も言わない。「こんにちは」と言ったら「こんにちは」と返してくれることもあったけど、それだけ言うとすぐに部屋に引っ込んでしまう。

そんな人見知りの彼女とようやく挨拶以外の話をしたのは、コロナ禍に入ったばかりの梅雨だった。私が大学1回生で、彼女は小学5年生だったはずだ。

その日はとても天気が悪く、午前中は電車が止まるほどの大雨だった。彼の家に遊びに行っていたのだけど、午後を回ってしばらくしたらすこし雨が和らいだので、なんとなく彼と彼の妹と3人で、彼の家の周りをすこし散歩してみることになった。

彼の家の真後ろにはお墓があり、そのすぐ傍に立派なびわの木が生えていた。ちょうどびわの季節だったから、木には雨粒を浴びたきれいなびわがたくさんなっていた。それを見つけ、3人で傘を使ってびわを採った。

しばらく夢中でびわを採っていると、何かびわを入れものを取ってくると言って、恋人が家の方へと戻って行ったので、私と彼の下の妹はふたりきりでその場に残された。

彼女は人見知りをする女の子のようだから、私とふたりで残されるのが気まずくて彼についていってしまうかなあと思ったのだけど、そんなことはなく、彼女はその場にとどまって草を蹴ったり、まだびわがないか注意深く木を見たりしていた。

その様子を見ながら、彼女と何も話さないまま恋人が帰ってきてしまうのはちょっと惜しいなと思った。せっかく彼女と話をするチャンスがやってきているのだから、みすみすそれを手放すのはどうなのだろう、と。

そんな中、そばに紫陽花が麗しく咲いているのに気がついた。紫陽花を見ていると、ふと思い出したことがあったので、それを彼女に言ってみようと決めた。

「紫陽花の花びらってね、実はがくなんだって」と私は彼女に言った。

紫陽花の花に見える部分は実は花弁ではなくて、花弁の後ろにある、がくが発達したものなのだそうだ。私はこのことを中学生くらいのときに知り、とても驚いた。

それだけ言って彼女の方に目をやると、彼女は私のすこし近くまで寄ってきて、紫陽花を見てからこちらをちらっと見やり、「がく?」と聞き返した。

その反応に私は少しほっとした。

「そう、がく。花だと思ってるこれは、実は花弁じゃないんだって」と続けて言うと、彼女は「ふうん」と返事をして、そのままじっと紫陽花を見つめていた。

そのあとすぐに恋人がびわを入れるかごを持って帰ってきたので、彼女とそれ以上の会話はなかったのだけど、私は十分満足だった。

雨、びわ、紫陽花、がく。

これらが彼女の中で私との記憶として結びついたらおもしろいのになあ、と思ったりした。

紫陽花を見て「そういえばお兄ちゃんの彼女がこんなこと言ってたな」と思い出してくれたらいいのに、と思った。

正直に言うと、それを狙って紫陽花の花の話をしたところもあったのだ。

私は高校の終わりごろから、一体どうやったら周囲のひとびとに自分のかけらをさりげなく、そして効果的にばらまくことができるかということ、すなわち、どうしたら誰かの記憶の中に私を残すことができるのか、ということにいたく興味があったから、そのための方法を模索していたのだ。

彼女があの日のことをどう記憶しているのかは分からないけど、結果的に私の中で彼女と紫陽花とが結びついてしまったことは言うまでもない。

***

彼女が私に対して明らかにこころを開いてくれるようになったのは、恋人のお母さんに「下の妹が中学生になるから、よければ国語を教えてあげてくれないか」と頼まれてからだ。

私が教員志望というのを彼の家族は知ってくれていた。しかし私が取得予定の教員免許状は高校の国語だし、家庭教師なんかしたことがないから、頼まれた直後はすこし悩んだ。

しかし私はその提案を受けてみることにした。なんにせよ、家庭教師をさせてもらうことは私にとってひとつの経験になる。しかしそれ以上に、彼女ともっと仲よくなることができるかもしれないと思った。

家庭教師をするということ。それは、数ヶ月に一度は必ず彼女の家に足を運び、彼女と顔を合わせるということでもあった。

私は恋人が地元にいてもいなくても関係なく、彼女の先生として彼の実家に出入りするようになり、それはすごく新鮮なことだった。

恋人のお母さんや妹と恋人を介さずに会うほどに受け入れてもらっているというのは、正直に言ってすごくありがたいことだと思う。

そしてやはり、家庭教師を頼まれなければ、私と彼女とはここまで打ち解けられていなかったと思う。

次のテストの日付や教科書の範囲を知らせてもらうためにLINEを交換して、そこからいろいろと連絡を取るようになった。

第一、家庭教師の日には数時間ふたりきりで勉強をするのだ。

彼女は媚びない女の子だ。愛想笑いも本当にお愛想というくらいの軽やかなものだし、1回や2回会ったくらいでは気を許してくれない。

しかしその分、仲良くなることができたときのよろこびはひとしおだった。きれいな瞳と唇で花のように微笑んでくれるし、自分の好きなもののことを夢中になって話してくれたりする、素直な女の子なのだ。

彼女とこころを通わせていく期間は、私にとっては楽しいものだった。次は前よりもお話してくれるかな?と思いながら彼の家にお邪魔するくらいに、私は彼女に好感を抱いていた。

そうやって私たちは少しずつ、時間をかけて打ち解けていった。

その結果として、去年の春に彼女が「青葉さん、春休みに一緒に東京へ遊びに行きませんか?」と誘ってくれた。彼女がそんなことを言い出すとは思ってもみなかった私は、大喜びで恋人に連絡をした。

なんとか行きたいと思って両親にその話をし、あれこれ計画を立てて、私は彼女とふたりで夜行バスに乗って東京へ行き、彼と合流して東京を歩き回り、数日後にはまた彼女とふたりで夜行バスに乗って地元へ帰ってきた。

それが苦ではないくらいには私たちは仲よくなれていたのだろうし、その数日間で前よりもさらに打ち解けたように思う。

今では、彼のおうちに遊びに行くと彼女は大喜びで迎えてくれる。

私が来るという情報を聞きつけて、必ずリビングで待っていて挨拶してくれるし、「青葉ちゃん、遊ぼう〜!」「この声優さんが好きでね!…」とほがらかに話をしてくれる。

それどころか、恋人が私を連れて部屋へ上がろうとすると、「ねえ!行かないで!なんで上に行くの!!」と彼に大文句を言い、駄々をこねて私をその場に留めようとしてくれる。

恋人と彼の妹が私をめぐって口論しているのを見ると、私のお腹はくすぐったくなる。お腹がくすぐったくなるというのはつまり、うれしくてうれしくて仕方がなくなるということである。

***

実は、そんなかわいらしい彼女の記事を、私はかなり前から書こうとしていた。

中学2年生に入ってからだと思うけど、彼女は学校へ行かなくなってしまった。そのタイミングで彼女のことをnoteに綴りたくて文章を書いていたのだ。

恋人から「いま、妹は学校へ行ってないんだよねえ」と聞いたとき、私が真っ先に思ったのは、私はどういうポジションでいたら彼女にとってベストかなあ、ということだった。

そのときには既に、彼女は私にとって単なる恋人の妹という存在ではなく、年下の友人でもあり、自分の妹と同じようにかわいい女の子でもあった。

だからもし私にできることがあるならば、惜しまずに何かしたいと思った。けれど変に出しゃばるのも違うよな~とも思い、「うーん、そうなのかあ」としんみり恋人に返事をした。

恋人は「あなたは変に気にせず、今までのように普通にしててくれたらいいよ!」と明るく言った。

学校へ行かないなら行かないなりに、そのときにしか得られない経験をすればいいと思うんだ、と彼は電話の向こうで言っていた。私の恋人は、おおらかな考え方を持った兄でもあったらしい。

不登校にはいろいろなケースがあるだろうし、それに対する考え方も十人十色だと思うけれど、私は個人的に、学校へ行かないなら行かないでいいと思う。人間関係構築とか、ひととかかわる中で得られる経験を家で得るのは難しいけど、勉強についてだけ言えば学校でも家でも勉強する子はするし、しない子はしない。

彼女は前者だから、さして問題はないように思えた(優秀な少女なのだ)。

それならば、私は少し歳の離れた兄の恋人という適度に離れているポジションから、気楽に彼女とかかわろう。

彼のおかげで私はそう決めることができた。

だから以前と同じように彼女に勉強を教えたり、ちょっとした本を貸したりした。彼の家にお泊まりに行った日の夜には、恋人と彼女とお酒やジュースをお供に3人で遅くまでアニメを見たり、ゲームをしたりして過ごした。

その時間は私にとって、すごく心躍る時間なのだった。

***

どうやら彼女はこの春からまた中学校へ通い出したらしい。

どうして学校へ通わなくなったのか、どうしてふたたび通うようになったのかという理由を私は何も知らない。彼女に訊ねることもしていないし、彼女の口からも何も聞いてはいない。

中学3年生になり、今年は受験生だという意識もあるのだろうし、とても好きなお友達がいるとも言っていたから、気持ちが学校へと向いたのかなあ~というくらいに思っている。

「まあ、週に何回かはね、学校行っとこうかな」という実に堂々たる態度で、学校へ行ったり休んだりしているらしい彼女を、私はかっこいいと思う。自分で決めたことを貫くことができる、芯の通ったひとりの人間なのだと思う。

つい最近、恋人の家にお泊まりした日の夕方、彼が彼女を迎えに行くというので、私も車の助手席に乗せてもらってついていった。

彼女は助手席の私を見つけるなり、元々大きな目をさらに大きくさせ、そしてきらきらと輝かせながら笑顔で手を振ってくれた。

そして「青葉ちゃんだあ〜」と言いながら車に乗り込んできた。「明日は学校行かないんだ〜」と言いながら、元気そうに笑っていた。

便宜的に「恋人の妹と仲よくなった」と言いはするけども、彼女は彼女というひとりの人間なのだ。恋人がいたから知り合うことができたというのは事実として動かない。しかしもはや、私と彼女との関係性は互いの意思によってどうとでもなっていく可能性を帯びたものである。

彼女がこれからどこに進学して何を学んでも、どんな友を得てどんなひとを好きになっても、私は彼女を好きだし、こころから応援している。

仮に今後彼とうまくいかなくなることがあっても、それはもう変わりようのないことである。

そんなふうに思える関係性になれたことに感謝しながら、彼女のこれからの青春が、そして人生が、きらきらとやさしく、すこやかなものになることを願っている。

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