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彼岸と此岸と輪廻の話

 仏陀は輪廻転生を否定し、それを無明に対する明と称し、以て解脱と説きました。彼は輪廻転生を否定しながらも、後世に影響を与えうる幾つかの懸念事項があったために、輪廻を容認する形で悟りに至る段階的な手掛かりを残したのだと推測します。

 こんなことを書くと彼方此方あちらこちらから非難轟々かもしれませんね。鎌倉仏教以降、本邦の仏教は多様化の極みにありますから、哲学者としての仏陀すなわちガウタマ・シッダールタその人の思想と哲学を研究する人は、それほど多くはないのだろうと想像します。

 自分たちの宗派の利益不利益に関わらず、純粋に原始仏教を研究している人たちもいます。そういう文献を読み漁る中で、私は冒頭の考えに辿り着きました。


 仏陀は悟りを開き、以て仏と称されました。
 悟りの主要部分は、輪廻からの解脱です。

 それはバラモン教における業と過去世・来世の関係性の否定であり、さらに言えば仏陀ひとりが輪廻という輪から外れたのではなくて、輪廻転生というシステムを看破してから否定し、或いはそんなことはどうでもいいと思い至り、生きるための実践的な哲学思想を展開したと私は考察します。

 正式な論文を執筆する場合、根拠となる文献を照らし合わせ研究し引用し階段を一段ずつ昇るように文章を作り上げる必要があります。しかしながら、それは仏教研究者の仕事であって、私の仕事ではありません。挑戦的な言い方をするならば、いくら研究したところで文献から誰もが納得する正解など得られないだろうと私は予見します。重要なのは真理に到達することであって、仏教も道具のひとつに過ぎません。仏陀という人間を崇拝してしまったら、それこそ指を見て月を忘れるようなものでしょう。


 仏陀は生きるための実践的哲学を展開した、と私は述べました。この命題が真ならば、「(生まれ変わりを繰り返すという意味での)輪廻転生」の否定には重大な不都合があります。

 それは自死の肯定です。生老病死に加えて愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五蘊盛苦を決して逃れられない八苦と説くならば、人生は苦難に満ちています。生まれ変わりが存在しないならば、苦しいだけの人生を自らの手で終わらせても良いのではないか。その提案を拒否できない限り、生きるための実践的哲学とは言えません。

 輪廻を今世に限定する魂の在り方と仮定するのが、私には理解し易い実践的哲学です。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)のほかに声聞・縁覚・菩薩・仏と魂の在り方を分類して十界と説くのが分かりやすい。それだけのことです。

 さらにブッ飛んだことを申し上げますと、魂および輪廻転生というシステムは稼働中で、神という概念も存在します。これらは私の霊性が観測した経験を分析した現時点での見解ですから、真偽を証明することは困難で、将来的に修正を加える可能性もあります。

 
 なんかヤバい奴の記事に来てしまったと踵を返した方もいるでしょう。怖いもの見たさにここまで読んで下さった方もいれば、渡邊急にどうした?と心配されるフォロワーさんがいらっしゃるかもしれません。

 ご安心くださいませ。わりと平常運転です。

 本来交わり難い領域を括りながら生きていく。
 それが菊理媛神くくりひめのかみと共に在る道です。

 形而下学と形而上学。
 理性と霊性。
 医師と占い師。
 西洋医学と東洋医学。
 数多の哲学と宗教学。

 相反するものたちを、私の中に織り成します。

 興味のある方は是非お声かけ下さいませ。
 私は対話と交流を望みます。

 思考は他者との交流の中でのみ、研ぎ澄ますことができるような気がするのです。



 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方の苦しみが解かれて生きることの歓喜に至りますように。



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