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減らす方が難しい話

 研修医を教育するときに「鑑別疾患は何か」と頻繁に問います。鑑別疾患とは考えうる病名のことで、確定診断前の患者さんの「見立て」と言い換えてもよいでしょう。

 「見立ての良い先生」というのは正確な診断を下し最適な治療を行うことのできる医師を示す言葉ですが、駆け出しの医者がそうなるまでには多大な努力と経験が必要です。

 先ほどの問いに初めから明確に回答できる医師は存在しません。大抵の場合、どうにか絞り出して病名をひとつかふたつといったところです。そしてそれは誤診であることが圧倒的に多い。それは仕方のないことでしょう。

 医師になって1年ほど経つと、知識も経験も次第に増えてきますから、病名がポンポン出てくるようになります。ところが今度は病名が多過ぎて確からしい診断がどれか、悩むことになります。実は選択肢を増やすのは簡単で、そこから診断を絞り込む方がずっと難しいのです。

 この先は個人の資質や医療機関の教育体制、専攻する診療科によってまちまちですが、次第に鑑別診断の能力が研ぎ澄まされて、概ね次のようにまとまっていくのが定石と私は考えます。

①most likely:最も可能性の高い疾患ひとつ
②likely:その他に考え得る疾患1〜5個程
③unlikely:考えるべき可能性の低い疾患1〜5個
④MUST rule out:見逃すと致命的な、確実に否定すべき疾患

研修医は復唱せよ!


 例えば「突然の胸痛」で50歳男性が救急搬送されてきた場合、初期研修医の脳内は「急性心筋梗塞」で精一杯です。しかしながら、これだけの情報では膨大な数の疾患が鑑別にあがります。

 ここに「冷汗を伴い血圧低下、胸痛の持続、心電図でST低下、血圧の左右差」と続くと①most likelyは「急性心筋梗塞」ですが、②likelyと④MUST rule outに「急性大動脈解離」を瞬間的に考えて対処しないと致命的です。一方で気胸や胸膜炎の蓋然性は下がり、転倒等のエピソードがなければ外傷性疾患も否定的でしょう。
 

 治療の場面でも減らす方が難しいことは自明で、例えば感染症治療において非専門家はとかく薬を増やしがちです。そうして訳のわからないことになって、減らすに減らせず薬の副作用で身体を壊していく光景を幾度も目にしました。

 気管支喘息の治療も然り、間質性肺疾患の治療も然り。薬を増やすのは誰にでもできますが、これを適切に減らしていくのがプロの仕事です。


 少ないところから増え、再び減っていく。初学者と熟練者の提示する言葉は似て非なるものです。


 診断学の基礎について、医学生のうちから充分な教育を…と言いかけたところでハッと気付きます。

 また増やそうとしてる。

 なにしろ私は教育の専門家ではありません。医学教育のカリキュラムは、是非とも教育のプロに依頼したいものです。


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、足し算な社会から引き算な生活の価値が生まれますように。




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