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講義で小説について学び、書いてみたが見事に撃沈した話

 小説か、物語か。

 諸説ありますが、ここでは私の受けた講義で先生が主張していた立場をとることにします。
 小説と物語の違いは、主観と客観の問題として説明されます。地の文すべてが客観で語られるのが「物語」で、解釈の幅の少なく疑いようのない完成されたストーリーです。登場人物の主観は「 」内の発言にのみ現れます。一方、すべて主観で説明されるのが「小説」です。

 世の中に「客観的事実」なんてものは、存在するのでしょうか。私は私を通してしか世界を認識できません。どこまでも「主観」です。そして「主観」こそがその人にとっての「事実」です。

 しかし「小説」という世界は、「私」の枠組みを解放します。登場人物それぞれの「主観」、そして書き手の「主観」があります。このとき地の文は登場人物の視点に立ったり、書き手の視点に立ったりします。卓越した小説ではここにさらに第四の壁を破壊する仕掛けを作って、主観と客観の迷路に読者を誘うようなものもあります。主観と客観、自己と他者。これらはしばしば小説の主題になります。宇宙の真理がそこにあるのではないかと思います。小説はそれ自体が宇宙です。

 と、学んでみたものの表現するとなると別次元でした。ギリギリ単位はいただけましたが、随分長いこと未消化なまま燻っておりましたので、幾らか形を整えて(推敲といえば格好良いでしょうか)、載せてみたいと思います。改変前のものを過去に某サイトに載せたときは誰にも読まれず悲しかったので、どうか哀れと思って流し読みでもいただければこれ幸いです。もし感想などもいただけたら舞い上がって喜びます。



【小説】忽焉

 「それでいいの?」
出来るだけ渇いた冷たい声で、私はそう云った。こんなことを言いたかったのではない。そんなつもりでここに来たのではない。私は、ただ彼が愛おしかった。一緒に居たいと、そう思った。私の口を衝いて出たのは、しかし拒絶の言葉だった。
 「なら、やめよう。私の幸せ、って、それ……ううん、もういいや。」
 抑えようとしても声は震えた。この喧騒の中で、彼に聞こえただろうか。浮気かな。そういう人には見えなかったのに。視界が滲み、右頬が濡れるのを感じた。次々と夜空に打ち上げられた花火は、闇を美しく彩っていた。

 不意に彼は私に手を伸ばしーーー、

 電話が鳴る。なにか黒くて不気味なものが、僕を覆っていた。それは前々から少しずつ成長して侵食し、もう耐えきれないところまで大きくなっていた。僕は憂鬱だった。少し前に仕事で大きな失敗をしたことも、上司との関係が芳しくないことも、先日から風邪をこじらせてひどい頭痛がすることも、まったく問題ではなかった。ただ憂鬱であることが、僕にとって唯一の問題だった。
 花火が見たい、と電話口で彼女が言った。そういえばちょうど花火大会があるはずだといって、せっかくだから一緒に行こうということになった。場所と時間の約束をして電話を切った。依然気分は晴れず、どうにも昏い靄が心を満たしていた。適当な服に着替えて部屋を後にした。
 寂れた駅で彼女と待ち合わせて、ちょうどいい場所を探しながら歩いた。カラコロと下駄の音が心地良い。彼女は赤地に白い花の刺繍のある浴衣を着ていた。腰まで届くかという長い黒髪を、今日はすっかり上げて結わえてあって、紅い簪が印象的だった。ふたりの間に会話らしい会話はなかったが、横を歩く彼女を素直に愛しいと思った。歩く影が伸びる。日が暮れ始めていた。

 河原に着くと、ちょっとした祭りのような雰囲気だった。屋台に灯る橙の光が頬を染め、独特な喧騒はいつかの夏を彷彿させた。あの頃はよかった。毎日が楽しくて、未来への希望に満ち満ちていた。彼女と知り合ったのはその頃だ。毎日のように彼女と会った。彼女と見る風景は特別に綺麗だったし、彼女と一緒の食事は格別だった。重ねた肌の温もりは、僕の心を溶かしていった。ただそこに彼女がいるだけで、僕は幸せだった。
 しかし何時からか、あるいは最初からだったのかも知れないが、僕には彼女の考えていることが分からなかった。平生から多くを語らない彼女を知る手段が、僕には乏しかった。言葉にすると大事な何かが抜け落ちていって、気持ちの残滓から彼女を推し量ることは困難を極めた。気付けば彼女は「わからないなにか」になっていて、そしてそれはひどく恐ろしいものだった。

 並ぶ屋台は人で賑わっている。どん、と空気の割れる音がして、しかし空は昏いままだった。なにかおかしい。今日は花火がひとつも見られない。ただ草の匂いの中に微かに火薬の余韻が混ざって、これは夏の匂いだと思った。
 僕たちは何をするわけでもなく、ただぼうっとしていた。河原にはたくさんの人がいた。家族連れもあれば、若者の集団などもあったが、恋人同士の多さに辟易とした。誰もかれも楽しそうな表情をしていて、自分たちはどうだろうかと疑問に思う。そこにきて不意に、自信がなくなった。もとより毛ほどもなかった自信だが、とにかく自分が信用ならなくなった。彼女は何故か僕の隣にいてくれる。それが悲しくて、申し訳なかった。まず謝らなくては、気が済まないと思った。
 「***。」
彼女の名前を呼んだ。けれど目が合ったら何を言っていいかわからなくなって、僕の口は意識を投げ出して動き始めた。
 「もうだめだ。僕はだめな人間だ。きっと君を傷つけてしまうから。君を不幸にしてしまうから。ごめん。どうか、僕の事など放っておいて、君には幸せになって欲しい。」
 箍が外れたように捲くし立てていた。僕は何を言っているのか。この期に及んで僕には自分しか見えていないのだ。自分に憤りを感じた。

 どん、と空気の割れる音がして、やはり空は昏いままだった。
 その時、彼女が何か言った気がした。辺りは異様に静かで、しかし彼女が何を言っているのかは上手く聴き取れなかった。相変わらず花火は上がらなかった。どうにも昏くて、彼女の顔がよく視えない。彼女が、すうっと闇に溶けていく。それが未練かはわからない。ただ、彼女に二度と会えなくなるような気がした。
 僕は消えそうな彼女に手を伸ばしーーー、

 ーーーそうして触れた、彼の/彼女の指先は、ひどく冷たかった。
 ある晴れた日の夜、なにもない静かな河原で、ひとつの恋が終わった。


ー了ー


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