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異色のグルメ・ドキュメンタリー。アメリカの味は黒人奴隷によってつくられた! Netflix『アフリカからアメリカへ:米国料理のルーツを辿る』

今回は早速、本題へ!

――ネットフリックスで2021年5月26日に配信開始された『アフリカからアメリカへ:米国料理のルーツを辿る』(原題:High on the Hog:How African American Cuisine Transformed America)。全4回のリミテッドシリーズですが、これ、めちゃくちゃ、おもしろかった! すっごいところにボールを投げてきましたね、ネットフリックスは。

藤田正さん(音楽評論家・以下、藤田) アメリカ料理のルーツを「奴隷(制)」という視点から語るとは、ドキュメンタリーの名企画が多いネットフリックスらしい。黒人……つまりアフリカ系アメリカ人ってことだけど……が、アメリカの食文化にどれほど大きな影響を及ぼしたかを歴史を追って証明していきます。

――アメリカのポップ・ミュージックでは、こういう主張は過去にいくつもありました。ブルースからロックンロールへ。そしてロックへ。ヒップホップ(ラップ)も、ルーツとしてアフリカ系の、奴隷として海を渡ってきた人々を抜きには語れない、と。

藤田 そうだね。本シリーズは、本編第1回にも登場する、ジェシカ・B・ハリス博士の著書『High on the Hog(ハイ・オン・ザ・ホッグ)』をベースに製作されています。「high on the hog」あるいは「live high on the hog」とも言うけど、書名は、この「贅沢な暮らしをする」という慣用句に掛けています。「hog」は食用の豚ってこと。黒人の料理には豚肉が多いことを意識してると思うし、「豊かな私たちアメリカンの暮らしは、黒人の食人文化抜きに語れないよ~」ということなんでしょう。豚肉料理といっても、高級な部位を使ったレシピじゃなくて、ティビチやミンタマーとかぜーんぶ使うわけです。これウチナーンチュや在日コリアン、被差別部落民とか、差別されてきた人たちと、まぁなんて同じなんだろうって、感動してしまう。

――ティビチ(豚足)、ミンタマー(目玉)って、また出たウチナー口(沖縄方言)! アフリカからアメリカ国内への食の旅は、ジョージア出身のシェフでありソムリエ経験もある記者、スティーブン・サターフィールドさんがナビゲートします。

藤田 アフリカから人間(奴隷)と共に何がアメリカへもたらされたのか。ぼくなりにある程度は知っていたけど、へぇぇと思うことしきり。また、人種差別が今も根強い南部出身の黒人が旅をするのも象徴的です。彼が最初に訪れるのは、西アフリカのベナン共和国。ナイジェリアの西隣の国です。この地域にはかつて王国があって、王国はヨーロッパからの入植者と手を結んで奴隷貿易をしていた。膨大な数の西アフリカの黒人たちが捕らえられて、船に載せられ、カリブ海を経由しアメリカへ。暗黒の歴史の第一歩がベナンです。

ただし、ぼくらは簡単に黒人って言うけどさ、アフリカ大陸には多種多様な黒い肌の民族・国家があった(ある)から、彼ら彼女たちは捕縛されたあとも、言葉や歌、そして「食文化」を、切れ切れながらも携えて大西洋を越えたわけです。

――まさに奴隷制の原点からはじまるんですね。その象徴がオクラ!(トップ画像=オフィシャルトレイラーをスクリーンショット) オクラって日本語じゃなかったんだ!

藤田 はぁぁ?(絶句!) オクラはアフリカ大陸由来の食材でしょ。言っておくけどオクラはたった一つの例だからね。太平洋を渡り、キューバやプエルトリコ、そして(現在の)アメリカ合衆国へ伝わった食材、調理法はたくさんあった。キューバ音楽やサルサで「キンボンボー quimbombo」ってうたわれるけど、これもオクラ(オクラ料理)のこと。アフリカ大陸って超広大だから、あのネバネバ食材の名前は各地で色んなバリエーションがあるんですよ。ガンボもキンボンボーも文字通りの「きょうだい」。 

――ガンボってニューオーリンズの有名な煮込みスープですよね。

藤田 そう。アメリカ南部を象徴する食材のひとつでもあります。スティーブンが「This is Us!」とカメラの前で目を輝かせたように、「オクラ」は彼らにとってアフリカそのものなんだよね。ちなみに、ニューオーリンズ・ミュージックを代表する大御所のひとり、ドクター・ジョンに『Gumbo』(1972年)という名盤があります。沖縄でいうチャンプルー音楽の傑作です。ドクター・ジョン氏(2019年6月6日、77歳で死去)は血統的には白人なんだけど、ぼくら黒人音楽ファンも、もちろん地元でも、知る限り彼を白人と言った人はいない。彼はニューオーリンズ人。つまり偉大なる煮込み男、ガンボマンとして生涯を全うした方です。

――でもニューオーリンズに、このシリーズは焦点を当てていませんね。
 
藤田 そ~なんです。シリーズ製作側の、とても強い意志を感じるね。想像なんだけど「アフリカ~カリブ海~(現)アメリカ合衆国」と黒人の混淆文化の流れを語る場合、北米のカナメとしてのニューオーリンズは欠かせない。最もダイナミックでわかりやすい。でも「そこ」だけじゃないよ、とこのシリーズは言いたいはず。南部全体に散らばった奴隷たちが命を賭けて、世代を超えて「アフリカを守り」「アフリカをアメリカへ浸透させた」ということをこのシリーズは伝えようとしている。食のブラック・ライヴズ・マター。これがまた、新しいアプローチなんだ。

ドクター・ジョン『Gumbo』フルアルバム(YouTube)

――ベナンの次に語られるのはサウスカロライナ州のチャールストン。アフリカからの黒人の40~60%がアメリカ本土で最初に上陸したのが、ここ。奴隷貿易のカナメでした。

藤田 ベナンで滂沱の涙を流したアメリカ黒人、スティーブン君が「上陸」したのがチャールストンだもんねぇ。アフリカの人たちは何ひとつ財産を持たずにアメリカへ連れて来られたと言われているけど、彼らには自身の言葉とリズムがあり、身体に沁み込んだ技術があった。稲作もそう。お米って、ぼくらアジア人だけのものじゃないからね。

アフリカの民とお米は密接です。そのハウトゥがアメリカン・レシピの基本の一つとなった。これも知られていない。南部の黒人、すなわち綿花畑でこき使われた人々と、ぼくらはイメージに叩き込まれているけど、コットンより先にお米のプランテーションがあって、アフリカ黒人がアフリカの稲作技術をもとにお米を育てていた。カロライナ・ゴールドと呼ばれる光り輝く米が、日本(江戸期)にも伝わるほどの経済商品となり巨万の富を生んだ。もちろん黒人は、言ってみれば無報酬。富を得たのは白人だけ。そりゃぁ、南部白人はリッチになるわなぁ。

――サウスカロライナ州とジョージア州の海岸部にはアフリカの文化を色濃く残した「ガラ人Gullah」という人たちがいるそうですね。初めて知りました。

藤田 ガラの民は、ずっとナゾ多き人々と言われてきました。ブルースを知り、南部各地のブルース・バリエーションを理解したとしても、ガラの文化は、他の黒人大衆文化とは少しズレる。もっと古いピュアなアフリカ文化を遺している。このシリーズを見てわかったけど、ジャマイカのレゲエの精神的支柱の一つである、逃亡奴隷のコミュニティ(村)と同じ系統だね。実はこういう人たちこそが、伝統的、かつ最も革新的アイデアを保っている。

――バーベキューも、黒人史の流れから見るとまるで違います。

藤田 ガラの若きシェフ、BJ・デニス氏とチャールストンの対岸にある島の女性が作った豚の料理も、おいしそ~を超えているよね。人間の知恵の凝縮です。御主人様が豚の良質な部位だけを食べて、奴隷たちは「それ以外」から食を考えた。「ここ」がアメリカ人の食の原点なんだとシリーズは訴える。物凄い説得力です。

――足、頭、内臓など、白人たちがクズとして捨てたものを上手に活用する。それもこれも、アフリカで培ってきた技術。奇しくも、英語で「throw away」と言ってたけど、日本のホルモン(放るもん=捨てるもの)と一緒ですよね。結果的に、黒人奴隷たちが作る料理を見た白人たちが「おいしそう~」ってかっぱらって、いまやグルメ料理になってる。まったく日本と変わりませんね。

藤田 はい! 音楽もそうだけど、苦労して被差別民が開発した食事が、あれ?という間に誰かに盗まれるわけです。

やみつき「マカロニ&チーズ」誕生のゆゆしき背景

――アメリカの味といえはハンバーガーじゃなくて、その前に定番中の定番、マカロニ&チーズ(Mac and Cheese)がある。これって、同じネットフリックスの映画『マルコム&マリー』で主人公が夜中に食べてた、あれですね。

藤田 そう、これも奴隷が作った料理だったというからねぇ。トマス・ジェファソンに仕えた奴隷シェフの考案だった。

――映画の中で「モンティチェロ」という場所がでてきますが、ここはバージニア州シャーロッツビルのジェファソンの私邸、かつ広大なプランテーションがあった場所。世界遺産です。アメリカの5セント硬貨の裏にも刻まれています(表がジェファソンの肖像)。

藤田 5セント硬貨の裏、へー、知らなかった。

――ジェファソンは独立宣言の起草委員で、第3代大統領でもあるわけですが、彼は「All men are created equal.(すべての人間は生まれながらにして平等である)」なんて言って奴隷解放に賛成だったというものの、スミソニアン・マガジンの記事(The Dark Side of Thomas Jefferson:下に掲載)を読むと、実際には生涯で600人以上の奴隷を所有していた。また、黒人を所有することで年率4%の利益が得られることに気付いて、奴隷制度は将来への投資戦略であるという考えを露骨に展開したそうです。ヒドイ!

藤田 今、ブラック・ライヴズ・マター運動で厳しく歴史が問い直されているけど、ジェファソンしかり。この大統領に仕えた、いわば米国最初の名シェフが黒人奴隷だった。彼らのレシピがのちに、広くアメリカン・テイストの基本の一つとなりました。

――もうひとり、『アフリカからアメリカへ』に登場する初代大統領ワシントンも。いわゆる「建国の父」の所業が近年、問い直されています。彼らはたいそうな御託を並べつつも、決して奴隷を手放そうとはしなかった。黒人たちは、彼らが実際に何をしてきたのかに気付き、声をあげています。独立宣言に書かれた「All men are created equal.」、の「men」が意味するところも、彼ら起草した白人たちの間では黒人は「人」に含まれていなかった、っていう意見もあります。

藤田 含まれているわけないじゃん。

――とろーり、おいしいマカロニ&チーズですけど、なんとも複雑な味なんですねぇ。

記事より引用。「邸宅は長いトンネルの上に建っており、そのトンネルの中を人知れず奴隷たちが大皿料理や新鮮な食器、氷、ビール、ワイン、リネンなどを運んで行き来していた。ジェファソンのディナーテーブルには20人~40人のゲストが座って、彼の会話に耳を傾けた。トンネルの一方の端には製氷室があり、もう一方の端にはキッチンがあった。ここは、奴隷のコックとその助手が次々とコース料理を作る、絶え間ない活動の巣窟であった」

藤田 アメリカの黒人を主人公とする映画は、人種差別を告発するドキュメントやストーリーがこれまで多かったけれど、いま、そうした流れとは異なる新しい動きが起きていると感じます。これも、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)の活動と密接にリンクした動きでしょう。

映画の中でも若いシェフが何人も登場するけど、黒人の若い世代によって彼らの祖先が築いてきた歴史の見直しが行われ、「我々こそが、アメリカの歴史そのものなのだ!」と未来へ向かって声を大にし、表現しはじめている。『アフリカからアメリカへ:米国料理のルーツを辿る』は、黒人映画を率先して取り扱ってきたネットフリックスのなかでも大きな一石を投じる作品だと思います。

スティーブン・サターフィールドさんのインタビュー


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