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本を買うときに、レジに行くのがなぜか恥ずかしい。

みなさん、こんにちは!
言葉をつむぐ人mariです!

みなさんは、雑誌とか本を実際のお店で買うことがありますか?

「ネットショッピングがほとんどです~」

という方もずいぶん増えてきているとは思いますが、

それでもふらっと寄った本屋さんで、気に入った一冊を見つけたときには、ぜひその場でお持ち帰りしたいところ。

ウキウキした気分で本を抱え、レジについたところでふと我に返る。

私が今から買おうとしている本のタイトルを、店員さんに見られるのがなぜだかものすごく恥ずかしい。

みなさんはこんな経験ないでしょうか…?


本にはプライベートな情報がつまっている

いや、本屋さんなのだから、お客さんがそのお店の本をレジに持ってくるなんてことは、すごく当たり前のことです。

店員さんにしたって、どんなお客さんがどんな本を持ってこようが、ちゃんとお金を払ってくれるなら、なんの問題もないはず。

それなのに、どうしてこんなに本を渡すのが恥ずかしいのか…

実は本というのは、一見オープンなものでありながら、それを選ぶ人のパーソナリティが垣間見えてしまう、かなりプライベートな意味合いを含んでいます。

たとえば、20~30代の女性が「ゼクシィ」を買っていたら

「あら、ご結婚が決まったのかしら?」

と思ってしまう。(すいません)

それに加えて「男心を動かす方法」といった本も選んでいたら

「結婚したいけど、彼がなかなかその気になってくれないのかな…」

なんて下世話な想像をしてしまう。(ほんと、ごめんなさい)

一冊の本を通して、その人が何を求めているのか、何に満たされていないのか、何を目指しているのかまで、心の奥底が暴かれてしまうような気がして恐ろしい。

そんな思いが心の底にあるから、本屋さんで本をレジに持っていくのが恥ずかしい。

そんな気がするのです。(でも本屋さんは大好き)

「好き」を伝えるのがとても不安

でも、そもそも、その店員さんに告白するわけでもないのに、自分が「いい!」と思って選んだものを他人に知られることが、どうしてこんなに「恥ずかしい」と感じるのでしょう?

その気持ちの裏には、私自身の「自分が好きなもの」に対する、そこはかとない「不安」が隠されているのではないか、と考えています。

そもそも「不安」という感情は

・否定されるかも…
・怒られるかも…
・バカにされるかも…

といった、ネガティブな相手の反応を推測したときに、わき起こる気持ち。

ということは、私は自分が選んだ本を店員さんという他者に知られることによって

「私が選んだものは、他人に否定されるのでは?」

というネガティブな未来を推測しているというということになるのです。

本屋さんに限らず、自分の心が動かされたものを他者に伝えるのが、実はとても苦手。

という方は、少なからずいらっしゃるんじゃないかな。(私もそう)

これは本当に強く思っているのですが

本来「好き」という気持ちは、だれにも否定されるべきものでは決してないはず。

どんなものに興味があろうが、どんなものを楽しいと感じていようが

他者に迷惑をかけることでなければ、それはその人個人の自由。

誰とも比べようのない、とてもとても大切な気持ちです。

でも、そんな超個人的で大切な部分が、ときとして簡単に傷つけられてしまうことがある。

・他の人はあまり好きじゃないから。
・その人の属性としては珍しいから。
・たまたま相手がそれを好きではなかったから。

そんな些細な理由で、私たちの心の大切な部分が傷を負ってしまっている過去があるんじゃないでしょうか。

それこそ、子供時代。

身近な人から

「そんなことに時間を使うなんてバカバカしい」
「そんなものが好きだなんて、男の子(女の子)らしくない」
「もっと違うことした方がいいに決まってる」

なんて心ない言葉をかけられた経験があるのかもしれない。

「好き」という気持ちは、私たちの本当の心を表す、とても大切なもの。

れっきとした「プライベートゾーン」です。

でも心のプライベートゾーン体のそれと違って、表現し、共感し、同じ思いをもつ仲間と出会うことも待っている。

だから勇気を出して心のプライベートゾーン、つまり自分の「好き」という気持ちを伝えたのに、それに対して傷つけられるようなことを言われたら、それ以上「好き」を表現するのが怖くなるのは当然です。

「好き」の否定は「私」の否定

そんな思いから、自分自身の「好き」を押し込めていくと、それはとても辛い毎日が始まります。

自分自身の「好き」という気持ちは、ありのままの自分自身。

だから「好き」という気持ちを否定するのは、その気持ちをもった自分自身を否定することにつながってしまうからです。

本来なら誰とも比べる必要なんてない、私が私のまま「好き」という気持ちを表現していい。

そんな、人間なら誰しもがもっているはずの権利を、押し込められてしまったまま、大人になってしまったとしたら…

自分自身も気づいていない「自己否定」に苦しめられている人は多いのではないかな、と思うのです。(私もその一人)

そんな日常にひそむ「自己否定」と、どうやって付き合っていけばいいのか?

新しい問いが生まれましたが、今回は長くなってしまったので、ここでおしまい。

次回は「好き」という気持ちを押し込めてしまう「自己否定」との向き合い方について考えていきたいと思います!

それではまた次回、「オモシロイ」とあなたをつなげる発信していきますので、ぜひ楽しみにしていてください♪



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最後までお読みいただきありがとうございます。

誰よりも【心】について思いをよせるmariが
複雑怪奇で形のない【心】について

正面から、横から、ななめから
ためつすがめつしながら考察していくページです。

私が【心】と向き合う日々が

読者の皆さまにそっと寄りそい
ときにははたと立ち止まって考える

そんなきっかけになりますように。

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mari【言葉をつむぐ人】

・36歳、3児の母
・13年間の教員生活ののち、自分らしい人生を求めてフリーランスに転向
・現在はライター、モデル、ソウルフル数秘術®プラクティショナーとして多方面に活躍
・幼少期から生きづらさを感じていたことをきっかけに、心について学び、深く考察する日々を重ねる
・好きな哲学者は老子、好きな言葉は「無為自然」

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