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僕の好きな”僕”を引き出してくれる人

人は嫌な人間になる時もあれば優しい人間になれる時もある。
Aさんの前では優しい人が、Bさんの前では嫌な人になるのは、その人が裏表のある人間だから。

本当にそうだろうか。

Aさんは相手の優しさを引き出せる人で、Bさんは相手の嫌な部分を引き出してしまう人間だからということはないだろうか。

この人といると自分のことを嫌いになる。自分の嫌な部分ばかり出てくると感じる人はあなたの周りもいるだろうか。

そういう時の僕は本当に醜いし自己嫌悪もすごい。なんで嫌な自分になってしまうのだろうと反省もするのだが思うように制御できない。そういう人とは距離をとりたくなる。

逆に、この人といるとなんでこんなに自分のことを肯定できるのだろうと思う時もある。その人といるときの自分がすごく好きだ。そんな人とはずっと一緒にいたくなる。

けれどそれは、その人が僕のことをすごく褒めてくれるとかでもなくて、なぜか居心地が良くて、まるで普段の自分とは違う人間のようで、自分が好きな自分に変身するような、けどどうしてあの自分が出てくるのかは自分でもわからない。

どうして関わる人によってまるで違う自分が存在するのだろう。

これは裏と表なのか、だとしたらどちらが表でどちらが裏なのだろう。
本当の自分は悪い奴のような気もするし、良い奴のような気もする。

そんなことを思っていたところに、”分人”という概念に出会った。

小説家の平野啓一郎さんが提唱した概念で、”個人”という概念に置き換わるものだ。
(分人の概念を理解するための参考動画や書籍は一番下に。)

自分が知って良かったと思ったのは、
自分とは自分だけによって形成されるものではなく、対話する相手、時には音楽や本や映画との相互関係によって形成されるということ

僕の半分は相手が決めている、逆に相手の半分も僕が決めている。

今日のnoteの冒頭に書いたように、嫌な自分ばかり出てくると思う時は言い訳的には相手が自分をそうさせているとも言える。

逆に相手もそう感じているかもしれない。
自分が相手の嫌なところばかり引き出しているかもしれない。

そうやって、人と人はお互いに相互に影響を与えながらお互いの人格を形成し合っているのだ。

であれば、僕はいろんな人の”優しさ”を引き出せる人間になりたい。

それは別に善人ぶりたいわけではない。相手の優しさを引き出せる人間になれば相手に傷つけられるリスクも減るという自己防衛的メリットもある。

何より、僕であれば「この人といる時は優しい自分になれる!」という感覚があれば間違いなくその人のことを好きになってしまうと思う。
優しくいられる自分が好きだから。

だから僕が優しさを引き出せる人間になりたいというのは誰かに好かれたいというとても真っ直ぐないやらしさから来ている。

(好かれたいという気持ちは隠さないことでやましい感じじゃなく見えるの。隠すからやましく見える。)

そうはいっても僕にはまだ誰かの優しさを引き出す人間になる術がわからない。

優しさとは何かを考えていれば、誰かの優しさを引き出せる人間はどんな人かというのも自ずと見えてくるだろう。


分人の概念を理解するために自分は動画を見てから
『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読み、その後小説の
『ドーン』も読んだ。
末bて平野さんご自身が作成された動画、書かれた本だ。

7分の動画でざっくりと理解できるが、より深く理解したい方には下の2冊もおすすめする。


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