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うつ病と診断されて4ヶ月の現状

 朝起きると同時に強烈な吐き気に襲われ、おぼつかない足でトイレに駆けこむ。便座を抱え込みながら嗚咽し、本来であれば糞尿が落ちる場所に頬を線状に濡らした涙が沈んでいく。全身が錘をつけたように重く、思うように動かない。

便器の汚れを見続けていると、自室から音が聞こえる。広告LINEでしか体を揺らさないスマホのとなりで、出勤時間の2時間前から社用スマホが不快な着信音を鳴らしている。今日は誰がどんな問題を起こしたのだろう。

一通り処理したのち、上司に体調不良による欠勤の旨を伝えた。でも本当は昨日の夜から決めていた。電話をしてそのまま精神科に向かった。うつ病。当面は休職しなさいとの診断だった。11月半ばのことだった。

それから4ヶ月ほどが経った。1月末付けで会社は退職した。体調が回復してから考えても良いのでは?と説得されたけど、もう連絡もとりたくないほど何かを憎んでいたからすぐにでも辞めたかった。

肝心の体調は良くなっているような気もするし、悪化しているような気もする。今日は調子がいいぞと朝ごはんなんか食べてみたりしても、次の日は朝から晩までベッドから出られない。そんなことの連続だから、気分が良い日があっても回復を予期することはやめた。

眠れない夜も多く、最近はまた朝の6時頃に寝るというリズムが染み付いてしまった。17時半頃起きてコンビニに向かうと、東も西も知らないからその光はまるで朝日のようなのに、帰り道には暗くなっていて、あれは夕日だったんだなって気づくよりも先に、「本日は終了しました」と社会から告げられているようで、始まったばかりの1日を手持ち無沙汰に思う。

時には、あぁもう死んでしまった方が楽じゃないかと思ったことが何回かあった。だから、「生きよう」って強く意識しながら生活している。迂闊に生の手綱を手放してはならない。
しかし考えてみると、生は無意識でも意識しても刻々と消費される。これほど生を意識したのはいつぶりだろう。去年の9月にインドに行った時にも生を強く意識した。あの時は宗教的かつ他人を介した生だった。自分の生を願ってくれる人がいたから、生を意識できた。今は自分で自分の生を意識している。


 SNSの使用方法にも大きな変化があった。まずはX、インスタ、Tiktokを見ることが極端に減った。今まではSNSから離れるのが不安だった。情報の波についていけなくなるのではないかという恐れがあって、常時チェックしていたが、うつ病になって社会からも離脱したのだし、情報の波に乗り遅れるなんてどうでもよくなった。

逆に、noteを書いたり誰かのを読み漁ることが増えた。noteの治安は驚くほど良い。怒っている人も少ないし、フェイクニュースも少ない。他のSNSよりも推敲された文章が多くて、吐き捨てられたような言葉が少ないのが好きだ。

それと、本もたくさん読むようになった。今年に入ってからすでに40冊を超える本を読んでいて、科学の本やビジネス本も読むけどやはり小説が好きだ。
特に、朝井リョウさんの『正欲』や川野芽生さんの『Blue』は自分の命のカタチをなぞるような読書体験だった。命のカタチといってもほとんどは傷のカタチで、自分の命の傷跡がどんな色で、形で、柔らかいのか硬いのか、血はもう止まったのか。そんなのが少しわかった。

自分の傷をなぞると、もちろん激痛に苛まれる。脳科学的には孤独な時ほど自傷行為に走る傾向があるらしいから、それなのかもしれない。自傷行為を続けることでビビットに浮かび上がる生の実感を得ようとしているのなら、辞めにしなきゃとも思うけど、自分と同じカタチの傷に触れることは生の肯定を孕んでいる。だから辞めない。

4ヶ月経って、消えた不安もあれば新たに出てくる不安もある。職場の人たちと関わる恐怖心みたいなものは2ヶ月経ったくらいから徐々に薄れていったけど、自分は仕事ができる方だと感じていたのに今は自分は仕事が全然できないと感じている。それどころかコツコツ貯めてきた自己肯定感は粉々に砕け散った。貯金箱はブタの形をしていたはずなのにその気配すら残ってなくて今はただ粉々になった薄ピンクのガラス片が足元に散乱していている。これまで肯定的に捉えていた過去の出来事さえ人生を否定してくるからおかげさまで足裏は血だらけだ。

「うつ終了!」ってなる日は多分まだまだ先で、それまでは引き続き上がったり下がったりを繰り返すのだと思う。生きることを辞めないこと以外は何も決めず、また明日も生活を続けようと思う。

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