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0-2. この世界の謎を、解き明かす方法 新科目「世界史探究」をよむ

高校の世界史は、2階建ての構造に変わる!

 前回述べたように、世界史探究とは、この世界がどのように現在の形になっていったのか、われわれ一人ひとりと、どのようにかかわっているのか、そして、これからどうなっていくのか。そういったことを目指す科目であるようです。

 それを私なりにパラフレーズすると、世界史探究は「この世界の謎を解き明かす科目だ」ということになるでしょう。

 しかし、謎を解き明かすといっても、どんな手を使ってもよいわけではありません。

 じつは、世界史探究に進む前に、歴史総合・地理総合を学んでおく構成になっています。これは日本史探究・地理探究を選択した場合も同じです。


科目の組立てが2階建てになっているのです。

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 つまり、歴史総合において、まずは歴史を見る視点、現在の世界の過去との結びつきを資料をもとに解き明かしていく方法を、近現代を中心に学ぶ。地理総合では、地理的にこの世界を読み解く視点を持ち、地図・統計などの地理情報をGISも駆使して解き明かしていく方法を学びます。
 それからさらに世界史、日本史、地理に分かれ、「探究」(この世界の謎の解き明かし)をしていこうという組立てになっているわけです。



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新科目設定の背景にあるもの


  えっ、教科書に書いてあることを、覚えていくの歴史という科目なんじゃないの?と思われる人もいるかもしれません。
 知識の暗記か? 思考力の育成か? ストーリーか? 事実か?という議論は、往々にして「どっちか論」に陥りやすいものです。
 しかし、そもそもどのような歴史にも、ある一定のストーリーはつきものです。とはいえ、事実を継ぎはぎし、つまみ食いしただけのストーリーも危ない。 
 歴史教育に関して言えば、小学校で学んだストーリーを中学校で点検し、さらに高校で修正し、さらにその後大学でパラダイム転換し…というように、成長を踏まえた学びの“進化”とでもいうべきものがあるはず。歴史を学ぶ意味もその成長段階に即して微調整していくべきものでしょう。

 しかし、それがうまくいっていないのではないか? 
 単に知識の丸暗記や、先生の話す定型のストーリーをまる覚えするだけになっているのではないか? 学校種を超えて、世界史を学ぶ意味が理解されていないのではないか? 

 そのような危惧が、2006年に明るみに出た世界史未履修問題をきっかけに、歴史学・歴史教育に携わる者の間に共有されていった経緯があるのです。

 冷戦終結以前、世界史を学ぶ意味がはっきりと共有されていた時期もありました。それは欧米諸国が中心となり、世界はどんどん改良されていくのだという進歩史観であったり、資本主義体制をうちやぶり共産主義社会の実現に向かうのだとするマルクス主義的歴史観でありました。

 しかし、冷戦の終結と2000年代以降、グローバル化が進展し、もはや従前の枠組みによって世界史をとらえることは難しくなっていきます。
 2000年代以降、グローバル・ヒストリーを銘打った動きや、アジア・アフリカなど非欧米圏の側からの視点で世界史を読み直す研究、さらに地球史的な時間軸で過去の世界を捉え直そうとする文理融合型のビッグ・ヒストリーがさかんになっていったのは、その潮流も影響しています。

 従来当たり前とされていた価値観が崩れつつあり、一方で社会の中にはさまざまな分断が生まれ、他方で地球規模で持続可能な社会の必要性が叫ばれています。

そんな中、世界史を学ぶ意義はどこにあるのか?

 学ぶ必要があるから学ぶ必要があるのだ。つべこべ言わず、まずは参考文献を読みなさい、と大上段に構えていても、歴史離れは進むばかりでしょう。
 世界史に関して言えば、実は今回世界史Aが廃止され、歴史総合に変わったことで、近世(18世紀)よりも前の世界に関する学習は、おそらく約半数強の高校生が経験することなく卒業していくことになるでしょう(もちろん中学校では古代や中世に関する学習は社会科の「歴史」分野でおこなうことになっていますから、まったくもって欠落してしまうわけではないのですが)。

 このような事情の中、世界史探究では、過去の世界におきた出来事について、どのようにとらえればよいかという「スキル」の養成が、明確に打ち出されています。
 たとえば、「この情報はさすがに怪しいんじゃないか? 何を根拠にしているのだろう?」とか、「別の角度から見たら、どうだろう?」といったように、歴史的事実について主体的に判断する力ですね。
 そこにはポスト・トゥルース時代に対する問題意識が多分に含まれているとともに、歴史とは事実に立脚した解釈の集積であるという点に注目することで、混迷の時代にあっても、歴史を踏まえ未来を描いていくことのできる次世代を育てていきたいという思いが感じられます。

 このへんのお話については、以下のnoteでも述べましたが、引き続き考えていきたいところであります。

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歴史をとらえる5つの視点

 では、今回の話に戻ります。

 世界史探究において、歴史をとらえる視点としてあげられているのは、次の5つの視点です。


(1)時期、年代など時系列に関わる視点

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 すなわち、出来事を「時代順」にとらえる視点です。「年表というのは資料集に書いてあるものを覚えるものだ」と思っている高校生がほとんだと思いますが、実際に過去の出来事のうち、どれを拾い、どれを捨てるのかという作業には、多分に年表作成者の価値観が入ります。単に時系列に並べるだけのカンタンな作業のようですが、歴史を捉える上では基本中の基本であります。


(2)展開、変化、継続など諸事象の推移に関わる視点 

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 出来事の「移り変わり」をとらえる視点です。
 何を持って「変わった」ととらえるか、そのもっとも説得力のある答えは、研究者による通説として教科書に書いてあります。
 しかし出来事のとらえかたは、新しい資料の発見や考える枠組みの転換によって変わる可能性もあります。資料の選び方や解釈によっては、教科書本文を別の立場からとらえた「アナザーストーリー」を描くことも可能であるということです。


(3)類似、差異など諸事象の比較に関わる視点

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  出来事どうしの「比較」をとらえる視点です。
 同じように見えるものでも、比較する対象を精査すれば、違いが浮かび上がってくるはずです。自然科学の世界とは違って、人間の営む世界においては、そもそもまったく同じものなどありえません。「同じ」ものとしてくくられているものの中に、「違い」を見つけることで、過去の世界の見え方が変わることは、しばしばあります。


(4)背景、原因、結果、影響、関係性、相互依存性など事象相互の「つながり」に関わる視点

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 これは、出来事どうしの「つながり」をとらえる視点です。(1)〜(3)を踏まえつつ、同時代や前後の時代、同じ地域や別の地域との関連を明らかにしていこうとするものですね。


(5)現代世界とのつながりなどに着目して、比較したり、、関連させたりして社会的事象を捉える視点

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 「つながり」「比較」を通して現代社会をとらえる視点。
「過去の世界」を生きた人々とその社会について知ることは、観光旅行に似ています。異国の地でしばらく客人として生活した後、自分の国に帰ると、これまでとは違った視点に襲われるものです。
 「過去の世界」をとらえることで、「現代の世界」をよりよくとらえていくことが可能になりますし、その逆もあります。その意味で、これは(1)〜(5)の総集編であるようにも見えますが、探究の出発点でもあるのです。


 世界史探究では、以上の5つの視点とともに歴史総合で学んだ視点や手法を用いながら、過去の世界に関する「問い」を設定し、学びを進めていくことになります。

 では、次回はどのような「問い」を立てることができるのか、見ていくことにしましょう。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊