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歴史の言葉No.24 リン・ハント『人権を創造する』 「彼らはわたしたちなのだ」

…18世紀の読書はルソーの小説を楽しんで読んだのではなく、むしろ「熱狂し、興奮し、痙攣し、泣きじゃくりながら」読んだのだった。フランス語の原著が出てから二ヶ月以内に英語の翻訳があらわれ、1761年から1800年のあいだに10の英語版の出版がつづいた。おなじ期間にフランス語で115の版が刊行され、フランス語を読む国際的な公衆の貪欲な欲求に応えた。

同書、27頁

18世紀に書簡体小説が欧米で流行した。ルソーの『ジュリ(あるいは新エロイーズ)』やサミュエル・リチャードソンの『パミラ』など、作者の視点のみによって書かれた小説ではなく、小説の登場人物の手紙をとおして、あたかも登場人物みずからが語っているかのように感じられる仕掛けをもった小説だ。

おなじ18世紀後半には、アメリカとフランスで革命が起きた。革命では、人間は平等であるということがうたわれた。それ以前にはなかった感性があらわれた。

なぜ革命の直前に、書簡体小説が流行したのか?

ふつう、歴史における研究対象は、出来事であったり人物だったりするのが常だ。だが、先ほどの謎をときあかす本書の〈主人公〉は、「概念」だ。概念、言説、呼称、あるいは言語化されないような価値観から感情にいたるまで、世界をとらえる枠組み自体を問う研究は、今ではオーソドックスになった。その代表格ともいえる現代の古典が本書だ。


リン・ハントが注目したのは「小説」をよむということが、いったい何を意味するかということ。「小説」をよむという行為が、何をよびおこし、何を人々に要求したのかということだ。

小説をよむには、親しんでいる他者ではなく、見知らぬ他者の「内面」を想像することが必要となる。どんなに身分の低いひとであっても、自分とおなじような内面をもつ。そのような前提がなければ、小説的な共感はえられない。

小説は、あらゆる人間はその内面の感情のゆえに根本的に似ているのだということを強調した。…このようにして、小説を読むことは、物語に感情的に引き込まれることをつうじて平等と共感の感覚をうみだしたのである。

本書、29頁。

つまり、小説には教育的な要素があった。べつの身分の人々、異なる境遇の人々にも、自分とおなじような内面がある。ひとしく人権があるという共感をはぐくむ機能があったということだ。小説は読む者の行動を変えてしまう。想像力を掻き立てて、非道徳的な欲望をうみだすのではないか。その疑念ゆえ、小説は悪書としてしばしば宗教者や医者により非難の対象になった。

とはいえこの共感は、個人の自律を重んじる思想ともからまりあう。自立した個人によって成り立つ新たな社会の基盤となるべきは、「同情」(sympathy)だという政治哲学も現れた。

ただ、それがただちに、黒人や女性の内面を想像し、おなじ人間としてみるべきだという話には、なかなかならなかった。それを国際的にひろげようとなると、むずかしい。国民国家という壁がおおきく立ちはだかるからだ。


個人的には、第5章以降の叙述は、あまり関心をひかなかった。第5章「人間性という柔らかい力」は、「人権」を軸にした近現代史の素描としては過不足ない内容だけれども、欧米中心の叙述という点はぬぐえない。

とはいえ、第5章以降の内容を簡潔に述べるとこうだ。初期のナショナリスト(国民主義者)たちの多くは、民主主義は国民としての帰属意識を高めると考えたから、伝統的な政体を主張する人々と対立した。しかし、1848年以降は「ナショナリズムは政治的には左翼から右翼のものとなった」。伝統主義者が国民主義者の要求を飲み、国民国家づくりを推進するようになったからだ。しかしそうなると、異なる民族には権利をあたえないという対立がはじまってしまう。ここへきて、権利は特定の国民のものどんどん閉じていくことになる。19世紀に移民がグローバルに増大したのも、ちょうど科学の仮面をまとった人種主義が、排外主義と蜜月の関係になったことと表裏の関係にある。じゃまものには、よそもののレッテルを貼り、追い出せばよい。


ハントが提示するのは、つぎのような逆説だ。


人間の権利を擁護する議論は、文化や階級をこえて人間性は同一だという想定に依拠していた。フランス革命以降、伝統や慣習、あるいは歴史にもとづいて差別をただくりかえし主張することはますます困難になった。…その結果として19世紀は、差別の生物学的説明の急激な増加を目の当たりにすることになった。

本書、201頁。



人権が当たり前になったからには、それを崩す根拠も、より堅固なものでなければなるまい。人権が想定する「すべての人間は平等だ」という考え方そのものが、より強固な正反対の考え方(たとえば性差別、人種主義、反ユダヤ主義など)をよびおこしてしまったのだ(なお、ハントは性差別については、フランス革命の時期がルーツであるとみなしている)。



また、マルクス主義の登場は、人権に対する見方を分裂させることになる。フランス革命により提示された権利が、金持ちのブルジョワの権利にすぎず、より高次の社会的な権利こそが重んじられるべきだということになったのだ。


そうこうしているうちに、二度の大戦があり、国際連合を創設しようということになった。しかしイギリスもソ連も、国際連合憲章に人権に関する条項をもりこむことには後ろ向きだった。そんなことをしたら植民地に独立されてしまうからだ。中小諸国やアメリカを中心とする市民団体のはたらきかけによって、ようやく憲章に人権が入れられることになったが、実質的な保障がなされたわけではなかった。冷戦下の1948年に国連総会で、ソ連ブロックの8か国が棄権、賛成48、反対0で世界人権宣言が承認されたが、強制力はなかった。とはいえ、何が人権であるべきかを示す、いわば願望のようなものとして、20世紀の人権宣言の果たした役割は大きかった。



大沼保昭が『人権、国家、文明』で論じたように、「人権」そのものが、複数の足場をもちうるということを念頭におけば、ハントの描く〈人権〉史は、やや単線的なきらいがある。本書の白眉は、第4章にあるといっていいだろう。


とはいえ、ハントの投げかける問いの意義は、こんにちきわめて大きいものだ。


「わたしたちは、拷問者や殺人者にどう対応するのか、いかにして将来に彼らの出現をふせぐかを、彼らはわたしたちなのだということを同時に認めながら、解決しなければならない。わたしたちは彼らを許容することも、人間として抹殺することもできないのだ。」

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